2.33 アラン師匠の告白

 クリスが言っていた『建物』は、湖から少し離れた森の中にあった。


「これは」


 手慣れた様子で古そうな木の扉を開けたクリスの後ろから、少し呆れたようなアランの声が響く。


「聖堂、か」


 石造りの、少しだけ細長い空間の奥に見えるのは、一段だけ高くなった場所と、北の星を模したステンドグラス。北辺ほくへんの修道院やサシャが寄宿する修道院付属の聖堂に比べれば格段に小さいが、アラン師匠の言う通り、ここは確かに、サシャ達が信仰する神を奉る場所。


「昔は、ここにも漁師の村があったって、マルクさん、前に言ってた」


 『本』であるトールを抱えたまま、石壁に辛うじて残っている松明立てに松明を差し込んだクリスが、アランの方を振り向いて床を指し示す。少しだけ明るくなった床には、漁師の親方であるマルクが舟に乗せているものと同じ網の塊が二つ、見えた。


「この網の上、座って大丈夫か?」


 その網の山の一つにサシャを横たえるように座らせたアランが、クリスの方を向いて尋ねる。


「マルクさんは怒らないと思う」


 クリスの言葉に頷くと、アランはサシャの濡れた服にその太い指をかけた。


「松明になりそうな物、あるか?」


 脱がせたサシャの服を、クリスが引っ張ってきた今にも壊れそうなベンチの上に投げながら、アランがクリスに尋ねる。


「あった!」


「じゃ、それに火を移して、マルク達にサシャの無事を伝えに行ってくれ。で、サシャの着替えも頼む」


「分かった」


 びしょ濡れの服が並んだベンチの横にトールを置くと、クリスは手早く松明をもう一つ作り、作った方の松明に火を灯すとそのまま暗い外へと出て行った。


「気をつけるんだぞ」


「大丈夫だって」


 生意気な声が消えると同時に、辺りの空気が冷える。


「サシャ」


 裸になったサシャの細い身体を羽織っていたマントで包むと、アランは弱くなったように見える松明の火を確かめ、そしておもむろに自分の上着を脱ぎ始めた。


「気持ち悪かったら、言ってくれ」


 何をするつもりなのだろう? 身構えたトールの前で、上半身だけ裸になったアランは眠るサシャの横に座る。サシャを包んでいたマントを外してサシャを抱き寄せたアランに、トールははたと手を打った。マントで温めるよりも、人間の体温を使った方が、サシャが助かる確率は高くなる。


「サシャ」


 体温を取り戻したのだろう、薄目を開けたサシャに、アランが小さい声で語りかける。


黒竜こくりゅう騎士団の団長、覚えているか?」


 アランの腕の中で頷いたサシャに、トールはほっと胸を撫で下ろした。


「昔、あいつが溺れかけた時も、こうやって温めて助けたんだ」


 そのトールの耳に、独り言のようなアランの声が響く。


 アランの母は、東雲しののめの王族。東雲を治める現王とは兄弟になる。制約の多い王族の生活を嫌ったアランの母は無断で東雲を飛び出し、帝華ていかで官僚の道を進み、その過程でアランの父と契りを結んだ。その二人の次男として生まれ、父の曾祖父の名前である『アラン』と母の高祖父の名前である『ヴィリバルト』の二つの名前を授けられたアランは、父母が仕事を優先していたという事情もあったからか、東雲の王族が暮らす『東都とうと』の王宮に預けられることが多かった。少し年下の、アランの母がアランに高祖父の名前を授けたことを知らなかったが故にアランと同じ名前を授けられた従弟であるヴィリバルトとは、小さい頃からの知り合い。


「あいつは、昔から人の心を見透かしたような言動が多くてな。あいつのこと、気味悪がる奴も多かった」


 再びうとうとし始めたサシャの髪を、アランの大きな手が撫でる。


「あいつも、増水した川にわざと飛び込んだり、無謀な盗賊退治に出掛けたりで、見張るのも大変だった」


 次に響いたのは、告白の言葉。


「でも、俺は、……『契りを結ぶ』のならあいつが良いと、思っていた」


 だが、『他人とは異なる能力を持つ王族を神帝じんてい候補に選ぶ』という東雲の慣習により、ヴィリバルトは神帝候補に選ばれた。神帝・神帝候補には『代理』がいないため、神帝候補になった者とは契りを結ぶことができない。その絶望を忘れるために、アランは東雲を、ヴィリバルトの許を離れ、帝都での学問に邁進した。


「そこで、何もかも忘れて勉学に打ち込むことができれば良かったんだけどな」


 自嘲の笑みに、思わず身構える。


「大切な人と一緒に居たいという想いが、徒になることもあるんだな」


 帝都で医学の道に進み、教授資格のための研究を進めていた時、同じように研究を進めていた仲間の一人に、アランは強い感情を抱いた。契りを、結びたい。その感情をアランが吐露する前に、彼には、彼をいつも手伝っている、契りを結ぶことを約束した友人がいることを知った。共に研鑽を重ねる友人達は、大切な存在。その彼らが、アランの激情を知ってしまったら、どうなる? 苦悩の果てに、アランは、帝都を離れるために教授への道を捨て、『冬の国ふゆのくに』へと赴く修道士に志願した。


「バカだな、俺は」


 消えかけた松明の光の下、首を横に振って嘯くアランに、トール自身が重なる。


 言葉が、出ない。


 話すことを話してしまってすっきりしたのだろう、眠そうに首を垂れたアランの小さくなった影を、トールはただただ見つめ続けた。

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