第21話 通報

「ねえ、警察に電話しよう」


 もう1度、利喜人くんの肩を揺すって懇願した。


「そのうち帰ってくるよ。待ってれば、前みたいに補導されて交番から連絡来るって」


 利喜人くんは呑気にテレビを見ながら、ポテトチップスを食べていた。ひかりが寝てしまったので、することが無くなってしまったようだ。


「その時、虐待疑われたじゃない」


「大丈夫だって。誘拐とか事故とか、そんなの滅多にあるもんじゃないって。それにね、虐待だってね、ワイドショーの世界だけ。騒ぎ過ぎなんだよ。子供叩いちゃダメ、お仕置きしちゃダメなんて言ってるから、躾の悪い子供が増えちゃうんだよ」


「3日は、さすがに不自然よ。そんな放っておいたなんて言ったら、絶対疑われちゃうよ。いいの、そんなことになったら、利喜人くん虐待で逮捕されちゃったら、ひかりと離れ離れだよ」


 私もずるい言い方なのだが、利喜人くんが一番刺さりそうな言葉を使った。案の定、それは困る、と慌て出した。


「今、幼女誘拐殺人事件とかあるでしょ。刑事さんが、この辺聞き込みに回ってるって、近所の奥さんが言ってた。その時に家族構成とか聞かれるんだって。聞かれてから、実は娘が3日間帰ってきてません、って答えるの?絶対おかしいって思われるでしょ。学校側からも言われるかもしれないし。もし、仮にみずきが誘拐事件に巻き込まれていて、そこまで通報しなかった親って、虐待どころか殺人の方を怪しまれるよ」


 私は自分の口から出た言葉が信じられなかった。たとえ通報したくて、利喜人くんの了解を得ようとした言葉だとしても、自分で言っていて恐ろしくなった。利喜人くんを無理やり動かそうとして口から出た嘘なんかじゃない。私が本気で心配しているのは、今のこの3がバラバラになることなんだ、と口に出したことで認識してしまった自分の黒い部分が怖い。


 みずき、と、ひかり。どちらも自分の腹を痛めて産んだ子供。どちらが可愛いて、どちらが憎い、そんな差はない。ひかりは、ただただ愛おしい。喉の奥で笑う声も、小さい手も、泣き声も、近づくとほのかなミルクの甘い匂いがするところも。ひかりを見ていると、柔らかいタオルに包まれている気持ちになって、つい笑みが溢れてしまう。

 みずきは私を困らせないように気を遣ってしまう子だった。むしろ、みずきの方が父親がいなくて苦労させてしまった分、不憫に思ってしまう。私が1人で子育てし、辛い時も、あの子の笑顔にどれだけ救われたか。

 その2人を天秤にかけることなんてできない。

 ただ、そこは利喜人くんが入ってしまうと、少し傾いてしまう。私が子供の頃にはなかったもの、それが家族。私にとって理想の家族像は、普通に父親と母親がいて、子供がいる。その家族を作るためには父親の存在は外せないのだ。

 私はみずきも大切な娘だ。ただ大切に思えば思うほど、あの子が可哀想になってくる。あの子が私の家にいる以上、私が利喜人くんとの生活を守ろうとすれば、あの子が辛い思いをする。


 私はハッキリと認識している。。これは利喜人くんだけの罪ではない。止めることができない私にも罪はある。

 まだシングルマザーで、ワイドショーでの虐待のニュースを見ている時には、なぜこの母親は止めないんだ、自分で産んだ子供だろ、なんて簡単に考えていた。なぜこんな酷い男と再婚なんかするんだ、どうせ愛した君の産んだ子供なら愛せるとかなんとか言われてるんでしょ、なんてテレビに向かって言っていたと思う。


 今なら分かる。どうにもできないのだ。

 何を言ったって、言い訳に聞こえてしまう。

 現実は目の前にあるものだけ。子供ら2人とも大切。夫は私と娘を愛してくれている。夫は血が繋がっていない連れ子の方だけ虐待する。私はそれを止められない。この夫との家族を壊したくない。それだけ。

 他人は簡単に言う。そんなに自分が可愛いのか、そんな男でいいのか、娘に我慢させてなにが母親だ、まるでテレビを見ていた時の数年前の私だ。


 自分のことは気にするなと言ってくる娘。そんな小さい子の言っているのを真に受けるのか。耐えてくれる娘に甘えているのも分かっている。


 だから私は願っている。このまま帰って来なければいいと。もし誘拐事件の殺人犯に連れていかれたのならば、なるべく痛くしないで、一瞬で安らかに死なせてやってほしい。

 我儘を言わせてもらえば、どこか親切で優しい人に拾われ、何不自由なく暮らしてくれないか、と思う。そして、私たちとこの先2度と顔を合わせることのない場所で楽しく暮らしていってほしい。できれば、私のことなんか忘れて、病気怪我がなく大人になってほしい、本気でそう願っている。


 私が最低なのはわかっている。だけど、このままこの家にいることが、みずきにとって1番苦しいことなのではないか、あの子を解放してあげるのが、母親として最後にしてあげることなのか、自分が楽になりたいのか、その両方か。現時点でハッキリと言えることは、ということだけ。


「七海さん!」


 ぼうっとしてしまった。利喜人くんの慌てた声に顔を上げた。彼は家電いえでんの子機を握っていた。受話器の喋る方を手で押さえて、早く、早く、と口パクで言っている。


「誰?」


「誰じゃないよ。警察、早く、説明して」


 利喜人くんはもう1度子機を口に当て、気が動転してしまってすみません、うまく説明できないので妻に替わります、と慌てたように言い、私に子機を渡してきた。


「奥様ですか?さぞ心配だと思いますが、落ち着いて話してください。お子様のみずきさんは、いつ頃から居なくなりましたか?」


 私は一拍置いて一呼吸し、昨日からです、と嘘を吐いた。

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