第160話 令和元年10月13日(日)「台風一過」日々木陽稲
昨日とは一転しての青空の下、可恋が家まで迎えに来てくれた。
「昨日は凄かったね」と言うと、「みたいだね」と他人事のような返答だ。
「本当に一日本を読んでいたんだ?」
「こんなに読書に集中できたのはいつ以来かな」と可恋は少し嬉しそうに答えた。
この周辺はたいした被害はなかったものの、同じ市内でも川沿いは避難指示が出たりしたのに。
わたしはテレビの前に張り付いていた。
どうしても見てしまう。
ただの野次馬根性なのかもしれないけど……。
「心配したり、怖くなったりはしなかったの?」
「何かあれば、それから考えるよ」
災害への備えをしっかりとしたあとは、可恋のようにどっしりと構えていた方がいいのだろう。
でも、わたしはそこまで人間ができていない。
「緊急時以外電話禁止って言うからせっせとLINEやメールを送ったのに、夜におやすみとしか返事が来なくて寂しかったよ」とわたしは愚痴を零す。
「母から帰れないって悲鳴のような電話が来た以外はいたって静かだったよ」と可恋は笑う。
「陽子先生、帰らなかったの?」と驚くと、「車だと無理して帰ってこようとするからね。帰る前に私に判断を仰ぐように言っておいたのよ。案の定、昼過ぎの風雨の激しい時間に連絡してきたから、無理しないように宿泊場所を確保するよう忠告したの」と可恋はヤレヤレという表情を見せた。
可恋のお母さんの陽子先生は仕事のことになると周りが見えなくなると可恋も陽子先生本人も言っていた。
「無事?」と尋ねると、「知り合いのところに泊まって、いまもそこで仕事をしてるわよ」と可恋は呆れた顔を見せた。
「可恋はオンとオフをはっきり切り替えるけど、陽子先生はオンばっかりだものね」とわたしも苦笑する。
「壊れてるのよ、あの人……」と呟く可恋は心配しているように見えた。
「今日はわたしがいるから寂しくないよね」とわたしが笑顔を見せると、「別に寂しくはなかったけど、ひぃながいてくれるのは嬉しいかもね」と可恋はわずかに照れてみせた。
普段は土曜日の夜に可恋の家にお泊まりする。
台風の影響と三連休ということがあり、この週末は今日がお泊まりの日になった。
二週間後に迫る文化祭の準備は順調に進んでいる。
可恋が余裕を持って計画を立てているので、台風直撃というアクシデントは乗り越えられそうだ。
週末がお泊まりどころではない状況に陥らずに済んでホッとする。
お泊まり用の荷物を可恋に持ってもらい、彼女のマンションに向かう。
この辺りの被害はほとんどなかったとはいえ、町のあちこちに台風の爪痕を見ることができた。
泥や枯れ葉が散乱しているし、ゴミも目立つ。
それらを片付ける人の姿もよく見掛けた。
わたしはそういう人たちに「こんにちは」と挨拶しながら歩いた。
可恋の家に着き、彼女の淹れた紅茶を飲んで一服していると、「笠井さんが来るから」とわたしに言った。
珍しいなと思いながら、「わたしも一緒でいいの?」と尋ねると、「ご褒美デートの話だからひぃなも一緒に聞いて」と可恋は頷いた。
しばらくすると笠井さんがやって来た。
わたしがいることを気にした素振りもなく、「悪い、時間取らせて」とわたしたちに言った。
かなり悩んでいるように見えた。
可恋が笠井さんにも紅茶を淹れて出す。
笠井さんは熱い紅茶をほんの少し口につけ、それから話を切り出した。
「明日、美咲とどこに行くかで迷ってる」
明日、松田さんと笠井さんがご褒美デートに出掛ける。
誘う側がデートコースを決めることになっているが、ふたりの場合はお互い同士が指名し合ったので、ふたりの話し合いで決めることになった。
指名し合った場合はそれぞれの計画で2回行けばいいと提案したのに、可恋に却下されてしまった。
可恋は「いつも一緒に出掛けてるんだから」と言うが、それとデートとは別物だ。
そう強く主張したのに、時間がないの一言で片付けられてしまったのは痛恨の極みだった。
「お買い物じゃダメなの?」ともっとも無難なアイディアを口にすると、「せっかくだから普段とは違うことがしたい」と笠井さんは答えた。
その気持ちはよく分かる。
やっぱりデートだもの、新鮮なワクワクは大切だよね。
そう思っていると、可恋は「いまの状況だと、あえて普段通りもありだと思うけどね」と言った。
分かっていたよ。
デートだからじゃなくて、いまふたりの関係がうまく行っていないから、何か解決のきっかけが欲しいんだって。
可恋の言葉に乗り気でない笠井さんに、「普段と違うことなら、どこかに行くというより、一緒に何かをするような発想はどうかな?」と可恋が新たな提案をした。
「一緒に何かをする?」と笠井さんは訝しげな顔になる。
「例えば、登山のように身体を動かしたり、ゲームで勝負してみたり、何かを作るのでもいいし、力を合わせて何かを成し遂げるような体験ができればいいんじゃないかな」
可恋の説明を聞いて、なかなか楽しそうだと思った。
一緒に何かをする具体例をわたしも考えてみる。
「……一緒にお風呂に入る、とか?」と口に出すと、ふたりがわたしに視線を向けた。
その視線はどう見ても、何を言っているの? って感じで、わたしは口をつぐむ。
いいアイディアだと思うのに。
昔から裸の付き合いって言うじゃない。
「お泊まりじゃデートにならないしねぇ」と呟いたけど、ふたりはこちらをチラッと見ただけだ。
わたしだって松田さんと笠井さんには良い関係に戻って欲しいと思っている。
その協力になると思って真面目に考えているのだ。
そんな悲しそうな目で見ないでと言いたい。
「一緒に踊ってみる……」
ダメだ。
松田さんが踊れないから関係がギクシャクしているのに。
「一緒に歌ってみる……」
ダメだ。
松田さんの歌は根本原因だ。
「一緒に戦ってみる……」
ダメだ。
可恋じゃあるまいし。
「一緒に走ってみる……」
ダメだ。
せっかくデートでおめかしするのに。
「一緒にデートコースを考えてみる……」
ダメだ。
それをデートでやってどうする。
……うー、ダメだ。
何も思い付かない。
わたしが両手で頭を抱えていると、笠井さんは「ありがと。参考にするよ」と言った。
あんまり参考にならないことは自分でも分かっている。
「私たちと顔を突き合わせているよりも、松田さんとしっかり話し合うというのが正しいわね」と可恋が言うと、「まあそうなんだけど」と笠井さんが頷く。
「今日は美咲お稽古事だって」と笠井さんはため息をついた。
松田さんは習い事が多く、親戚や親関係の知り合いとの付き合いもあってかなり忙しいらしい。
お嬢様で居続けるのも大変そうだ。
部活をやらないのもそれが原因だと以前話していた。
同じグループのメンバーが部活でいままでのように会えなくなるのは松田さんにとって辛いことだろう。
結局、十分にサポートできないまま笠井さんは帰っていった。
ダンス部を作った笠井さんも、そこに入らない松田さんも、どちらも悪い訳ではない。
それぞれに事情があり、どちらの思いも共感できるものだ。
それだけに、何とか力になりたいと思う。
しかし、いまのわたしにできることは少ない。
「可恋なら、パパッと解決しそうだと思っていた」
「何が解決なんだろうね」
わたしは可恋の言葉に驚いた。
「そりゃ以前のようにみんな仲良くなることなんじゃ……」
「でも、ダンス部を作るのを止めたり、松田さんがダンス部に入ったりすれば解決だと思う?」
「それは……違うと思う」
「パンドラの箱を開けた以上、なかったことにはできないのよ。だから、新しい均衡点、着地点を見つける必要がある。それは簡単じゃない。時間が掛かるのは仕方がないよ」
可恋の言うことは分かる。
いまからダンス部をなくしても、お互いの心にしこりが残ってしまうだろう。
ダンス部を作る前の状態に戻すことはできない。
「時間を掛ければ大丈夫?」と聞くと、「いまのようにお互いにとって最善の場所を探し続けること、安直な自己犠牲で誰かに皺寄せがいかないこと、このふたつを守れば、大丈夫なんじゃないかな」と可恋は答えた。
「安直な自己犠牲って?」
「私が我慢すれば、ってやつね。それは長い目で見れば、人間関係を蝕む毒なんだと思う」
毒という言葉に背筋に冷たいものが走る。
自己犠牲をした側は我慢してあげたのにといった言動が出やすくなる。
自分勝手に我慢してそんな態度を取られては自己犠牲をされた側も辛いだろう。
「わたしたちはどうすればいい?」と尋ねると、「私たちは焦らずに温かく見守ろう」と可恋は微笑んだ。
ふたりの深刻さに早く解決して欲しいと願っているけど、周りはもっとどっしりと構えていなきゃ。
可恋の言葉でわたしの肩の力がかなり抜けた。
「そうだね」とわたしも微笑む。
いまはふたりを信じてあげることがわたしにできる唯一のことだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学2年生。家族がいつも一緒にいてくれたから、台風は怖くなかったよ。
日野可恋・・・中学2年生。ミステリファンだが、話題作はとりあえず読んでみる方。紙の本も電子書籍もどちらも読む。
笠井優奈・・・中学2年生。雨がうるさかったが、昨日は一日寝ていた。最近忙しかったから……。
松田美咲・・・中学2年生。このところ時間があると考え事をしてしまう。昨日も……。
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