13、愛妻
時 二〇二五年七月二十一日(月)海の日
場所 N市T区、自宅
八時に目覚めた。
「おはよう」
キッチンへ行くと、理恵が半熟の目玉焼きの皿をテーブルに並べ、顔を赤らめた。昨夜を思っているのだろう。理恵は、妻が使っていたキッチンを気にしていない。理恵の性格だろう・・・。私は理恵の放つ熱さを感じた。
「顔を洗って・・・、食べて・・・」
理恵の熱さを感じながら、はい、と答え、洗面所で顔を洗い、歯を磨く。
『ていねいに磨け。理恵は歯科衛生士だぞ』
わかった・・・。
相向いにテーブルに着いた。顔が熱い。身体の前面に理恵の熱さを感じる。
「嫌いな物は?」
理恵が私を見つめる。
サラダを見ながら私は答える。
「ないよ」
「塩分控えめにしたよ」
理恵がサラダを示す。
「うん、ありがとう。これ、うまいな・・・」
レタスやキュウリ、キャベツ、ニンジンの、ありきたりのサラダだが、ドレッシングがうまい。こんなドレッシングは無かったはずだ。作ったのかな・・・。いい味だ・・・。
私はサラダを食べ、トーストと目玉焼きを食べた。
「うれしいな、そう言ってもらえると・・・」
理恵はテーブルに両肘を乗せて頬杖をつき、私が食べるのを笑顔で見ている。
見られている手と唇が熱くなった。
「食べないの?」
私は手を止めて理恵を見る。
「食べるよ・・・。おいしい?」
理恵は笑顔でトーストを口へ運ぶ。
「うまい。ドレッシングがうまい。毎日は飽きるけど、夏はいい。秋は温野菜サラダがいいな。サラダ、全部、食べていい?」
「いいよ。うれしいな・・・」
理恵はそういってうつむいた。
私は理恵に、真夏の炎天下へ出たような熱さを感じた。理恵は、作った料理を「うまい」と言って、食べてもらったことがないらしい。
食後、使った食器を洗いはじめた。
「私が洗うのに・・・」
理恵が横に来て、少ない食器を二人で洗った。理恵の身体から熱さを感じ、思わず、私は理恵の頬に唇を触れた。
くすぐったい、という理恵。ポニーテールの髪から理恵の芳しい香りがする。なにか懐かしい香りだ・・・。何の香りだろう?
「疲れてないか?」
「疲れてないよ。だいじょうぶ・・・。SFを書くのが仕事なんでしょ?」
「よく、わかったね」
「うん、仕事場で本を見た時、わかったよ。今日、仕事は?」
「今日は、海の日、休日だ」
「なら、また・・・、あ、い、し、て・・・」
そう言って、理恵は頬を赤くした。
「今?」
「ううん、コーヒー飲んで、歯磨きしたら」
「ああ、いいよ」
「そしたら、休んでてね。コーヒーを持ってく」
「早く、俺たちの子供、生んでほしいな・・・」
私は理恵の耳元で言った。
いずれ妻にするんだ。いつ子供ができてもいい。
理恵の頬が赤くなった。
「うん、先生の子ども、生みたい。私も、がんばる!」
放つ熱さと芳しい香りが増した。
テレビのニュースで、
《台風が九州に接近して四国に上陸し、太平洋上へ抜けます。その後、朝鮮半島に停滞する前線が日本列島へ延びて大雨になります》
と報じている。
震災と原発事故の後は台風と大雨だ。この上、竹島や尖閣諸島に、韓国や中国が侵略したらたまらない。いったい日本に何が起ころうとしてるのか?
考えられるのは日本への戒め、政府への戒めだ。だが、そのために国民が被害を受けるのはたまらない。
いや、そうじゃないぞ・・・。
国民は政府の教育制度で洗脳されて骨抜きにされ、自分たちの本心を政府に要求しなくなってる。ゆとり教育などと巧妙に仕組まれた、反体制分子潰しに気づかなかった結果だ。やはり、日本国民への戒めか?それでも、民と国土は守らねばならない・・・。
台風の進路を変えて、人々を災害から守り給え・・・・。そう祈りながら、私は仕事場でテレビの音を聞きながら、タブレットパソコンの日記を書いた。
『日本に生じている災害と、それに付随する事故は、
「奮い立て国民、政府を建て直せ」
との警告だ。馬鹿げた政治を行っている政府が変わらぬ場合、現政府を解体して国民本意の新たな政府にしなくてはならない・・・』
「コーヒー、入れたよ・・・」
机の右側にコーヒーのトレイを置き、理恵が抱きつくように私の両肩に手を乗せた。理恵から熱さが伝わってくる。
私はコーヒーの礼を言い、理恵のくびれたしなやかで柔らかな腰に右腕をまわし、膝に座らせて日記を見せた。私は左利きではないが、左手でバーチャルマウスを使う。
「例の日記ね。台風が来てるんだ。被害が出ないよう、祈らなくっちゃ・・・」
理恵は小声で人々の安全を祈った。
「私、絶対に日記を他人に話さないよ。先生が世の中を変えるかもしれないから・・・」
「俺も他人には話さない。パソコンを売ってくれた永嶋さんも、日記は知らないと思う。
特に理恵さんのことは書かないよ。大切な人に何かあると嫌だから」
「うれしいな!理恵って呼んで、先生」
理恵の放つ熱さと香りが増した。
「先生はよしてくれ。省吾でいいよ」
「わかったよ、先生」
理恵は笑っている。
「気になることがあるんだ。昨日から右翼の街宣ヴィークルが来てない」
「右翼も、海の日かな・・・」
理恵は、タブレットパソコン見ながら、腕を私の首に絡め、胸を私の頭に押しつけている。
「先生は、私のどこが好き?」
私の首に絡めた理恵の腕が熱い。
「まず、優しく厳しいことを言うところ。細かに説明するけど、結構おおざっぱで、あまりこだわらないところ・・・。それと顔。ほくろがある横顔が好きだ。眼も鼻も口も・・・。手も好きだ。指がきれいだ。脚も長くてきれいだ・・・。それから、形の良い胸も、あそこも・・・」
頭を抱えられるようにしているので、理恵の顔は見えない。理恵の放つ芳しい香りと熱さで、理恵が頬を紅潮させているのがわかる。理恵の顔は綺麗だ。美しい。神々しい感じがする・・・。
私は日記の文章をUSBメモリーに保存して、理恵を抱きしめた。
「私の性格、いつ知ったの?」
「二十回くらい歯科治療を受けたから、なんとなくわかった」
私は、理恵に頭を抱えられて受けた、歯科治療を思いだした。治療を受ける時、目を閉じていたが、理恵がどんな姿勢で治療していたか、感じでわかった。
「ああ、あの時ね・・・」
理恵は私の頭側に座り、胸を私の頭に押しつけて治療していた。そのことを思いだしたらしく、理恵の放つ熱さが増した。さらに頬を紅潮させているらしい。
『胸をくっつけたかったんだぞ、省吾に』
「あの時、先生は、私をどう思った?」
「いつも疲れているみたいだから、気になってた・・・」
私はタブレットパソコンの電源を切った。
「苦労させる奴が許せなかった。近くに居て、何とかしてやれたら、と思ってた」
私は立ちあがり、あらためて理恵を抱きしめた。細身の理恵は私の腕の中に隠れてしまいそうだ。
窓越しに、家の北西側の市道を歩く、見慣れぬグレーのスーツの男が見える。
窓ガラスは電圧偏光してある。外から中は見えない。
男は陽射しを浴びながら、こちらを見て歩いている。よそ者は家の北西側のこの市道を車で通りぬける。歩くのは見知った近所の者ばかりだ。男の背後を白のボックス・ヴィークルが徐行している。
『省吾、顔を見せて・・・』
理恵が私の向きを変えた。左側に窓の外を見ていた私は、理恵を見る向きに変わった。
「ね、居間へ行こう」
理恵は腕を解いてトレイを持った。
「うん」
理恵と居間へ移動すると、オープンキッチンの窓越しに、ポートに入ってくる二台の街宣ヴィークルが見えた。これまで街宣ヴィークルはT通りに停止していた。ポートに入ってくるのは今度がはじめてだった。
「不法侵入してる。警察に取り締ってもらう」
「うん・・・。向うから、こっちは見えるの?」
「外から家の中は見えないよ」
私は居間のセキュリティモニターを映像表示外部通信にし、窓際の壁にある操作パネルとセキュリティモニターを示した。
操作は各窓の操作パネルか、各部屋のセキュリティモニターの集中窓操作表示を押せばいい。遮光モードが〈中⇒外〉は黄色のインジケーターが点灯し、中から外は見えるが、外から中は見えない。〈中⇔外〉は赤でどちらからも見える。〈中×外〉は青で、どちらからも見えないが、採光してるから室内は明るい。
窓と壁と天井は防弾防音と断熱と電波遮蔽してある。
窓の遮光モードが黄色だと、音が聞こえなくても視覚的にうるさい時もある。
「なら、青にしていい?」
「いいよ」
理恵は操作パネルで、すべての窓のインジケーターを青にした。
「T区T通りの田村です」
N県警のN警察署に回線がつながり、私は担当の女性事務官に説明した。
「右翼の街宣ヴィークルが二台、私のポートに無断侵入してる。取り締まってください。退去するように、私一人で話すのは危険なので、まだ何も話してません。今まではT通りにいたんですが・・・」
「ポートは離着陸ポートですか?」
ほとんどのヴィークルがローター・ジェット・ウィングを装備しているが、緊急時を除き、市内は飛行禁止だ。
「離着陸ポートがある大型の走行ポートです。街宣ヴィークルは走行侵入しました」
「いつから現れたのですか?状況をくわしく教えてください」
「大政同志会の近藤と名乗る男が、政府の政策批判するな、と通信してきたのが六月三日で、それ以後からです」
「大政同志会は危険ですから、外に出ないでください。ただちに警官を行かせて取り締らせます・・・。
近くを巡回ヴィークルが走行中です。まもなく到着します・・・。
それと、当警察署からお願いがあります。担当と代ります。しばらくお待ちください・・・」
「刑事の佐伯です。違反ヴィークルの取り締りに、田村さんのポートをお借りしたいのです。定期的に使えば、街宣ヴィークルは進入できなくなると思います。いかがですか?」
私は理恵を見て佐伯の言葉を確認した。
「交換条件ですか?」
外部通信は理恵にも聞こえている。理恵は私の意図を理解してうなずいた。
「そうではありません。T通りぞいは、警察ヴィークルを停める場所がないんですよ。
お宅のポートは広くて、家の陰にヴィークルを隠せる。好条件がそろってます。
週に一回か十日に二回、平日だけです。週末は渋滞します。取り締る必要はありません」
佐伯は穏やかに説明している。
「待ってください。愛妻に確認します・・・」
私は理恵を見た。
理恵は驚いたままうなずいている。
先生は以前から、私を妻にしようと考えたんだ・・・。愛妻と呼ばれた驚きとうれしさと、通信相手に対する恥ずかしさで、理恵の顔が赤くなっている。
「ポートを使用する旨を、書面にしてとどけてください。それなら使ってかまいません」
「契約書をとどけましょう。大政同志会の近藤で、気になる情報があります。しばらくの間、特務部警護班の警護ヴィークルに、田村さんを警護させましょう。まもなく、巡回ヴィークルがそちらに到着します。
今日は巡回ヴィークルが取り締ります」
「ありがとう・・・」
「それでは、また・・」
通信が切れた。
理恵は顔を赤らめたまま、オープンキッチンの窓の遮光モードを黄色にした。
T通りの南に、三台のパトロール・ヴィークルが現れた。
ポートの二台の街宣ヴィークルが急発進し、T通りを北上した。
二台のパトロール・ヴィークルが街宣ヴィークルを追跡し、一台がポートに入ってきた。もしもの場合に備え、待機する気らしかった。
理恵はふたたび遮光モードを青にし、空いたコーヒーカップとトレイをキッチンに置いてもどると、私に抱きついた。
「歯磨きしてから、やさしく愛して・・・」
理恵の身体が熱い。
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