第161話 令和元年10月14日(月)「横浜」笠井優奈
冷たい雨が降っている。
あいにくの雨と寒さがアタシの心にまで染み込んでくるようだった。
「行きましょう」
待ち合わせ場所の駅前に先に来ていた美咲が言った。
彼女の顔はこれから遊びに出掛けるような華やいだものではなく、どこか硬さが感じられた。
きっとアタシの顔も似たようなものだろう。
彼女のあとについて駅内に入り、ちょうど来ていた横浜行きの急行に乗る。
休日の昼間ということで、天気はぐずついていてもそこそこの乗客がいた。
家族連れや友だち同士で横浜まで遊びに行く人たちだろう。
アタシたちに比べるとみんな楽しそうに見えた。
……やっぱり他のところに行った方が。
喉元まで出て来た言葉を飲み込む。
昨日の夜、美咲と散々話し合った。
日野の提案である「一緒にできること」をふたりで考えたが、美咲の口は重く、アタシのどの思い付きにも賛成しなかった。
結局時間切れで、こうして横浜へ買い物に向かっている。
今日の美咲は膝下までのワンピースに厚手のカーディガンでお嬢様らしさが際立っている。
「美咲がリボンを付けるのって珍しいね。よく似合ってる」
深みのある赤のリボンが丁寧に編み込んだ髪を結んでいる。
この髪ひとつとっても、美咲が気合いを入れているのは伝わって来る。
「優奈は寒くないの?」
心配そうな気持ちが込められた瞳で美咲がアタシを見つめる。
上は重ね着しているから見た目よりは暖かいが、下はミニなので生足をさらしている。
寒いことは寒いが、これがアタシなりの気合いの入れ方だった。
「オシャレのために我慢するのは当然よ」
アタシがニッと笑うと、美咲も微笑んだ。
こんな些細なやり取りすら最近はご無沙汰だった。
美咲は本物の良家のお嬢様だ。
アタシはどこにでもいるような一般庶民の娘で、流行を追うのが好きなだけの女子に過ぎない。
1年で同じクラスになった時は、最初はいけ好かない奴かと思っていた。
しかし、話してみるともの凄く性格が良くて一気に魅了された。
美咲もアタシのことを気に入ってくれて、この1年半ふたりは親友と言えるような関係だったと思う。
美咲は学校の外では習い事などが多くて忙しかった。
アタシも部活や彼氏とのデートもあって、そんなに時間が取れた訳ではない。
それでも、これまでは仲良くやってこれた。
今回のダンス部の問題は、美咲以外のグループのメンバー全員がダンス部に入ってしまい彼女が孤立してしまうことと、ダンスに対して美咲が苦手意識を感じていることのふたつだと思う。
電車はどんよりとした雲の下を進んでいく。
進行方向の横浜方面は少し明るく見えて、それがアタシの気分をわずかだが向上させた。
「美咲は買いたいもの、ある?」
ここまで来たのだから、買い物に集中しようと思う。
「そうね……」
気の重そうだった美咲も買いたい服の話になると、徐々に口が滑らかになっていった。
アタシはホッとする。
いまは楽しもう。
まずはそれからだ。
いくつかの店を回り、何着かの洋服や雑貨を買った。
ちょっと使い過ぎたかなと思ったものも、今日のノリでつい買ってしまった。
美咲が楽しそうだったらいいや。
横浜は雨が上がり、晴れ間も見えた。
風があって外は冬みたいな寒さだけど、ベンチに腰掛けて美咲と肩を寄せ合いタピオカミルクティーを飲んだ。
昨日日々木さんが一緒にお風呂なんて提案していたが、いまの気分だと即採用と言ってしまいそうだ。
「寒さに震えてまで飲むものでもないでしょう」と美咲が呆れている。
「彩花たちを羨ましがらせたいじゃない」とアタシは言い返す。
ふたりで飲むところを撮影しさっきLINEにあげたところだ。
美咲の笑顔にみんなも安心するだろう。
「美咲は、男と付き合う気はないの?」
アタシはずっと考えていたことを訊いてみた。
美咲とアタシたちとの関係が変わってしまうリスクはあるが、美咲の寂しさを埋めてくれる人がいればと思ったのだ。
「うちの兄貴の友だちなら紹介できるよ」と言葉を続ける。
これまでの美咲との付き合いから、彼女があまり男子に関心を持っていないことには気付いていた。
恋愛への憧れも口にしたのを聞いたことがない。
男子相手に普通に話しているが、それは特別な異性と思っていないからだろう。
「……実は」
あたしの思い付きに苦しげな表情をした美咲がゆっくりと口を開いた。
マズったかなと思っただけに、美咲が話してくれそうになってアタシは身を乗り出して彼女の言葉を待った。
「わたしが高校生になったら、両親がお相手の男性を紹介して、男性との付き合い方を学ぶようにと言われているの。それが気が重くて……」
「え、えー!」
アタシは寒さも忘れ、のけぞって驚いた。
誰だってそうなるよね?
「マジで?」と確認すると、美咲は悲しげな顔で頷く。
その表情は最愛の人との付き合いを親に反対されて悲しみに暮れている少女といった感じだが、理由は真逆だ。
「普通は、良いとこのお嬢様なら親は男女交際を禁止にするものじゃないの?」
「両親は様々な体験をすることが生きる力を身に付けるという考えだから。それに、どこの馬の骨とも分からない人だとさすがに反対すると思うわ」
幼稚園からずっと私立でもおかしくない美咲がこんな公立中学に通っているのも両親の教育方針だと聞いている。
それを考えれば分からない話でもないが、それにしてもぶっ飛んだ家庭だ。
「すげーな。まさか許嫁がいたりするの?」と聞くと、美咲は首を横に振った。
「結婚相手は自由に決めて良いと言われています。住む世界が違う相手だと互いに苦労するだろうとは忠告されていますが……」
アタシとふたりきりの時は言葉を崩す美咲がいつものような丁寧な言い回しをした。
少し感情が高ぶっているように見えた。
「美咲は男の人と付き合いたくないの?」
「……なんだか怖くて」
「そういうもんだよ」とアタシは笑う。
恋愛に憧れていたって、実際に突き合うとなると尻込みする子は多い。
彩花もそんな感じだったし、アタシだって最初は少し恐れみたいなものがあった。
相手が兄貴の友だちで信頼できたし、何よりとても優しい人だったからその感情は消えていったけど。
「優奈は、その……、男の人と付き合ったことは……」
これまでアタシが付き合っていることは美咲には秘密にしていた。
特別な理由があった訳ではない。
しいて挙げるなら、美咲が気を使うかなと思ったことや、恋愛にあまり強い関心がないのなら言わない方が良いかなと感じたことが理由だ。
でも、これ以上隠す必要はないと思った。
「実は、」と言い掛けた時にスマホに着信があった。
ひかりからだ。
こんな時に、と思ったが、ひかりだっていまアタシが美咲と会っていることは知っているはずだ。
デリカシーを期待できる相手ではないが、たいした用もなく電話してくるタイミングとも思えない。
「ごめん」と一言美咲に断って、電話に出た。
「優奈、わたし、ケガしちゃった」
††††† 登場人物紹介 †††††
笠井優奈・・・美咲グループのひとりで、美咲の親友。新設されたダンス部の部長を務める。
松田美咲・・・美咲グループのリーダー。資産家の一人娘で、両親の教育方針で公立中学に通っている。音感がなく、そのせいでダンスが上達しない。
須賀彩花・・・美咲グループのひとり。ダンス部副部長。来週末に美咲とのご褒美デートの予定。
渡瀬ひかり・・・美咲グループのひとり。ダンス部部員。歌とダンスに才能を持つ。優奈をデート相手に指名したが、実施は文化祭後になる予定。
田辺綾乃・・・美咲グループのひとり。ダンス部マネージャー。運動は苦手。
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