第14話 海底の古城

 

「違う違う! そっちじゃない!」


 人魚が海からそう叫ぶ。しかし、船はのたのたと違う方向へと走っていく。

「エミリアさん! 右にかじ取って!」

「右ですね?」

 右に舵を回せば、今度はぐるんと旋回しようとする。その度に人魚が指示を出し、方向を修正する。

 人魚の呆れ声が聞こえた。

「本当に大丈夫なのかな······」


 ──私のセリフだ。


 フラフラしながらも海原を突っ切って行くと、とある地点で人魚が「止まって!」と言った。

 船を停めると、人魚は巻貝の笛を吹いた。

 歌うようにも聞こえるその音が、船を包み込む。

「いい音色ですね。優しい響きですわ」

 エミリアが聴き入っていると、ボコンッと音が海から聞こえた。

 船の下を覗くと船の周りが沸き立っていて、高波が壁のように立ち上がる。そして船をすっぽりと包むと轟音とともに海の中へと引きずり込んだ。

「何!? 船が!」


 船の周りは空気の膜が張られ、その外を数多の魚が泳いでいた。

 鮮やかな魚や変な形の魚が、沈む船を気にも留めずに悠々と泳いでいる。初めての景色にイーラは口を開けて見上げていた。

 フィニも驚いて甲板に出てくると、イーラ同様に口を開けて空を見上げる。

 青い海に差す光の筋がオーロラのように輝き、空気の膜が波打つ音にフィニが跳ねて喜んだ。


「イーラ! 僕達海の中にいるよ! 人魚ってこんな力があるの?!」

「わかんない。でも何だか素敵ね! 海なんて、生涯見ることないと思ってたのに、海の中なんて想像出来る!?」

「二人とも落ち着いて下さい。でもすごいですわ。海がこんなにも命に溢れた場所とは······感動で胸が熱くなります」

 人魚は船の様子を眺めてフッと笑った。


 そしてまた笛の音を響かせる。船は更に深く深くへと潜っていく。

 陽の光も届かなくなった海底は右も左も分からないほど暗かった。心無しか魚の姿も、歪なものが増えた。

 船が沈む度に音は消え、命は減り、闇がイーラたちに手招きする。

 人魚が笛の音を一つ鳴らすと、どこからか別の笛の音が聞こえた。共鳴するように鳴る笛が一筋の光を放つ。それに導かれるように船は進んでいった。


 光の先に薄らと見えた海底の古城トラグレスは、城というよりは異世界で言う、『ヨーロッパ』の神殿に近かった。

 太い石の柱がそびえ、厳かな彫刻が玄関を飾る。船は重い扉を潜り抜けると、船着場に停まった。


「······地上同様、空気がありますわね」

 エミリアは古城を見渡して呟いた。イーラも周りをぐるりと見渡した。

 タイルの床も、絵やカーテンで飾った壁も、地上と何ら変わりない。上半身だけの甲冑かっちゅうを並べた通路が「ああ、人魚なんだな」って思わせるくらいだ。



「ついてきて下さい。こっちです」



 イーラたちを誘導していた人魚によく似た女が立っていた。イーラはぼーっと女を頭から爪先まで見つめた。女は咳払いをした。

「あまりっ、ジロジロ見ないで下さい」

「悪いわね。ここにも人間がいるんだと思って」

「ずっと一緒だったじゃないですか」



「あっ! 首絞めた人魚!?」

「その認識もう止めていただけませんか!?」



 人魚は顔を真っ赤にしてイーラたちを案内する。

 古城の中を歩くと、甲冑を着た女の一団とすれ違った。鋭い槍を構え、一糸乱れぬ行進がかっこいい。だが下半身は滑らかな布で覆っているだけでとても無防備だ。これでどうやって戦えるのだろうか。

「これじゃあ、城に入られたら終わりじゃない」

「人魚は基本、海中戦を想定していますからね。今回の件で、新たな課題が見えたばかりですから、対応策を練っているところです」


 人魚に案内され、王座の前まで通される。赤い絨毯を敷き詰めた豪華な広間だ。階段の先には黄金こがねに輝く椅子がどっしりと構えていた。


「女王が来るまで、少々お待ちを」

 使いの人魚が奥へと消えると、イーラたちは隣の人魚に倣ってひざまずき、拳に手を重ねると、それを頭よりも高く上げた。



「女王に敬礼!」



 少しすると、声が張り上げられた。笛の音が響き、女王の登場を知らせる。イーラは礼を尽くし、固く目を瞑っていた。



「一同、顔を上げなさい」



 人魚が礼を解くと、エミリアとフィニが続いて顔を上げた。

 フィニの顔を見ると、女王の機嫌が悪くなった。


死霊魔術師デュラハンがどうしてここに! リノア! お前面倒事を持ち込みましたね!」


 リノアと呼ばれた人魚はフィニの顔を見ると、みるみるうちに青ざめた。そして、指を重ねて女王に弁解をする。

「女王様! 申し訳ございません! 死霊魔術師デュラハンがいるとは知らず、我々に力を貸して下さると仰ったのです!」

「悪しき魔術を使う者が、我々を助けるなどと言うものですか! 特有の白い髪に気づかないわけがありません! 衛兵! 死霊魔術師デュラハンとその一味! そしてリノアを牢に入れなさい!」

「そんな! 女王様! どうかお許しを! どうか、どうかぁぁぁ!」

 兵隊が槍でイーラたちを押しつけ、玉座から引き離そうとする。

 衛兵の槍がフィニの腕を貫いた。



「ぎゃぁぁぁぁあ!」



 腕を貫通した槍を引き抜き、すぐにもう片方に狙いを定めた。

 イーラはフィニが苦しむ姿にピリッと目が痛んだ。

 槍が突き立てられる瞬間にイーラは衛兵の拘束を解くと、フィニを突き飛ばして衛兵から守った。

 衛兵の槍が照明に光ってより鋭く見えた。




「止めなさい!」





 槍がイーラに当たる前に女王の一声が飛んだ。

 衛兵が槍を下ろすと、女王は階段を下りてイーラの側に寄った。

 衛兵は驚いてイーラの前から引いた。イーラはサラサラと艶のある水色の髪に目を惹かれていた。

 潤んだ真っ黒な瞳がイーラの顔を真っ直ぐ見ていた。


「その烏色の髪、緑色の瞳、顔に大きな傷がありますが、ちゃんと覚えています。······私を覚えてますか? マシェリー」


 イーラは驚いた。人魚の長が母を知っている。しかも、イーラと母を見間違えているのだから。

 イーラは心臓を掴まれる思いをしながら、首を横に振った。

「残念ですけど、人違いだわ。私はマシェリーの娘、イルヴァーナです。母はもう、亡くなってます」

 女王はパッと口を押さえると、胸の赤い宝石を握って黙祷を捧げた。

「それは辛いことを聞きました。しかし、マシェリーの娘ならば助力を申し出たことも頷けます。······彼らを離しなさい」

「しかし女王様!」

 衛兵がフィニに蔑むような目を向けた。

 しかし、女王は「離しなさい」と睨みを利かせる。衛兵は拘束を解くと、その場を外した。

 女王は玉座に戻ると、銀のゴブレットに息を吹きかけた。

 ゴブレットから水が溢れ、女王がそれを傾けると水が十字架の形を成し、固形物になって床に落ちた。

 イーラはそれを拾いあげた。龍が青銅色の十字架を護るように巻き付き、じっとイーラを睨みつける。


海神の十字架リヴァイアス・クロスは古来より人魚が受け継いできたお守りであり、『七宝』の一つです。魔力を持たない種族の人魚は生きる為に祈りを捧げ、それを授かりました。それがセイレーンの手中にある以上、私たちはいつ滅ぼされてもおかしくありません」

「最善を尽くします」

「フフッ、流石はマシェリーの娘。期待しています」


 女王は微笑んで奥へと去った。

 エミリアとフィニはホッと胸を撫で下ろす。

「いつもありがとう。ごめんね、僕のせいで······」

「フィニが気にすることじゃないわ」

 イーラは冷静になろうとしていた。その目は玉座から離すことが出来ないでいた。

 最後に見た女王の瞳は、心からイーラに期待を寄せていた。だからこそ、イーラは焦っていた。


 自分が、魔力を持たない一般人であることを。

 それを、女王は知らないことを。

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