第16話 関 利喜人(2)

 私たちのペアは2件を担当していた。11時から12時までを自社ビルの印刷会社、その次は12時半から13時半までオフィスビルで販売するルートだった。オフィスビルでは1階のエントランスに折り畳み式のテーブルを借りてそこへ陳列。15階建のビルには30社ほどの企業が賃貸契約で入居している。そこで働く会社員が昼休みに買いに来てくれる。近くにコンビニやデパートもあるので、あまり売れると期待してなかったが、レストランの話題性と1分1秒も無駄にできないという忙しい会社員が、よく利用してくれた。そういう社員はすぐわかる。メニューをチラッと見るだけで、選ぶわけでもなくサッと買っていくからだ。激辛メニューが登場するまではいつも完売していた。

 まだ若い彼は、休憩に出されるのが遅いのか、毎回ギリギリの時間に買いに来た。その時間は既にジャークチキン弁当しか残っていない。何度目か忘れたが、私は申し訳なくなり、「なんか、すみません」と言うと、彼は驚いた顔で「いや、こちらこそ」と訳の分からない返事をした。

 私はペアの女性と共に、オーナーにもう激辛メニューは止めるように提案したが、「今度のは大丈夫だ」とまた改良メニューを作り、止める気は無いようだ。他のペアも同じように激辛メニューは止めてほしいと直訴した。いつも残ることが分かっている弁当よりも、売れる可能性がある在庫を貰った方が、自分の配当も増えるから当然だ。私たちとオーナーとの話し合いの末、譲歩してジャークチキン弁当の配分は5食ずつということになった。

 私も、あの最後に買いに来る若い会社員が、ジャークチキン弁当が減ることで、他の弁当の配分が増え、選択肢も増えてくれることを期待していたが、あまりにも彼が買いに来るのが遅いので、結局彼が買いに来る時間にはジャークチキン弁当が5食しか残っていない有様だった。


「じゃあ、これを」


 彼はいつもと同じように400円を出し、私は10円のお釣りを渡す。


「ごめんなさい。いつも同じ物しかなくて」


「え?ああ、こ、これが食べたくて買ってるので」


「辛いのお好きなんですか?」


「そ、そうですね。辛いのは好きです」


 そうか、それなら良かった。辛いものが好きなのか。そうよね、近くにコンビニとかあるんだから、辛いものが食べれないなら態々毎日ここで買わなくたっていいんだから、私はなにか胸につかえてた物が取れたような気になった。


 それから毎回、彼がエレベーターから降りるのを見ると、彼の時間が少しでも短縮できるように弁当とお釣りの10円を持ってエレベーターまで行った。


 ある日、私はテーブルを片付けていると、ペアの女性が、


「ねえ、ちょっとトイレ行って来るね」


 と言って、エプロンを外し、エントランス入り口付近の柱にあるフロアマップを見て、トイレの位置を確認すると、私の方を向き口に人差し指を当て、小走りで行ってしまった。オーナーからは、お客様のところではマナーとしてトイレなどの公共物を絶対使わないように、と言われていたのだ。

 トイレはエレベーターホールの奥にあるようだ。


 ペアの女性はミニタオルで手を拭きながら戻って来ると、なにが可笑しいのか口元をミニタオルで隠しながら小刻みに肩を揺らしている。


「どうしたの?」


「渡合さん、あのね、今トイレに行ってきたんだけど」


 そんなことは分かっている。ペアの女性はエレベーターの向こう、トイレのある方を指差し、


「あそこのところ曲がったところにトイレがあるんだけど、そのトイレの前にベンチとか自販機とかあって、ちょっと休憩スペースみたいになってるの。それでね」


 余程可笑しいのか、ペアの女性は思い出して、体を吹き出した。なんなの、勿体ぶらないで、さっさと話して欲しい。私はちょっとイラついた。


「ねえ、なに?」


「あのね、いつも1番最後に来る若い男の子いるじゃない、あの子がね、そこのベンチでお弁当食べてるの、そしたらね」


 ペアの女性はおばさん特有の脇を閉めて掌をクイッと仰ぐように動かした。


「辛い、辛いって言って、独り言言って1人で食べてるの。よく見たらベンチの脇にペットボトルの水が3本置いてあって、あのチキンちょっと口に入れて、グビグビ水飲んでるの。もう顔中汗でビシャビシャで。あの子、ホントに辛いの好きなのかねぇ?」


 私は笑うどころか、驚いてトイレのある方を覗きに行った。彼は私に気づくと、慌てて弁当を自分の後ろに隠したが、半分程見えていて、ジャークチキンは殆ど減っていなかった。ペットボトルの水は既にもう2本空になって転がっていた。


「あ、いや、あの、やっぱり美味いですね。辛くて美味い。やっぱりこのくらい辛くないと」


 そう言いながら彼は弁当を膝の上に戻し、ジャークチキンを手に取るとムシャムシャと頬張った。そしてすぐにせた。


「ちょ、大丈夫?」


 私はそばに寄ると彼の背中をさすってやった。


「ゴホ、だ、大丈夫です」


 とても大丈夫には見えなかった。変な沈黙が続く。彼は涙目になっていて、額の汗をワイシャツの袖で拭うと、口をクチャクチャと動かしているのだが、大量に入ってしまったそれは、いつまで経っても飲み込めないでいるようだった。


「売っていて、あれなんだけど、それ、辛すぎない?」


 彼はガックリと肩を落とし項垂れた。はあ、と大きな溜息を吐いて、まだ口にいっぱい入っているチキンをペットボトルの水で苦しそうに流し込んだ。


「俺、辛いの苦手なんです」


 それじゃあなんで、それを注文するのよ、と言おうとしたが、彼が来る頃にはその弁当しかないから、それを注文せざるを得ないのか。


「だったら他の物食べればいいじゃない。近くにコンビニだってあるんだし」


 そう口に出すと、もしかしたら半額で安いからこの弁当にしているのか、とも思った。コンビニで弁当買っても、なんだかんだ500円以上かかってしまう。まだ若いし、給料も少なくて節約しているのか。それにしても、そんなに水買ってたら節約にならないのではないか。

 彼は思い出したように、また弁当に箸を付けようとしたので、私は止めた。


「残すのは、申し訳ないです」


「よしなさいよ、辛いのダメなんでしょ」


 それは普通の人が食べたって辛いのに、辛いのが苦手な人には、さぞ拷問のような辛さだっただろう。


「違うんですよ。いや、違わないですけど。初めてこの弁当買った日は、コンビニ行くつもりでこの前を通りました。だけどその弁当見て、安いなって思って買ったんです。そんなに辛いと思わなかったので」


 ほら、やっぱり節約だ。


「でも、あの、毎日買ってる、その理由というのは、あの」


 彼は突然立ち上がって、ジャークチキン弁当は床にひっくり返った。彼は引きった顔をして、弁当を落としたことに気付いていないようだ。


「あの、一目惚れです。良かったら、おしょ、お食事でも行きませんか」


 彼のその台詞と同時に私の携帯が鳴った。多分この時間だと保育園からの可能性が高い。スマホの画面を見ると、やはり保育園だった。

 ちょっとごめんね、と言って私は電話に出た。案の定、みずきが熱を出したらしい。電話先の保育士が、お昼寝をさせていたら急に吐いて、熱を測ったら38度あるので迎えに来て欲しい、と話しているが、私は生返事で電話に集中できない。今、私は食事に誘われた?相手はどう見たって私より10歳くらい若いし、こんな三十路のオバさんをから揶揄からかってるの?どう考えてもおかしい。そんなことより、私はみずきを迎えにいかなければならない。


「ごめんなさい。あの、私、娘を迎えに行かなきゃならないので」


 彼はさっきまでの勢いがどこかへ行ってしまったようにシュンっとなって、顔を真っ赤にしていた。


「こちらこそ、すみません。結婚してらしたんですか」


「大丈夫よ」


 いつの間にかペアの女性が後ろに立っていて、いきな。口を挟んできた。


「この人ね、子供はいるけどシングルよ。アンタ、いいよ、勢いあって。もっと、ちゃんと誘いなさいよ」


 なんなの、この人。他人事だと思って。子供いる人だって教えてから、ちゃんと誘えっておかしいでしょ。無理よ、こんな若い子。


「あの、だったらお子さんも連れて、ピ、ピクニックにしましょう」


『ピクニック』という単語が新鮮だった。久しぶりに聞くその単語が、最初はなんのことだか分からなくて、こんな若い子がそんな昭和時代みたいなデートの誘い方するかと思い、なんかくすぐったかった。でもやっぱり、揶揄からかわれているだけだ。そんな私の背中をペアの女性が叩く。まあ、たまにはいいか。それに最近、みずきをどこへも連れてってあげてなかったし。

 彼女のお節介もあって、私は利喜人くんの誘いを受けることになった。











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