12、ベッドへ連れてって

 時   二〇二五年七月二十日(日)二十一時過ぎ

 場所  N市T区、自宅



 二十一時過ぎ。

 理恵は何かをふっきるように、妻が用意した真新しい下着とパジャマを持って風呂へ行った。


 進行が早すぎないか?

『早くない。十分もすれば、菅野はマンションに着く。ケイコも、同じように風呂に入る。

 菅野は気づいていないが、理恵はケイコと似た所がある。菅野と十年も暮せば、理恵は、今のケイコのようになるはずだった・・・』

 はずだったって、十年後の理恵も、ケイコのようになるのか?

『お前と暮せばそうはならない。良い方向へ進む。テロメアの型が一致してる。テロメラーゼの分泌が促され、良い方向へ進む』


 ふうっ、安心したぞ・・・。テロメラーゼって、どういうことだ?

『分子記憶だ。大筋は、お前が作品中で考えているとおりだ。これからは、理恵を頼むぞ』

 わかった・・・。

 私は、理恵が風呂から出たら、野菜ジュースを飲めるよう、グラスを冷凍庫で冷やし、理恵を待った。



 歯科治療の最初、私がまぬけに見えたのだろう。理恵は私の気を害さぬよう、治療法を言い訳のように説明した。

 当初、私は、歯ブラシの使い方を教えようと、私の歯を磨いてみせる理恵を見くだした。私を年寄り扱いしていたからだ。

 だが、一生懸命な理恵に気持ちは変わった。理恵は魅力的な眼をしてる。横から見た鼻の高さはマスクをしていても他より高く、マスクの下の整った容貌を想像できた。

 理恵は通り一遍の治療法を説明し、他は知らぬふりをした。あの時、理恵は私の変化を見ぬいていた・・・。



 一時間ほどたっても、理恵は風呂から出てこなかった。脱衣所へ行って声をかけたが、返事がない。私は思いきってドアを開けた。


 束ねた髪を頭上にピンでとめた理恵は、湯に浸かったまま浴槽の縁にもたれ、声をかけても起きなかった。

 妻もしょっちゅう浴槽で居眠りした。妻の娘もだ。浴室は女に共通する精神状況を醸しだす所のようだ・・・。

 そんな事を考えながら、何度も声をかけると、やっと理恵は眼を開けた。

「眠くて動けないの・・・。ベッドへ連れてって・・・」


 アルコールだけじゃない。これまで溜まった全てが身体から染みでてる。

 私は浴槽に入って理恵を立たせ、バスタオルに包んで抱きかかえた。理恵の身体から放つ熱さを感じたが、湯はぬるめで、のぼせた様子はなかった。


 理恵を仕事場の隣の、私の寝室へ運び、手早く身体を拭いてベッドに寝かせた。脱衣所から取ってきた下着を着せ、パジャマを着せた。体調が心配で裸体など見る暇はない。首筋に指を当てると、心拍は安定している。呼吸も正常で熱はない。酔って眠っているだけだ。このまま寝かせよう。


 私はサイドテーブルに飲み水を用意し、理恵の衣類と荷物をソファーに置き、洗濯物をネットに入れて洗った。このままだと、理恵は明日、仕事を休まねばならない。

『明日は海の日で、休日だぞ』

 そうだった。



 居間にもどった私はバーベキューの残りをつまみ、ビールを飲みながらTVのニュースを見た。

 二度にわたる原発事故で国土を喪失したにもかかわらず、政府は原発停止を宣言するだけで、全面完全廃止を宣言しなかった。

 マスコミは、山田総理が語った原発の代替エネルギーを論じて経済利害だけを述べ、放射線汚染で国土を損失させて国民財産を奪った電力会社と政府の責任を、追求をしなかった。


 私はビールを持って仕事場へ行き、タブレットパソコンの日記を書いた。

『あいかわらず、テレビ関係者も専門家も、正義に基づいた発言より、権力と財力に密着した発言をしてる。

 国民をないがしろにして経済利益を追求する国家に、未来はない。その一語につきる。

 国民生活を考えず、馬鹿ばかり言っている内閣と政府の人間を、すべて更迭せねばならない。内閣にしろ政府にしろ、国民を思う首長を探さねばならない。そして、震災復興をしなければならない』


 私と理恵との生活が思い浮かんだが、日記には書かなかった。方向づけだけをして、以後は何も思わないのが、我家に伝わる、良き体験をする秘伝だ。



 二十四時すぎ。

 仕事場と居間の照明を薄明かりにし、仕事場の仮眠用ソファーベッドに入った。このベッドは、出版社の者が日頃の睡眠不足解消に使っているだけだ。

 トイレは、仕事場と、隣接した私の寝室、妻の寝室、客間と居間の五か所にあり、理恵がトイレに行くのに居間の照明は必要なかったが、初めての家が暗いと、何かと不安を感ずると思え、照明を消さずに光量を少なくしていた。


 深夜一時すぎ。

 人の気配と熱さを感じ、私は目覚めた。ベッドの横に、生成りの綿のパジャマの理恵が長い髪を背に垂らしたまま、素足で立っていた。

「どうしました?」

「すみません。ベッドを使ってしまって」

「気にしないでください。気持ちは悪くないですか?」

「ええ、だいじょうぶ。久しぶりに良く眠りました。あの・・・」

 理恵は何か言いたそうにしている。

「野菜ジュースを飲みますか?酒の後にはいいですよ」

 私は身を起こした。理恵を居間へ連れてゆき、のんびりするように言って座卓の前に座らせた。オープンキッチンの冷蔵庫から野菜ジュースのパックを取り、夕方用意したグラスを冷凍庫から出して居間の座卓に置いた。


「お風呂から運んでくれてありがとう」

 湿気が凍りついたグラスに野菜ジュースを注ぐと、グラスを見ながら理恵が言った。

「溺死しなくてよかった。体調が悪ければ救急車を呼ぼうと思って、急いで身体を拭いた。パジャマを着せたあとで、眠ってるだけと気づいた。溺れたんじゃないかって、あわてたよ。衣類は洗ったから、明日には乾く・・・。裸は見てないよ・・・。ジュース、どうぞ」

私はジュースのグラスを理恵の前へ置いた。


 グラスを手にして、理恵は私を見つめた。理恵の放つ熱さが増して、芳しい香りがする。

「見ても良かったのに・・・」

  理恵は目を伏せた。ふたたび私を見つめ、ごく自然に、

「今、見る?いっしょに暮らすんだから、早いか遅いかの違いだけだよ。

 相性とか性格なんて、時間かけてもわからないよ。

 だからお願い。お互い、ふつうに話したいな」

 と言った。

「わかった・・・」

 私は当惑した。


 理恵は、くすっ、と笑い、

「もう一度お風呂に入りたい。いっしょに入ろ」

 ジュースを飲みながら、私を見ている。

「うん・・・」

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