第195話 令和元年11月17日(日)「願い」三島泊里

「泊里も歌いなよ」


 こちらを振り向いたひかりはとても楽しそうだ。

 半年ほど前の日常に戻った気がした。

 ほぼふたりだけで過ごしていたあの時間に。


 ご褒美デートはカラオケに行くことにした。

 最近はダンスに熱心なひかりだが、いまも歌うことは大好きだ。

 今日だってカラオケルームに入って早々マイクに飛びついた。

 5曲歌い続けて、ようやくあたしのことに気が付いた感じだった。


 あたしにとって歌は唯一の取り柄のようなものなので、以前だとよくマイクを取り合った。

 たいていのことにはあたしの言いなりになるひかりなのに、自分の好きなことだけは我が出て来る。

 ひかりにとってもそれは歌だった。


 クラスで孤立していたひかりを合唱部に誘ったのはあたしだ。

 孤立した状況に戸惑っていたひかりは、あたしに救われたと思ったのか、それからはあたしといつも一緒にいるようになった。

 松田さんや笠井さんと比べても負けないくらいの可愛い女の子が、あたしのような普通にも手が届かない子に付き従う。

 あたしは有頂天になってふたりだけの世界を作り、この関係がずっと続くと信じていた。


 合唱部の顧問の谷先生もひかりを気に入り、ひかりはその指導の下で劇的に歌唱力を上げた。

 そのため、ひかりは谷先生を凄く慕うようになった。

 谷先生のとんでもない”お願い”をひかりに付き合わされてあたしもすることがあったが、谷先生と関わるのは部活の時間だけだとあたしは油断していた。

 それに谷先生の機嫌を取ることは合唱部の中で快適に過ごすのに不可欠だと思っていた。

 事件が発覚しなければ、いまもあんな関係が続いていたかもしれないのに……。


 6月のキャンプで事件が発覚してから、あたしとひかりの関係は壊れてしまった。

 ふたりだけの世界はもうどこにもない。

 ひかりは松田さんのグループに入り、松田さんや笠井さんにべったりとくっついている。

 あたしだけに向けられていたひかりの忠誠はあっさりと奪われた。

 ひかりは守ってくれる人に忠犬のように懐くけど、守ってくれる人が替われば簡単にそちらに切り替えてしまう。

 そういう子だと漠然と感じてはいたけど、実際にそれが起きてみればショックは大きかった。


 あたしは春菜たちのグループに入れてもらい、教室に居場所がないという最悪の事態は避けられた。

 でも、ふたりが友だちかというとそうとは言い切れない。

 あたしはふたりがいないと困るけど、ふたりはあたしがいなくても全然困らない。

 学校の外で会うこともほとんどない。

 ひかりとの濃密な関係とはまったく比べられないものだった。


 あたしは文化祭の有志の合唱に参加することで、ひかりと会う機会を作った。

 夏休み中は練習で何度も一緒になったけど、いつも笠井さんがいて、あたしがひかりと話すのを妨害した。

 ひかりもあたしより笠井さんとばかり話していた。

 あたしはその様子を指をくわえて見ているだけだった。


 二学期になり、ひかりがダンスにハマり、運動会のあとには笠井さんが作ったダンス部に入ってしまった。

 あたしはどうするか迷った。

 このままだと本当にひかりが遠くに行ってしまうと思った。

 しかし、ダンス部は笠井さんが部長だ。

 あたしは彼女に目の敵にされている。


 諦めかけていた時に日野さんに声を掛けられた。


「三島さんはダンス部に入らないの?」と。


 余計なお世話だと感じたけど、結局相談することにした。

 春菜や明日香には話しにくかったし、他に相談できる相手もいない。

 日野さんは何を考えているか分からない人だけど、あの笠井さんでも頭が上がらないという謎の存在だ。


「笠井さんがいい顔しないと思うし」と答えると、「あなたが真面目にするのなら、それは心配しなくていいわ」と簡単に言ってのけた。


「……だったら、入部する」


 そう言ったあたしに日野さんは目を細めて、「ダンス部のことも、渡瀬さんのことも、あなたが真剣なら応援してあげるわ」と言った。

 その言葉とは裏腹に口調はとても厳しく、声は冷たく感じた。


 あたしが1曲歌ったあと、ひかりが立て続けに3曲歌った。

 いまではひかりの歌唱力はあたしでは比べものにならないくらい上達している。

 あたしだけの責任だとは思わないが、彼女から合唱の機会を奪った原因の一部はあたしにもあるのだろう。

 このところダンス部でひかりとふたりで話し合うことが増え、少しずつ以前のような会話ができるようになってきた。

 だけど、もう、ひかりを独占することは無理だ。

 それは分かっている。


「ひかりは、あたしのことどう思ってる?」


 帰り際にそう尋ねた。

 外はまだ明るく、太陽が眩しい。


「友だちだよ」とひかりはニッコリと笑った。


 太陽のような明るい笑顔。

 きっと笠井さんもこの笑顔を守りたいのだろう。


 昨日の練習が終わったあとに笠井さんに呼び止められた。

 彼女はしばらく言葉を探してから口を開いた。


「アタシはひかりのことを心配してる。三島がひかりの害になるのなら徹底的に潰す。日野を敵に回しても」


 そして、自分の頭をガシガシと掻いて、「でも、三島がひかりを助けるつもりなら、ひかりのために行動するのなら、協力することも考える」と言葉を続けた。


 あたしが驚いて口をポカンと開けていると、「お前とひかりのことは見てるからな。態度で示せ」と言いたいことだけ言って去って行った。


 あたしは……。


 楽しげなひかりの隣りを歩いているだけで、あたしは心が弾む。

 この、いまの関係を守りたい。

 それがあたしの願いだ。




††††† 登場人物紹介 †††††


三島泊里・・・2年1組。元合唱部。めんどくさがりで成績は最低クラス。それでも、ひかりのことだけは……。


渡瀬ひかり・・・2年1組。元合唱部。現在はダンス部で部活を楽しんでいる。先のことや周りのことが見えない性質だが、目の前のことには全力を出す。


笠井優奈・・・2年1組。元ソフトテニス部。現在はダンス部部長。身内には甘く、ダンス部を作ったのもひかりのためという面がある。


日野可恋・・・2年1組。キャンプでの盗撮を暴いたり、ダンス部創設に関わったりしているが、自分の中では誰かのためではなく自分(と陽稲)のためだと考えている。

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