第52.5話 令和元年6月27日(木)「想い」日野可恋

 いつも通りに目覚め、アラームを止める。

 自分のコンディションを確認する。

 体調はまずまずだ。

 しかし、精神面は万全とは言えない。

 横で寝ているひぃなの姿を見て少し心が癒やされるが、それでもすべてが払拭されるわけではない。


 原因ははっきりしている。

 病院に行くことが苦痛だから。

 検査の負担や待ち時間、医師とのやり取りといったひとつひとつの積み重ねもダメージとなる。

 だが、それ以上に病院では自分の無力感を強く意識させられる。

 学校や家での日常生活では自分で考え、自分で決め、主体的に生きている実感がある。

 病院での私は可哀想な病人であり、どんな言葉を持ってしてもそれにあらがえない。

 将来医師になって見返してやるといった子どもじみた妄想さえ許されない。

 免疫力に問題を抱える私にとって、医師はもっとも選択しにくい職業だ。


 朝の稽古に行くかどうか迷っているうちにひぃなが起きた。

 寝ぼけまなこに見えるひぃなから突然鋭い質問が投げかけられた。


「可恋は、どうしてファッションショーのためにそこまで頑張るの?」


 ニッコリと笑って「ひぃなのためだよ」と言ってしまおうか。

 そんな思いを見抜くような彼女の深い鳶色の瞳に、私はちゃんと向き合って答えることにした。


「たぶん、私は自分の能力を試したいんだと思う」


 これまでの人生のように、みんなの中に埋もれて生活していくこともできた。

 自分の力を誇示せずに、降りかかる火の粉だけ払えばいいと思っていた。

 面倒事を避けて、ルーティーンワークのような日常の繰り返しで十分。

 たまに寂しいと思うことがあっても、不満だなんて思わなかったのに。


「でも、ひとりじゃない楽しさを知った」


 知ってしまった。

 その楽しさを。

 その喜びを。

 人の欲は果てしない。

 知った後では、いままでの生活は色あせて見える。

 更なる楽しさ、喜びを求めてしまう。

 そして、それを失うことを恐れてしまう。


「ひぃなとふたり引き籠もって、ふたりだけで暮らすなんてできたらそれでいいんだけどね」と私は自嘲した。


 ひぃなでなければそれを願ったかもしれない。


 私はファッションに詳しいわけじゃない。

 しかし、ひぃなは優れたセンスの持ち主だと感じている。

 彼女は幼い頃からファッションに関心を持ち、その才能を伸ばす努力をしている。

 彼女は何よりファッションが好きだ。

 その上、抜群のコミュニケーション能力という武器も持っている。

 適切なサポートを受けられれば、デザイナーとして成功する確率は高い。


 ひぃなは特別だ。

 私には将来の夢なんてないけど、ひぃなの成功をサポートすることができれば。


 ひぃなには決して言わない。

 文化祭のファッションショーは私の夢の第一歩だなんて。


「わたしは……わたしは可恋が心配なの」


 ひぃなの真っ直ぐな思いが伝わる。

 心配を掛けていることは自覚している。

 頑張りすぎているということも。

 でも、ようやく目標ができて、頑張ることができていることに生きる実感を持てたことも事実だった。

 たとえ命を削っているとしても、この充実感は麻薬のような快感だ。

 ひぃなを悲しませないように自重しないとと自分に言い聞かせているうちに話は終わった。




 結局、朝の稽古に行くことにした。

 ひぃなとともに出掛ける準備をする。


「そういえば、ファッションショーのテーマはどうするの?」


「ひぃなに任せるよ」


 ひぃなに訊かれて、丸投げする。

 環境整備、人材配置、進行確認等は受け持つが、内容部分は担当者に任せよう。


「中学生らしさがあれば、あとは適当でいいよ」


「適当ってのがいちばん難しいよね」とひぃなが苦笑する。


 中学生らしささえあれば、あとはなんとでも誤魔化せる。


「さあ、行こう」


 ひぃなを促して外へ出る。

 私はいつものように気持ちを空手へと切り替えた。

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