第194話 令和元年11月16日(土)「鎌倉」高木すみれ

 寒い朝だ。

 学校に行く時よりも早い時間にあたしは暖かい布団から抜け出す。

 朝が苦手なので普段は本当にギリギリまで寝ている。

 だから、毎朝バタバタしていた。

 身だしなみを整えるのも適当で、こんなだからオタクはと蔑まれるのも当然だろうと反省している。

 そんなあたしが今朝に限ってはすぐに飛び起き、急いで支度を始めた。


 昨夜は寝付けなかった。

 少女マンガで初めてのデートに緊張して眠れない女の子の気持ちがよく分かる夜だった。

 寝坊防止のために家中の目覚ましをかき集め、スマホもセットしていたが杞憂に終わった。

 少し寝不足のはずだけど、緊張と期待がそれを上回り、目はパッチリ冴えている。

 顔を洗い、パンを牛乳で流し込み、昨夜のうちに用意しておいた服に着替える。

 中身を何度も確認したリュックを背負い、「行って来ます」と小声で呟いて家を出た。


 外は真冬のような冷たさだった。

 一瞬その寒さに動きが止まったが、すぐにスマホで時間を確認すると小走りに学校の方へ向かった。

 朝早くだというのに、街の中には生活の音が聞こえる。

 朝食を準備する音、漏れ聞こえるテレビの音声、家の前を掃いている人もいるし、新聞配達のおじさんに挨拶しているお婆さんもいる。

 学校の正門はまだしっかりと閉ざされていたが、そこを素通りしてすぐ側のマンションに入る。

 オートロックなのでインターホンで来訪を告げ開けてもらう。

 マンションの内装は豪華で、いつも場違いな気分になってしまうが、今日はそんなことを気にする余裕もなかった。


 玄関では日々木さんに迎えてもらった。

 彼女に眠そうな素振りはなく、日課のジョギングを終えて来たのだと聞いた。

 日野さんは空手の稽古に行っていて、まだ帰って来ていないそうだ。

 広いリビングダイニングには日野さんのお母さんと安藤さんがいて、先に朝食を摂っていた。


「食べてきた?」と日々木さんに聞かれ、「パンを一切れ」と答えると「お腹すくでしょ? もう少し食べておけば?」と言われた。


 おやつの類いは少し持って来たが、デート中にお腹を鳴らすという失態は避けたい。

 あたしはお言葉に甘えることにした。


 今日は日々木さんと日野さんとのご褒美デートだ。

 あたしの希望なので、コースは任された。

 最初は東京方面を考えていたが山手線が運休すると聞いて反対方向に行くことにした。

 行き先は鎌倉。

 叔母の黎さんが鎌倉を舞台にしたアニメやマンガにハマり、何度も聖地巡礼をしているらしい。

 本人曰く地元民より鎌倉に詳しいそうだ。

 週末は観光客で混雑するからとお勧めの穴場を教えてもらった。

 ただし、メインは美術館にした。

 ふたりには退屈かなと心配したが、ふたりとも歓迎してくれた。

 日々木さんはファッションの背景としての美術に強い関心を持っているし、日野さんは「こういう機会がないとなかなか行けないから楽しみにしているわ」と言ってくれた。

 頭の良い人というのは何にでも関心を示し、貪欲に自分のものにしようとする印象がある。


 そんな訳でコースは決まったのだけど、デートの衣装を日々木さんがコーディネートすると言い出してこんな朝早くから集まることになってしまった。

 以前松田さんの家で行われた夕食会や文化祭のファッションショーでは、あたしはコスプレっぽいものばかり着ていたので、日々木さんのコーディネートは楽しみ半分不安半分といった感じだ。


 すぐに日野さんが帰って来て、あたしもご相伴にあずかる。

 朝食を終えると早速着替えだ。

 スリムジーンズに白のニット、その上に明るい色のジージャンですっきりとオシャレな感じになった。

 軽くメークをしてもらい、柄入りのニット帽にイヤーカフを付けてもらって完成だ。

 日々木さんというと奇抜なファッションをコーディネートすることもあるので警戒していたが、今日はとても普通でとても素敵に仕上がっている。

 あたしなんかでも様になっているように見えるんだから本当に凄い。


 日野さんは柄物のニットにダーク系のロングスカート、その上に清楚な感じのカーディガンと少し派手めの赤のストールを羽織った。

 パッと見は上品そうな大学生のお姉さんといった感じだ。

 胸元のネックレスがきらめいて、アクセントになっている。


 そして、日々木さん。

 アタッシュケースから取り出したのはなんと着物だった。

 日野さんが着付けを手伝い、小振袖と呼ばれる袖の短い紅葉柄の美しい着物を身に纏う。

 更に紫色の袴を穿いた。

 大正時代の女学生――にしては幼い感じだが――に見える。

 この上に白いファーのショールを着けるそうだ。

 メイクをする間に日野さんが日々木さんの長い髪の一部を編み上げて綺麗に飾ってかんざしを挿す。

 白人のような容姿の日々木さんの和装はよく似合っていた。

 おしろいを塗らなくても白く透き通る肌に紅をさした唇が艶めかしい。

 言葉を絶するほどの出で立ちに、あたしは溜息しか出なかった。


 鎌倉は地元から電車で30分から1時間の距離だ。

 行きは日野さんのお母さんが車で送ってくれることになった。

 日野さんは行きも帰りもタクシーを提案していたが、日々木さんが却下して、帰りは日々木さんのお父さんが迎えに来てくれる予定だ。

 鎌倉までわざわざタクシー? と思ったが、この日々木さんを見るとあたしでも車を使おうと考えてしまう。

 街中を歩くだけでも黒服のガードマンがいなくて大丈夫かと感じるレベルだ。

 海外の子役スターがお忍びで遊びに来たんじゃないかって思っても不思議じゃないよね。


 古都鎌倉はよく晴れて、日差しのお蔭で暖かかった。

 三人並んで歩いても、周囲の視線が向かうのは圧倒的に日々木さんだった。

 あたしは普通の中学生、日野さんは綺麗なお姉さん、日々木さんは七五三に来た女の子という感じで、とても同じ年齢だと見られないだろう。


 最初の目的地である美術館は最近リニューアルされたばかりで賑わっていた。

 本当はもうちょっと静かな環境で鑑賞を楽しみたいところだが、こればかりは仕方がない。

 それにあたしがふたりに絵の説明を小声でしても許される雰囲気だったので、今日はこれで良かっただろう。

 ふたりも一枚一枚の絵を真剣に見ていた。

 美術館の客の中には絵はそっちのけで日々木さんばかり見ている不逞の輩も少なくなかったけどね……。


 美術館を見終わるとちょうどお昼で、黎さんから教えてもらったお店に行く。

 地元の人しか知らないようなお店だそうで、パッと見は普通の民家だった。

 中はこぢんまりとしていて、木造の自然な雰囲気が温かみを感じた。

 お勧めは海鮮ドリアだそうで、あたしと日野さんがそれを注文し、日々木さんはきのこをふんだんに使ったオムライスを選択した。

 オムライスは日々木さんひとりで食べるには多すぎて半分を日野さんにあげ、そのお返しにドリアを少しだけ日野さんからもらっていた。

 こうした何気ないやり取りがあたしの絵心を刺激する。

 日野さんが日々木さんにスプーンで食べ物を食べさせているシーンなんてどうかなと、あたしは絵画のモチーフを妄想した。


 その後は迎えが来るまで、周辺を散策した。

 雑貨屋を見て回ったり、寺社仏閣を参拝したり、麗らかな日差しの下で楽しい時間を過ごした。


「良い街ね」と帰る間際に日野さんがボソリと言った。


「可恋は中学校のすぐ側に引っ越して来たけど、高校はどうするの? また引っ越すの?」と少し心配そうに日々木さんが聞いた。


 そういえばふたりが進学を予定している高校はこの近くだったはずだ。


「さすがにそれはしないよ。道場に通う必要があるからね。ただ、高校の近くに部屋は借りるかも」


 日野さんはそう言って日々木さんにニッコリと微笑む。

 もうそこでふたりの新婚生活を始めればいいよなんて思ってしまう。

 妄想が捗る捗る。


「今日のコースはいかがでしたか?」と気を取り直して、あたしはふたりに感想を求めた。


「とっても楽しかったよ」と日々木さんが微笑んでくれる。


 この笑顔だけですべての苦労が吹き飛ぶというものだ。


「とても良かったよ。いろいろ注文つけて悪かったね」と日野さんが言った。


 最初の予定ではもう少し観光地を巡るつもりだった。

 ただそれだと日々木さんの体力的にキツいと日野さんに指摘され変更したのだ。


「いいえ、そんな。最初のルートだとあたしも今頃バテていたと思いますし」


 一日ふたりの様子をずっと見ていて印象深かったのは互いへの気遣いだ。

 日野さんは日々木さんの状態を本当によく観察していた。

 疲れていないかの他にも水分補給やトイレ休憩などの声掛けを頻繁にしていた。

 それでいて周囲への警戒も怠りなく行われていて、こまめに立ち位置を変えたりしていた。

 これだけでなく、きっとあたしが気付かない配慮もしていたはずだ。

 日々木さんはそんな日野さんの行動を理解して受け入れていた。

 その上で日野さんを喜ばせるために楽しそうに振る舞っていた。


 ふたりが相手を思いやる気持ちは側にいると凄く伝わってきた。

 羨ましいと思いながらも、あたしにはできそうにない。

 未来は分からないけど、いまのあたしにとっていちばんは絵を描くことで、他人に尽くすよりも優先してしまうことだ。

 それは寂しいことかもしれない。

 でも、今日一日でたくさんの描きたいことが湧いてきて、いま幸せなんだよ。




††††† 登場人物紹介 †††††


高木すみれ・・・中学2年生。高校の美術科への進学を希望している。技術は相当のものを持つ。


日々木陽稲・・・中学2年生。小学生並の身長だが、ロシア人の血を引く容姿で幼い頃から人に見られることには慣れている。あと、さすがに七五三はないわよ! と頬を膨らませていた。


日野可恋・・・中学2年生。最近ますます大人っぽく見られることが増えたが本人は気にしていない。


黎・・・すみれの叔母。同人大手を主催し、いまもアニメ・コミック・ゲームをこよなく愛す。鎌倉を舞台にした作品と言ったら、アレでしょ、コレでしょ……。

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