第91話 令和元年8月5日(月)「キャシーのいない日常」日々木陽稲

 今日は久しぶりに朝から可恋とふたりきりだ。


 キャシーは家族が来日するので空港まで出迎えに行った。

 当分はホテル暮らしとなるそうで、その間はまだ道場にいるというが、新しい家の改装が済み次第引っ越すことになる。

 彼女のここでの生活もあと1、2週間程度だ。


 騒がしいキャシーの相手をしなくてよくなった可恋は、自分の部屋の豪華ベッドに横たわって読書中だ。

 疲れ気味だからリフレッシュしたいと言っている。

 ダラダラしている可恋を横目に、わたしはノートパソコンを借りて英語の動画を見て勉強することにした。


「そろそろお昼にしようか」


 お昼近くになって、可恋がベッドから身を起こす。

 わたしが頷くと、「何か食べたいものある?」と聞かれた。


「あっさりしたものがいいな」


 土日は外食が続いたので、わたしはそう答えた。

 可恋は少しだけ考え、「そうめんにしようか」と夏らしい提案をした。

 わたしは「手伝うよ」と言って立ち上がった。


 わたしがそうめんを茹でている間に、可恋は手際よく他の食材の下ごしらえを済ませる。


「やけどに気を付けてね」と可恋に言われながら、そうめんを水にさらし、ざるに上げる。


 一口分ずつ丸めて皿に盛っていると、可恋が不思議そうな顔で覗き込んだ。


「どうかしたの?」と尋ねると、「うちでは氷水に放り込んでいたから」と答えた。


「えー、そうなんだ」とわたしは驚く。


 うちではいつもこうして盛り付けていた。


「地域差なのかな?」と不思議がると、「どうだろ、他所の家の盛り付け方は知らないなあ」と可恋も首を捻った。


 可恋の家のやり方に合わせようかと言ってみたが、可恋は「綺麗に盛り付けてくれてるから、このままで」と微笑んだ。


 夏のそうめんと言えば、わたしは冷やしそうめんしか思い付かなかったけど、身体を冷やすことを避ける可恋に確認を取っておいた方が良かったかなと気付く。

 常識と思っていることがただの思い込みだったというケースはよくある。


「冷やしそうめんで良かったの?」


「うん。夏だしね。エアコン効いてるから、風情には欠けるかもだけど」


 わたしは皿に盛ったそうめんを食卓に運ぶ。

 可恋は温野菜や蒸し鶏、ゆで卵などを皿に盛り付けた。

 わたしが薬味を準備し、可恋は熱いお茶を淹れてくれた。


「いただきます」

「いただきます」


 わたしは食べながら可恋に話し掛けるタイミングを探っていた。

 今日は大事なお願いをしようと思っている。

 断られても当然というお願いなだけに、なかなか切り出せないでいた。


「どうかした?」


 食べ終わって、一服したタイミングで可恋がわたしに言った。

 わたしの様子を見て、話すきっかけを作ってくれたのだろう。


「実は……、可恋にお願いがあるの」


 わたしが少しかしこまってそう言うと、可恋は軽い感じで「何?」と聞いた。


「”じいじ”の家に来て欲しいの」


 わたしは単刀直入に言った。

 今週末から北関東にあるお祖父ちゃんの家に行くことは可恋に話してある。

 そのお祖父ちゃん、”じいじ”の家で9日間過ごす予定だ。


「ずっとじゃなくていいの。1泊か2泊だけでも」とわたしは言葉を続ける。


 可恋が旅行嫌いであることは何度も聞いた。

 それに、わたしの家族だけならまだしも、親戚や従兄弟たちも集まる中に来てもらうというのはかなり無理なお願いだ。


「理由を話してくれるよね?」と可恋に言われて、わたしは頷く。


「”じいじ”にファッションに関する費用をすべて出してもらっていることは可恋に言ったよね。”じいじ”はわたしがファッションデザイナーを目指していることを後押ししてくれる。金銭的な援助も惜しまないと言ってくれる。わたしは”じいじ”のお蔭でとても恵まれた生活をしてきた。とても感謝しているの」


 わたしの言葉を可恋は真剣な眼差しで聞いている。


「高校が臨玲なのは”じいじ”との約束なのだけど、”じいじ”の希望を受け入れることで、あのお嬢様学校の学費を負担してくれる。お母さんは臨玲に不満があるみたいだけど、わたしは臨玲でいいと思っているの」


 ここまで語った内容はすでに可恋に話していることだ。

 わたしは一度唇を閉じ、可恋の目をしっかりと見て、話し始める。


「これまで長期休暇はそのほとんどの期間”じいじ”の家で過ごしてきたんだけど、この夏休みは半分以下になった。おそらく、今後も減っていくと思う。そのことで、”じいじ”と両親が対立するようなことはあって欲しくない。たぶん、今回いろいろと話し合うことになると思う。みんなが納得できる話し合いができるように、わたしも頑張るつもり。ただ、わたしの我が儘だと分かってはいるけど、可恋に側にいて欲しいの。家族の問題なんだけど……」


 可恋は黙って考えている。

 他人の感情を読み取るのが上手いわたしでも、いまの可恋の心は読み取れない。


 長く長く感じた可恋の沈黙だったけど、おそらく1分程度のことだっただろう。

 口を開いた可恋は「行くよ」と言った。

 わたしは安堵する。

 しかし、可恋は言葉を続けた。


「わたしだけでなく、安藤さんも一緒に行けないかな」


「え? 純ちゃん?」とわたしはびっくりした。


 ここで名前が挙がるとはまったく予想していなかった。


「うん。無理なら仕方ないけど……。安藤さんも行ったことはないんだよね?」


「うん。”じいじ”がこっちに来た時に紹介したことはあるけど、それも随分前のことかなあ」


 純ちゃんは幼なじみでいつも一緒にいる相手ではあるけど、”じいじ”の家に一緒に行くという発想はなかった。

 純ちゃんは口下手だし、スイミングスクールもあるし、自分から一緒に行きたいなんて言わない子だし。


「筋というのは変かもしれないけど、安藤さんを差し置いて私だけが行くというのもどうかなって思うのよ。彼女がどう思うかは分からないけどね」


 純ちゃんは気にしないと思う。

 でも、そうわたしが決めつけるのは良くないか。


「もうひとつ。私はひぃなのように誰とでもすぐに仲良くなれる訳じゃないから、同じような立場の人が欲しいというのはある」


 可恋の言葉にわたしは頷いた。

 わたしだって従兄弟との関係はよくない。

”じいじ”からの贔屓があるから、仕方がないと思っている。

 無口な純ちゃんでも側にいるだけで心強く感じるという気持ちはわたしにも理解できる。


「分かった。純ちゃんに頼んでみるね」とわたしは請け負う。


 これで可恋が来てくれるのならお安いご用だ。


「実はさ、うちも祖母が来るって言い出してね」と可恋がうんざりした顔で話し出した。


「避難先を探していたんだよね」


「えー、せっかく会えるのに。久しぶりなんでしょ?」


「昨年末に引っ越す前に会って以来だから半年ちょっとかな。なんていうか……1時間会えばその後1年会わなくていいと思うような人だから」


 どれだけ個性的な人なんだろう。

 可恋は自分を振り回すタイプの人を苦手にしている。

 キャシー相手にも苦労しているが、肉親だと対応が更に難しいのだろう。


「純ちゃんがダメだったらどうするの?」と確認すると、「あー、もう、キャシーでいいや」と可恋は投げやりに答えた。


 キャシーは良い子だけど、トラブルメーカーだ。

 従兄弟や親戚一同が集まる中に爆弾を投下するみたいでとても怖い。

 わたしは純ちゃんを必死で口説こうと心に誓った。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学2年生。料理の腕も向上中。ただキャシーがいると可恋の手伝いができないので見せ場がない。


日野可恋・・・中学2年生。読書は本格ミステリが好き。最近は実用書ばかり読んでいたので、久しぶりに積んでいた本を消化できた。


安藤純・・・中学2年生。スイミングスクールのスケジュールや夏休みの宿題の進め方も陽稲にお任せ。


キャシー・フランクリン・・・14歳。半月振りの家族との再会。師範代から両親にいろいろチクられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る