第26話 始まる寮生活

 繭は最初に銀月荘を訪れてから三日振りに、改めて準備を整え、銀月荘に帰った。繭は久しぶりにあの重厚な門扉を開け、中に入った。

「ん?」

 すると、すぐ脇の庭にある物干し竿に寝袋が干してあるのが目についた。

「なんでこれだけ干してあるんだ?」

 繭は不思議に思って、近くに行き、寝袋をまじまじと観察した。よく見ると、真ん中辺りが大きく濡れている。

「なんだこれ?」

 繭は首を傾げる。

「まったく、いい年して、あたしゃ、情けないわ」

 そこに、金さんが銀月荘から出てきた。なんだか金さんはぷりぷり怒っている。

「やってしもうたもんわしゃあないわい」

 ふと、繭がその隣りを見ると、バツの悪そうな顔をした熊田が立っている。

「え、ええ!」

 繭は事態を察し、熊田と寝袋を見比べた。

「まったくあんたはいくつなんだい」

「ん?今年四十一じゃが?」

 熊田は全く悪びれた風もなく普通に答える。

「まったく情けないったらありゃしない」

 金さんは険しい表情でそんな熊田を睨むように見つめる。

「まあ、なあ・・、おっ、そうじゃ、そうじゃ、わしは練習メニューを考えな、なっ」

 バツが悪そうに頭をかいていた熊田だったが、ふと思いついたように、突然そう言うと、そそくさと金さんの視線から逃げるように、銀月荘の中に消えて行った。

「まったく、困ったもんだよ。あの男には。本当に」

 金さんが心底呆れたようにそんな熊田の背中に向かって呟くように言った。

「あ、あの・・」

 繭がそんな金さんにおずおずと声を掛けた。

「ああ、繭ちゃんだったね」

「は、はい」

「ああ、今日からかい」

「はい、私の荷物届いてますか?」

「ああ、届いてるよ」

「そうですか」

 繭は一安心した。

「荷物は全部部屋に運んどいたから」

「ありがとうございます」

「あんたもここがすぐに気に入るよ」

 金さんはそう言って、銀月荘を見上げた。

「それにしても、すごい建物ですね」

 改めて繭は銀月荘の、その異様なたたずまいを見上げた。

「これは明治初期に建てられた建物だからね。百年以上経ってるね」

「百年ですか・・」

 繭は感嘆の声を発した。

「これ、全部木造だよ。昔の大工さんはすごいねぇ。これで台風も地震もびくともしなかったんだから」

「はあ」

 繭は改めて銀月荘を見つめた。

「変わってるだろ」

「は、はい」

「なんか、どこかの伯爵だか金持ちだかが、別荘として趣味で建てたんだそうだよ。洋風、和風、世界中の色んな建物の良いところを抜き取って、ミックスさせたんだ」

「へぇ~、それでこんな不思議な形なんですね」

「そう、こんな建物は世界中探したってないよ」

 金さんが胸を張るように言った。

「それが今は寮ですか」

「そう、部屋の数が多かったからね。もう取り壊すことが一度は決まってたんだ。それをうちのチームの代表が買い取って寮にしてね」

「へぇ~」

 不思議な縁だな。と、その時繭は思った。

「あっ、繭ちゃん今夜は、焼き肉だよ」

 金さんは突然思い出したように繭に言った。繭の豪快な食べっぷりが気に入ったのか、金さんは繭を気に入っているようだった。

「お肉たっぷり用意してあるからね」

「やったぁ」

「今夜はあんたの歓迎会も兼ねてるからね。楽しみにしといてね」

 そう言って、金さんは銀月荘の中に再び入って行った。


「にっくぅ~、にっくぅ~♪」

 金さんと別れ、寮の中に入ると繭は変な歌を歌いながら、足取り軽く自分の部屋に向かった。繭は焼き肉が大好きだった。

「そうだ私、今日から一人暮しなんだ」

 繭は改めてそれを思い出し、更にテンションが上がった。繭には一人暮らししたら色々とやりたいことがあった。それらを一つ一つ頭に思い浮かべると繭の心は更に躍った。

 ガラッ

 繭は辿り着いた二階の廊下奥の、自分の部屋の開き戸を勢いよく開けた。

「おお、お帰り」

 部屋の扉を開けると、宮間を中心としたいつものメンバーがそこでくつろいでいた。

「えっ」

 繭は一瞬、部屋を間違えたと思った。

「あっ、すみません」

 繭は一回扉を閉めた。しかし、あたりを見回し、廊下からの位置を見ても、やはり自分の部屋だった。繭はもう一度開き戸を開けた。

「あれ?、ここ私の部屋ですよね?」

「そうだよ」

 野田が当たり前に答える。

「何してるんですか。私の部屋で」

「えっ、何って、くつろいでるんだよ」

 仲田が答える。

「なんで私の部屋でくつろいでるんですか」

「いや、だって、いつもここでみんなでだべってたからなぁ」

 野田が志穂を見る。志穂は小さくうなずく。

「でも、もう私の部屋ですよ・・。あっ!」

 その時、繭は、部屋の真ん中に置かれた段ボールに目がいった。

「ああ!ああ!」

 繭は慌てて、その段ボールに駆け寄る。やはり、それは実家から送られて来た繭宛ての荷物だった。

「なんで開いてるんですか」

「えっ、だって。置いてあるから」

 野田が当たり前みたいに答える。

「置いてあるものは全部開けるんですか。ああ!」

 宮間を見ると、その口に、繭の家で売っているせんべえがくわえられている。

「なんで勝手に食べてるんですか」

「いやだって、うまそうだから」

「うまそうだと人のものまで食べるんですか。ああ!」

 今度は野田の下半身を見ると、繭のハーフパンツをはいている。

「それ私のじゃないですか」

「ああ、ちょっと借りてる」

「借りてるって」

「自分の全部洗濯しちゃったんだよ」

「ああ、ゴム伸びちゃってるじゃないですか」

 野田は繭より一回り横に大きい。しかも野田は骨太でずん胴型の体系だった。繭はへなへなとその場にへたり込んだ。

「ああ!」

 しかし、休む間もなく今度は仲田に目がいった。

「何読んでるんですか!それ私の日記じゃないですか」

 繭は慌ててダイブするようにして、仲田から日記を奪い取った。

「ああ、いいとこだったのに」

 仲田が残念そうな声を上げた。

「まあ、これでも食え」

 宮間がせんべえを差し出す。

「それ私のおせんべえじゃないですか。ああ、もうこんなに無くなってる」

 せんべいの袋は、もう、空になりかけていた。

「このせんべぇうまいな」

「あっ、これうちで作ってるんです」

 宮間に自分のうちのせんべえを褒められ、とたんに繭は機嫌を良くした。

「おまえんち、せんべえ屋だったのか」

「はい、代々続く老舗なんですよ。焼き方も昔ながらの焼き方で機械も使ってないですし、全部手焼きなんです」

「そうか、どうりでなんか違うと思った」

「あ、分かります?材料とかすごい、こだわってまして―――」

 そこから延々繭のせんべえ談議が始まった。

「―――うちのは、ちょっと高いですけど、他の店の物とは全然違うんです」

 熱く語る繭の長いせんべえ話を聞きながら、宮間たちは、繭の前でせんべえの話は禁句だと、この時思った。

「ごはんだよ~」

 その時、下の階から、金さんの大声が響いた。

「おっ、飯だ。飯だ」

 繭の長話に疲れていた宮間がこれ幸いと、勢いよく立ちあがると、他の面々も一斉に立ち上がった。

「おいっ、飯だぞ」

 野田が自分の話に夢中になっている繭の肩を叩いた。

「えっ?ああ、はい」

 そこで繭は我に返った。

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