第102話 令和元年8月16日(金)「サッポロ」キャシー
カレンはママのようにガミガミとうるさい。
ヒーナがいるとうまくなだめてくれるのに、ふたりきりだからワタシは耳を塞ぐしか手がない。
『同じ事を何度も言わなくても分かったから』
『分かってないじゃない。十回は言ったわよ。それなのに忘れ物はするし、言いつけは守らないし……』
ひとつ言い返しただけでこれだ。
せっかくの旅行なんだ。
この冒険を楽しまなくてどうするんだ。
『サキコが言ってたぞ。諦めることが肝心だって』
ワタシの言葉にカレンは大きなため息をついた。
空港までサキコに車で送ってもらった。
飛行機の中では爆睡。
空港に到着し、食べ物の匂いにつられてあちこちをウロウロしていたら、カレンが怒り出した。
だって仕方ないじゃないか。
見たことのないもの、食べたことのないものが所狭しと並んでいたら、最優先で見に行くしかない。
だが、見て回っている間に手に持っていたはずのセカンドバッグをなくしてしまった。
それをカレンに告げると、呆れられた。
バッグにスマホが入っているはずだからと電話してもらうと、繋がった先はホームステイしている道場だった。
忘れてきていたらしい。
ワタシは大笑いなのに、カレンはなぜか睨みつけてきた。
『スマホをなくさないで良かったわ』
『そういう問題じゃないでしょ!』
『そんなに怒るとすぐにお婆ちゃんになっちゃうよ』と心配してあげても『余計なお世話よ』と取り合ってくれない。
落とし物が届いていないか案内所に向かう間も、ちょっと寄り道しただけでカレンは怒鳴る。
最近はとても丁寧な英語を使っていたのに、汚い言葉が混じっていた。
『そんなこと大声で言っていいの?』と注意してあげると、『どうせ分かる人なんてほとんどいないわ』と言って罵ることをやめない。
幸いなことに、バッグは土産物屋に置き忘れていたようで、連絡が来ていた。
受け取りに戻ってようやく空港を後にする。
『さすが日本ね。ちゃんと戻って来るなんて』と褒めてあげたのに、『アメリカに帰ったら生きていけないかもね』とバカにされる。
でも、アメリカに戻るのなんてどんなに早くても数ヶ月先だ。
そんな将来のことを考えたってなんの意味もない。
『いま日本にいるんだから、考えるだけ無駄じゃない』
そう指摘すると、カレンはこめかみに手を当てていた。
『観光に行こうよ!』と提案すると即座に拒否された。
タクシーで宿泊する予定の道場に直行するとカレンは言った。
『サッポロにはビッグベンのような時計塔があるんだろ?』
『ないから』
『熊がいるって聞いたぞ。戦えるのか?』
『射殺されたから』
『なんだって! ワタシとカレンなら絶対に倒せたのに!』
『お腹空いたでしょ。札幌に着いたら美味しいものでも食べましょう』と言われて、『早く行こうぜ!』とワタシはカレンをせき立てた。
タクシーに乗ってからカレンに昼食は何が食べたいか聞かれた。
『肉がいい? 魚がいい?』
『ラーメン!』
肉はアメリカにいる時から大好きだったが、ラーメンは日本に来てから好きになった。
サキコに何度かラーメン屋に連れて行ってもらった。
こんなスゲー食べ物があったのかと驚いた。
カレンはスマホでどこかに連絡を取り、タクシーの運転手に店の名前を告げたようだ。
『今日お世話になる道場の方にお勧めのお店をうかがったのよ』
サッポロは残念ながら雨だった。
風がかなり強く、涼しく感じた。
街並みは広々とした感じがして心地いい。
『いい街だな』
『そうね』
『ここに住みたいな』
『一生北海道から出なくていいわよ』
まだ怒っているのかカレンが投げやりに言った。
『終わったことを考えても価値はないぞ』
『キャシーは反省というものを知った方がいいわ』
タクシーがラーメン屋に着いた。
お腹が空いていたので店から漂う匂いに心が鷲づかみにされる気分だ。
カレンを急かして入店する。
ラーメンは凄く凄く美味かった。
一杯では足りなくて二杯目も頼んだ。
『カレンはラーメンを作ってくれなかったな』
『そうね』
『カレンはラーメンを作るべきだ』
『嫌よ。美味しく作ろうと思えば時間と手間がかかるから、店で食べた方が合理的ね。あと、カロリーが高いから食べ過ぎ注意』
ワタシが不満げな顔をすると、『強くなりたいなら食事にも気を配りなさい』とカレンは言った。
食べ終えて店を出ると、ひとりの女性が傘をさして立っていた。
身長はカレンと同じくらいで、もっとガッチリした体型だ。
ワタシたちを見て、声を掛けてきた。
日本語なので意味は分からないが、ワタシとカレンの名前を出したので空手の関係者だろう。
『この人は大川智子さん。16歳で組み手の選手ね。ワタシたちが宿泊する道場出身で、先日沖縄で開催された高校の選手権大会に出場したんですって』
『強いのか?』とカレンに聞くと、『わざわざ迎えに来てくれたのだから、先に挨拶しなさい』と小うるさい。
『キャシーよ。よろしくね』とトモコに挨拶すると、彼女は丁寧にお辞儀をしてくれた。
『高校1年生でベスト16に入ったそうよ。かなりの腕だと思うわ』とカレンが教えてくれる。
『戦いたい!』と大声で言うと、『道場に着いたらね』とカレンが答えた。
『いいのか?』
『ちゃんとルールを守れるならね』
『もちろん、大丈夫だ』
ワタシは飛び跳ねながらそう言った。
美味いラーメンに、空手の対戦とここはまるで天国のような場所だ。
ワタシは雨と風の中で軽やかに踊り、カレンにしこたま叱られた。
††††† 登場人物紹介 †††††
キャシー・フランクリン・・・14歳。えっ、風邪なんかひいたことないぞ。
日野可恋・・・中学2年生。キャシーは5歳児だと思うことにした。
三谷早紀子・・・可恋の通う道場の師範代。キャシーのホームステイ先。父親の道場だが、最近は可恋ちゃんに継いでもらおうかと思っている。
大川智子・・・高校1年生。180 cmを越える黒人女性のキャシーを見て、えっ、この人と戦わなきゃいけないの? と内心焦っている。
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