第121話 令和元年9月4日(水)「やる気」千草春菜

 今日の体育の時間から、運動会で行う創作ダンスの全体パートの練習が始まった。

 雲に覆われ、秋を感じさせる過ごしやすい気温の下で行われた。

 天気予報ではまた残暑が戻って来るそうなので、暑くなるとダンスの練習はきつくなるだろう。


 全体パートのダンスの難易度は低い。

 ダンスが得意ではない私でも、それほど難しいと感じない。

 運動が苦手な子は少し苦労しているようだが、ダンス自体ができないということはないだろう。

 ただし、学年単位という大人数で踊るので、動きを合わせるというのは簡単ではない。

 バラバラに感じるダンスを合わせていくには、ひたすら繰り返し練習するほかないのだろう。

 去年の創作ダンスの思い出は、体育の授業でそんな退屈な練習に明け暮れたことだった。


 また、創作ダンスはかなり長い。

 全体パートの他にクラス単位のパートがあり、その間は休んでいられるとはいえ、最後まで踊り続けるにはそれなりの体力が必要だ。

 今日の練習で比較的余裕があるように感じたのは日野さんの筋トレのお蔭だと思ったが、筋トレをサボっていた子は体力的にキツいかもしれない。


 更に、これだけ長いと振り付けをすべて覚えるのは容易ではない。

 去年の1年生は後半で間違う生徒が目立った。

 モチベーションが低いと集中力の持続が難しい。

 体力的にキツくなるとなおさらだ。

 上級生のダンスにはそうしたミスがあまり見当たらず、凄いと感心した。

 1年が経ち、今年の私たちは彼らのように踊ることができるだろうか。


「Bチームの女子とCチームのまとめ役をお願いしたいの」と昨日メンバー分けが発表された時に日野さんから頼まれた。


 主力のAチームは予期していたより多い7人が選出された。

 運動能力が私とそう変わらないと思っていた明日香や須賀さんが選ばれたことは驚きだった。

 少し悔しさもあった。

 しかし、ふたりともオーディションで頑張っていた。

 私は自分が選ばれる訳がないと思って、最初から本気で挑戦していなかった。

 去年のクラスには学校行事にやる気を見せる生徒はあまりいなかった。

 麓さんとその仲間が暴れて、それどころではなかったのも事実だけど、いま思い返せばみんな結構好き勝手にやっていたところがあったなと気付く。

 このクラスで運動会や文化祭にやる気を見せる生徒が多いのは、それを馬鹿にしたりせず、自分も頑張ろうという空気を作り出すことに成功しているからだろう。

 真面目な生徒が多いことも一因だが、やはり日野さんの影響力の大きさゆえだと私は思う。


 Bチームは私と泊里、美術部所属の高木さん、森尾さん、伊東さんの五人。

 私と高木さんを除く三人のモチベーションが課題と言えるだろう。

 Cチームと名付けられた特別枠は日々木さん、松田さん、田辺さんの三人。

 Bチームとやることはさほど変わらない。

 クラスパートの時に目立つ場所に配置される程度の差だ。


 オーディションで、松田さんはAチームに選ばれてもおかしくないほど見事に踊っていた。

 本人も選ばれると期待していたのか、メンバー分けの発表の時は珍しく悔しそうな顔をしていた。

 これでやる気を失ったりしないか心配だ。

 彼女がやる気を失うと、同じグループの田辺さんにまで悪影響が出かねない。




 放課後になり、Aチームは笠井さんが徹夜して考えてきたという振り付けの練習を始めた。

 また、田辺さん、森尾さん、伊東さんは居残りで筋トレをさせられている。

 日野さんはAチームの練習があるので、監視役は日々木さんだ。


 私はさっさと帰ろうとしていた泊里を呼び止め、松田さんと高木さんにも声を掛けた。


「なんで帰っちゃダメなのよ」としかめ面で文句を言う泊里に、「みんな残っているじゃない」と私は宥める。


「そんなの関係ないよ。やりたい子だけでやればいいじゃない」という泊里の正論に、「それはそうだけど……。泊里だってクラスの一員なんだから」となんとか引き留めようとする。


「興味ない」と言って帰ろうとする泊里に、最後の手段だと思って「日野さんに筋トレサボっていたことを言うよ」と脅す。


「泊里も居残りで筋トレして帰らなきゃならなくなるよ」と告げると、「あー、もー、最悪! 春菜の裏切り者!」と本気で泊里は罵った。


 彼女は基礎体力があるし、夏休み中も合唱の練習の合間にトレーニングをしていたから筋トレのことは問題視されていない。

 それでも、日野さんの課題をやらなかった訳だから、居残り組に入れられても文句は言えないはずだ。


「まあまあ、ケンカしないで」と松田さんが穏やかな表情で仲裁に入る。


 ふてくされた顔付きだが泊里は残ることに決めたようだ。

 それを見て、松田さんは「それで、千草さん、どういったご用ですか?」と私に向き直った。


「BチームCチームのまとめ役を任されたけど、Aチームと違ってやる気のない生徒が多いじゃない。全体パートの練習も授業だけで十分かどうか分からないし、放課後に練習するにしてもやる気がないと辛いかなって。どうすればそんな子たちのやる気を引き出せるのか困っていて相談したかったのよ」


 私は正直に胸の内を告白した。

 おそらく以前であれば、他人に打ち明けようと思わなかっただろう。

 とりあえず自分で何とかしようとあれこれ考え、どうしようもなくなってから他人に頼っていた。

 決断が遅いのは私の悪いクセだ。

 私が頼まれたことだけど、私ひとりで抱え込まなくていいと思うようになったのは明らかに日野さんの影響だ。

 彼女は何でもひとりでやってのけそうだが、意外と他人に仕事を割り振ったり、任せたりすることが多い。

 他人を利用するというと言葉が悪いが、しっかりサポートしながら周りを生かそうとしているように見える。


「そうですね……」と松田さんは腕を組んで眉を寄せて悩んでくれている。


「そこは、やっぱり、ご褒美で釣るのがいいんじゃないでしようか……」と控えめな口調で高木さんが提案してくれた。


「ご褒美?」と私は聞き返す。


「クラスのためなんて言っても納得してくれないと思うんです。それに、成功体験がなくて、失敗することが当たり前になってますから、できなくて恥をかくよって脅されても、いつものことだからって思われて効果がありません。大きな目的もダメ、脅しもダメとなったら、あと残っているのは個人的な欲求くらいじゃないかなって……」


 高木さんの言葉には実感がこもっていた。

 私は泊里を見る。

 私も彼女のやる気を引き出すために苦労している。


「泊里はどう思う? ご褒美があればやる気になる?」


「うーん、……ものによるかな。そうだね、本当に欲しいものならやってあげてもいいよ」となぜか上から目線で泊里が答えた。


「泊里が欲しいものって?」と聞くと、いままでに見たことがないくらい真剣に考え始めた。


 勉強の時もこれくらい真剣になってくれればと思いながら彼女の答えを待つ。


「そうねえ……いちばんはお金でしょ。あとは……成績とか? インスタ映えしてフォロアーがガンガン増えるような写真撮ってくれてもいいかも! あ、でも、いちばん欲しいのは何でも言うことを聞く下僕かも!」


 欲望まみれの泊里の言葉に、私と高木さんは深いため息をついた。

 松田さんは呆れたのか、何を言っているのか分からなかったのか、ポカンと口を開けている。


「ご褒美をどうするかが問題なんですよね」と泊里の言葉をスルーして高木さんが眉間に皺を寄せた。


 やる気を引き出すご褒美なんて無理なんじゃないかと泊里の言葉を聞いて思ってしまった。

 少なくとも中学生が用意できるご褒美でそこまでやる気を引き出せる気がしない。


「何か問題でも起きたの?」と声を掛けられた。


 日々木さんだった。

 居残りの筋トレが終わり、三人は着替え中で、見張り役だった日々木さんは私たちが頭を悩ませているのを見て来てくれたのだ。

 私は簡単に状況を説明する。


「ふーん、じゃあ、三島さんは渡瀬さんとのデート権でどう?」


 日々木さんはごく自然な感じでそう口にした。

 私は聞いてすぐは意味が分からなかったし、泊里も「何それ?」と呆然としている。

 松田さんも高木さんも唖然としているように見える。


「ダメ?」と小柄な日々木さんが下から覗き込むように泊里の顔を見た。


「……ダメじゃないけど」とさっきまでとは一変した泊里が顔を逸らした。


 その変わり様に驚きを隠せない。

 私だけでなく、松田さんや高木さんもだ。

 日々木さんだけが天真爛漫な笑顔を浮かべている。


 その笑顔を見ているうちに、ようやく腑に落ちるものがあった。

 デートという言葉は大げさでも、一緒に遊びに行きたい相手はいるものだ。

 いろいろと気兼ねして、ふたりっきりでというのは提案しづらかったりする。

 私だって日々木さんと……と考えていると、日々木さんは笑顔のまま「三島さんだけじゃなく、BチームやCチームの子全員にご褒美があっていいと思うの」と言い出した。


「それって、私も?」と思わず尋ねると、「もちろん!」と元気な声が返ってきた。


「私にとっても嬉しい提案ですが、相手の方が了解してくれるかどうかは……」と松田さんが心配そうな表情で尋ねた。


「1組の女子に限れば協力してくれるんじゃない? それに、ファッションショーのコンセプトは女の子同士のデートだからバッチリだよね」


 日々木さんは自慢げに胸を張る。


「あのふたりにそういう相手はいるでしょうか?」と高木さんが不安そうに呟く。


「聞いてみればいいじゃない」と何の迷いもなく日々木さんは即答した。


 確かにそうだよね。

 私たちが考えたって答えが出る訳じゃない。


「クラスの女子全員に関わるので、私たちだけではなくみんなで決めないと」と言うと、松田さんと高木さんが頷き、日々木さんはわずかに口を引き結んだ。


 日野さんを説得できないと何も決められない。

 それでも、私がこれほどやる気を引き出されたのだ。

 賛成する人は多いはずだ。

 私は運動会が俄然楽しみになってきた。




††††† 登場人物紹介 †††††


千草春菜・・・2年1組。1年生の時は学級委員だった。4月5月は他クラスにいる友だちのところへ行くことが多かった。


三島泊里・・・2年1組。1年生の時から渡瀬ひかりとは親友のような関係だったが、現在は少し疎遠に。


松田美咲・・・2年1組。1年生の時はひかりや優奈と一緒にメインで踊ったのに、今年はメインを外されてショックを受けた。


高木すみれ・・・2年1組。1年生の時は影の薄い存在だったのに、クラス内ヒエラルキー上位の面々と話す機会が多くて内心ビビっている。


日野可恋・・・2年1組。奇抜なアイディアを提案するのは自分が楽をするため。


日々木陽稲・・・2年1組。奇抜なアイディアを提案するのは自分の欲望を叶えるため。

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