第66話 縮図
「すみません。ちょっとおトイレに行ってきます」
韮沢さんは、今後の対策として、韮沢さんがいない時にはマスコミに何を聞かれても答えないように、と利喜人くんに釘を刺して退出した。それと入れ違いに、中央署の馬場と野々村が控え室を訪れた。
柊木奈津子は韮沢さんを記者会見に同伴させたもう1つの理由は、マスコミや世間の誹謗中傷から守るだけではなく、警察から守るためと言っていた。
当初、警察を呼ぶ予定ではなかったが、声をかけた新聞社から漏れて、野々村の方から連絡が来た。
『被害者を守るためにも、こういう記者会見を非公式にやることは見過ごせない。警察からの発表として同伴させてほしい』
そういう内容だった。彼らが守りたいのは、私たちやみずきのことではなくて、彼らの
馬場と野々村の訪れるタイミングも、韮沢さんが退室するのを見計らってのことかもしれない。
ここには頼みの綱の柊木奈津子はいない。マネージャーの橋口さんが矢面に立とうと、警察の前に立ちはだかる。
「許可はしてません。ご退室ください」
「あなたは、関さんとどういったご関係の方ですか?」
野々村は橋口さんに、そう詰め寄る。
橋口さんは、柊木奈津子のマネージャーで韮沢弁護士の仲介役と答えた。
「では、身内の方ではないんですね。少し席を外していただけますか?」
野々村のぐうの音も出ない物言いに、橋口さんは一瞬後退りしたが、何か私がいると不都合なことでも話されるのですか?と立ち向かった。
「間違った情報を拡散しないためにも、部外者の方には遠慮していただきたいのですが」
「関さんは私たちのクライアントでもあるので、私どもは部外者ではありません」
流石いつも柊木奈津子に鍛えられているのか、きっぱりと言い切った。それに引き換え、トイレで不在じゃあ、韮沢さんは屁の役にも立たない。
野々村は馬場と顔を見合わせる。相変わらず馬場は愛想のない顔をしていた。
「それでは、今後の捜査について少しお話ししますが、2、3、お伺いしてもよろしいですか?」
お話しすることはありません、橋口さんは声を張ったが、野々村はそれを無視して話し始めた。
「それでは質問をやめて、今後の捜査方針を話します。みずきさんの捜索は、誘拐事件と事故の両面で捜査をしていきます。こういうメディアでの公開捜査となると、ありとあらゆる情報がテレビ局、警察署に届きます。嘘の情報も集まり、収拾がつかない状態になりえます。個人情報などは簡単に漏れ、面白半分であなたたちにも悪戯電話がかかってくるかもしれません。固定電話の線を切っておくことをお勧めします。携帯も知らない電話番号のものは出ないようにしてください。テレビ局、警察署に届いた情報をこちらで精査して信憑性の高い情報であればお伝えしますが、不必要な心労をかけないためにも、全ての情報は控えさせてください。ご家族は、1つでも多くの情報を知りたいという気持ちでしょうが、ご協力お願いします。また、何が気づいたこと、不審に感じたことがありましたら、小さなことでも漏れなく、我々に連絡ください」
野々村は淡々と話した。ゆっくりではあるが、こちらが言葉を挟む隙のない口調だった。要は、情報は教えない、だが何か情報があれば教えろ、ということを釘を刺された。
「橋口さん。柊木さんの事務所にも情報が届くと思いますが、ご協力お願いします」
野々村は橋口さんと、利喜人くんに電話番号が書いてある名刺を渡した。馬場は終始、面倒臭そうな視線を向けてくる。こういう輩は、事件が解決することより、出世のことしか考えていない。私たちの勝手で、自分の経歴に傷がつくことが気に入らないのだ。迷惑そうなのが顔に出ていることを隠そうともしない。
「野々村。先に車に戻っているから、手短に」
そう言って、私たちに目もくれず
「失礼致しました」
野々村は上司の無礼を謝罪した。ああいう人間が上にいるから、市民は警察を信用しない。私は派遣会社でいろんな会社で正社員の人を見てきたが、一般の会社で馬場みたいな奴をいっぱい見てきた。上に媚び
でもそういう人ばかりではない。上も立てて、下にも気を回せる器用な人もいる。野々村みたいな人だ。だからと言って野々村みたいな人間が信用できるかいうと、こういう人の方が侮れない。警察が組織としてどんな形がいいのか私は知らないし、私が警察で働くこともないので、誰が上司だろうが知ったことではないが、多分馬場みたいな人は野々村みたいな人に寝首を掻かれることは間違いないだろう。
なにかフツフツと煮え
「柊木さんのクライアントとおっしゃいましたが、どのような経緯でご相談されることにしたんですか?」
不意に野々村が訪ねてきたのを、橋口さんが遮った。
「質問はしないんじゃないですか」
橋口さんが必死で抵抗する姿を、一瞬蔑む目で見たが、瞬時に表情を変え、申し訳ありません、と謝罪した。
「では、何かあれば、ご連絡ください」
野々村が踵を返し、控室のドアを開けようとすると同時に、韮沢さんが戻ってきて、アンタたち何してるんだ、とえらい剣幕で
「なんですか!私のいない時に。ちゃんと私を通してからにしてください。訴えてもいいんですよ」
脅迫にも取られかねない大声を出す韮沢さんを、野々村はこれから私たちを守るために情報は共有しましょう、と話をはぐらかして
韮沢さんは、控室から出る野々村の背を見送り、まったく、と憤怒した声を上げて隅の椅子に座った。その芝居染みた動作を、私は心の中でせせら笑った。出て行くタイミングといい、戻ってくるタイミングといい、あれは計算だ。意識的か無意識なのかわからないが、自分に都合のつかない場面を回避する能力がある人だ。ギャーギャー言ってらだけで、参加してる風の人。
ギスギスした世の中では、こういう人が生き残る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます