◆第七章-白と黒の境界線-

第23話*辿り着く先の相違

 ベリルはリュートが監禁されていた地下牢で闘ったときと同じやり方で剣を盾に、セルナクスの剣を受け止めた。

「なるほど」

 リュートはそれに感心するが、そのデメリットに苦い表情を浮かべる。

 普通の人間があれをやれば、腕が痺れてしばらく使い物にならなくなる。なのに、あいつの腕はダメージを受けていない。

 あの状況で、咄嗟に衝撃を分散させられるほどの経験を積んできたということか。

「──っ知恵だけはあるようだな」

 セルナクスは苦々しく言い放つ。けれど、眼下の人間は表情もなくこちらを見上げていた。

「よく鍛えている」

「なんだと?」

 よもや人間からそんな言葉が紡がれるとは思っておらず、腹立たしげに目を合わせると言いしれぬ感覚にゾクリとしてベリルから素早く距離を置いた。

「人間のくせに」

 目を眇め剣を払うが、僅かに体を後退させただけで避けられてしまう。チビなりに頭を使っているのかと、湧き上がる悔しさを感心にすり替えた。

 しかし、これだけの体格差なら当たりさえすればこちらの勝ちだ。いつまでも避けられると思うなよ。

「己が有利だと考えるのは誤りだ」

「抜かせ」

 セルナクスの思考を察したベリルに鼻を鳴らす。

 確かに、チビな分だけ動きは速い。それに、こいつ──マノサクスはベリルの動きに若干の警戒をしていた。

 気の迷いかもしれないが、翼を狙われているように思われて集中できない。

「何やってんだよ、セルナ」

 マノサクスは友の動きに苛立ちを覚え舌打ちをする。

 今でこそマノサクスは自由気ままな生活を送っているが、幼なじみである二人は互いに腕を競っていた時期があった。

 一時期は兵士だった事があるものの自分には合わないと止めてしまい、近衛隊長にまで上り詰めた友の勇姿を誇らしく思っていた。

 本来ならベリルを応援しなければならない立場なのだが、初めて見る友の姿に歯がゆさが募る。

ベリルの動きに惑わされている」

 リュートは表情を苦くした。

 無駄が無いように見えて、誤った方向に誘導する動きを瞬時に挟み込んでいる。それに気付けば、多少なりとも対策は立てやすい。

 とはいえ俺でもその誘導、全てに対応出来るかあやしいものだが。

 無意識に反応する己の動きを律するのは難しい。あいつベリルは、相手がどう訓練してきたかを瞬時に推測し、それによってつちかわれてきたものと従来、人が持つ条件反射を誘発する動きをする。

 忌々しいが──

「やはり、強い」

 あの有翼人がどれほどの強さなのかは解らんが、あいつベリルの動きを切り返せるのか。

「──この!」

 受け止めるなら、それ以上の力で負かしてやればいい。

 セルナクスは力の限りに剣を振り下ろした。

 けれど、受け止めるはずのベリルの剣はぶつかる瞬間、セルナクスの刃をなぞるように傾けられ互いが擦れて小さい火花を散らす。

「なん──!?」

 ベリルはすかさずバランスを崩したセルナクスの背後に回り、体勢を立て直そうとするその腰にひじを打つ。

「ぬあ!?」

 セルナクスはそのまま倒れ込み、気がつけば首もとにベリルの切っ先が突きつけられていた。

「まだやるかね」

 その瞳に躊躇いはなく、決断すれば間違いなくその切っ先を突き立てる覚悟がある事を理解した。紛れもなく闘い慣れた人間だ。

 端正な面持ちに惑わされていた自分が情けない。

「いいや」

 負けを認め、差し出された手を取った。

「人間のくせに、やるもんだ」

「勇者だよ」

「は?」

 マノサクスに顔をしかめる。

「ベリルは勇者」

「なんだって?」

 実は三人いる事を告げられたセルナクスは目を丸くしてベリルに視線を落とした。

 なるほど、だったら頷ける。これまで人間に負けた事がない訳ではないが、これほどの妙技には出会ったことがない。

「しかし、勇者という割には凄いパワーがあるようには見えないな」

「私も未だに疑問ではある」

 私にそのような力はない。

 皮肉交じりに言ったはずが、勇者本人からの言葉にセルナクスは絶句した。

「あの」

 ひとまず落ち着いた空気にティリスは戸惑いつつ口を開く。

「本当に、この大陸は落ちるの?」

 不安げなティリスの瞳にセルナクスは目を伏せる。

「レイノムス様の説明に偽りはない。このままいけば要石の亀裂は大きくなり、やがて砕け散る」

 ウェサシスカが地上に落ちれば、古の知識はすたれてしまう。

「俺たちの命でそれを阻止すれば満足か」

「え?」

 リュートの怒りを帯びた声に驚いてセルナクスを見上げると、彼は眉を寄せて視線を外した。

「ウェサシスカは上空にあるからこそ古の大戦にも巻き込まれず、その叡智で世界を支えてきた」

 この大陸を、絶対に落とす訳にはいかない。

「どれほどの犠牲を払ってもか」

 抑揚のないベリルの言葉に奥歯を噛みしめる。

「ある程度の理解は出来る」

 この世界とは関係のない命を奪うという責を負う覚悟があった事は認めよう。

「だが同時に、マノサクスの行動も間違いではない」

 互いが正しいと信じて起こしたことだ。仮に、二人に犠牲を強いていたならば、その代償は支払ってもらうつもりだったがね。

 その言葉が嘘ではない事をセルナクスは重々、感じていた。

「一つ、尋ねたい」

 それにセルナクスは向き直る。

「強い勇者の力が必要だと魔導師が言ったのか」

「そうだ」

 古からリャシュカ族と魔導師たちはこの大陸と世界を支えてきた。彼らの言葉を信じない理由はない。

「そうか」

 それを聞いたベリルは、ゆっくりと要石がある部屋の扉をくぐる。一同はそれに誘われるように後に続いた。

「触ったら痺れるよ」

 マノサクスは要石に手を伸ばしたベリルに注意を促したが、何故かそうはならなかった。

「あれ? なんで?」

 好奇心で触ったときは凄く痺れたのにと首をかしげる。

 岩はひんやりとした手触りで心臓の鼓動に似た振動が手から伝わってくる。すると、ベリルが触れた箇所から淡い光が差し、さらに光はその強さを増して、それは要石全体を覆った。

「──っなんだ?」

 輝きを増していく要石にセルナクスは息を呑む。

 次第に微かな金属音が耳に響き始めると、その輝きは一気に放たれて空間を満たした。閉じた瞼を開くと、要石は元の淡いブルーの輝きをまとい何事もなかったようにたたずんでいた。

「一体、何が」

 こんな事は初めてだとセルナクスは要石を見つめ、すっかり元通りになっている事に呆然とした。

「もしかして、力の強い者じゃなくてさ」

 心の強い者だったのかな──つぶやいたマノサクスを一瞥し、セルナクスはベリルに視線を戻した。

「強き者……。そうだったのか」

「単にあいつベリルが不死だからじゃないのか」

 確かに腹が立つほど図太い奴だが。

 リュートは二人のリャシュカ族の驚きにやや呆れ、口の中でつぶやいた。

「そうなのかな。それだけかな」

 隣にいたティリスは聞こえたリュートのつぶやきに、同じように小さくつぶやいた。

 要石はベリルの不死性を求めたことは間違いじゃないと思う。けれど、それなら魔導師たちが強き者と予言するだろうか。

 とはいえ、この世界の人間ではないティリスたちが魔導師の能力ちからについて知っている訳ではないのだから、その思考は自分たちの心中に留めておく事にした。

 ベリルは安定した事を確認し、ゆっくりと手を離す。

「大丈夫か」

「しばらく動けそうにもない」

 本当に動けないのか、声だけをセルナクスに返した。

「あたしの力が必要?」

「そうしてもらいたいのは山々なのだがね。そういう問題でもなさそうだ」

 気遣うティリスにも声のみで対応する。

「外側を維持するだけで精一杯でね」

「え?」

「骨格以外はスカスカだ」

 体を維持するため、内部の組織をエネルギー化して要石に吸収させたようだ。これがベリル本人の意思で出来るものではない事が厄介である。

 内臓はすぐに構築されたようだが、筋組織は状態を保つだけの分しか残っていない。

 なんとかバランスを取っているものの、このままでは崩れてしまう。死ぬ事はないが、かなりきつい。

「すまないが、腰の袋にある金属を一つ頼む」

「え? 何するの?」

 マノサクスはひとまず触れないように傍に寄る。

「口に入れてもらえるか」

「え!?」

 それに驚き伸ばした手を引っ込めて一歩、後ずさる。

「そんなの食べるの?」

 さすがにそれはと苦笑いを浮かべた。

「早くしてもらえんかね」

 体内の構築に衣服や装備を使われかねない。ここで裸体を披露するつもりはない。

「でもさ~」

 リュートはふと、小銭を入れた袋の中に渡し忘れていた空薬莢からやっきょうがある事を思い出し、それを手にしてまごつくマノサクスの間から手を伸ばした。

「お」

 ベリルは真鍮の小さな筒が視界に入り、顔を少し右に向け放り込まれた空薬莢をどうにか飲み込んだ。

 動いたせいでバランスを崩してしまい倒れかけたとき、伸びてきたセルナクスの腕に抱き留められる。

「ありがとう」

「いや。俺たちの方こそ、助けられた」

 君は何者なんだ。

「勇者らしい」

「いやまあ、そうだろうけど」

 はぐらかそうとしているよな。

「ベリルは不死なんだよ」

「不死?」

 マノサクスの言葉にベリルを見下ろすと、当の本人はただ笑っているだけだった。



 ──しばらくして、三人は改めて評議長レイノムスの元に招かれる。

「誠に申し訳ない」

 詳細を聞いたレイノムスは深々と頭を下げた。

「それが正しくても実行したんだろう」

 怒り冷めやらぬリュートはレイノムスをぎろりと睨み付ける。そこにいた兵士たちは、それに強ばった表情を貼り付けた。

 レイノムスはばつの悪そうに苦笑いを返しベリルに目を移す。

「貴殿の助力で大陸は救われた。本当になんと礼を言っていいか」

 それにベリルは軽く手を上げて応える。

 最も大きな部屋はリュートが破壊したことにより現在は修復中であるため、一同はこぢんまりとした部屋で食卓を囲んでいた。

 謝罪を兼ねての晩餐ばんさんは、レイノムスとの初対面時とは打って変わっておごそかに進められた。

 ティリスは見るからに美味しそうな料理を見やり、笑顔でナイフとフォークを手にする。

 今回の貢献者をセルナクスがレイノムスに報告したため、それをたたええて席を用意されたマノサクスは、どうして自分がここにいるのか解らないと目を白黒させていた。

 セルナクスは居心地が悪くて目を泳がせているとふと、視界に入ったベリルを凝視した。

「おお……」

 ものすげえ上品だなおい。そりゃまあ、これだけ綺麗なら納得いくけど。

 戦場ではマナーなどに構ってはいられないが、こういう席でのベリルは染みついた癖とでも言おうか、幼少の頃に学んだ食べ方が自然と出てしまう。

 ──食事の間はあまり会話もなく、食べ終えるとティータイムに入る。

 出されたティカップを傾けると、ダージリン・ティーと違わぬ風味が口の中に広がり、ベリルは感心すると共にその香りを楽しんだ。

 レイノムスは意外に好奇心が強いのか、ティリスたちやベリルの世界についてよく質問をした。

 けれどベリルは武器についての質問には一切、答えなかった。

 ベリルには特殊な力が無い事を聞き、それならば強力な武器を持っているだろうと考えてのものだろう。

 自身の世界でさえ持て余している兵器を、余所の世界に持ち込む事は出来かねる。道具は使う者次第と言えども、全てを善し悪しの境界線で引ける訳ではない。

 使う者が正義の意思のもとで使用しても、別の視点では悪になる事など珍しくはない。むしろ、そうである事が必然とも言える。

 評議会の決定もマノサクスの行動も、その一つだ。視点が違えば立ち位置も変わる。どちらが悪とも正義とも言い切れない。

 故に、他者に犠牲を強いた事に怒りを感じても、ベリルにそれを責める感情はなかった。

 仮にセルナクスがそれを実行していたならば、ベリルは己の意思で彼らに対する何かしらの行動を起こしていたかもしれない。

「客間を用意した。今夜はぐっすりと眠られよ」──三人はレイノムスと別れて部屋に案内される。

 ベリルとリュートは同室を宛がわれ、ティリスは別室に促された。

 とはいえ、壁を隔てた隣の部屋なのでリュートはそれに安堵する。室内は丁寧に整えられており、それなりに特別な客向けの部屋だと窺えた。

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