第22話 和風割烹居酒屋あかね
銀月荘から長い下り坂を下り、駅前の金城町商店街に入ると、その中程に和風割烹居酒屋あかねはその古風なたたずまいを見せた。
「いらっしゃい」
繭が宮間と取り巻きの野田、仲田、志穂の後ろに、繭同様有無を言わさず連れて来られたかおりと共におずおずとくっついて入って行くと、カウンターの中から和服を着た品の良さそうな丸顔の女性が、愛想の良い笑顔で繭たちを迎えた。
店に入るとすぐに、みんな通いなれているのか、迷うことなくそれぞれ空いているカウンター席の真ん中辺りに座っていく。奥から志穂、仲田、野田、宮間という順だ。
「うっ」
繭は一瞬立ち止まった。繭は何をされるか分からないので、なるべく宮間から距離をとろうと思っていたのだが、入った順番で、宮間の隣りの席が目の前に空いている。繭は後ろのかおりを恨めしく見返す。
「?」
かおりはそんな繭の視線の意味が分からず、きょとんとしながら自分の席に座る。背の高いかおりはどうしても、繭の後ろになってしまう。どうしようもない自然な流れだった。
「何してんだ。早く座れ」
宮間が繭を睨みつける。
「は、はい」
繭は仕方なく慌てて宮間の隣りにおずおずと座った。
「ママ、とりあえずビールね」
宮間が言った。
「はいはい」
カウンター越しに立っていた、ママと呼ばれた多分この店のおかみさんであろう女性は、背後にある冷蔵庫に身を屈めた。
「ママァ、聞いてよ」
その背中に野田が訴えるようにしゃべりかける。
「ふふっ、どうしたの」
ママはビール瓶を冷蔵庫から取り出しながら、慣れているのか親しげに答える。
「新しくコーチが入ってきたんですよ」
「まあ、良かったじゃない」
ママはビール瓶をカウンターに置きながら笑顔で言った。
「それが、全然良くないんですよ」
「そうそう、そいつが変態なんですよ。変態」
隣りの仲田もしゃべり出す。
「素っ裸で、寮の中うろつくんですよ」
野田が言う。
「まあ、ふふふふっ」
ママはおかしそうに口元を手で押さえて、上品に笑った。
「しかも、練習が無茶苦茶で」
仲田が訴えるように言う。
「そうそう、うさぎ跳びだよ。うさぎ跳び。昭和かってんだよ」
野田が怒りを込めて言う。
「今日も初日でいきなり無茶苦茶走らされたし」
仲田も興奮してキレだす。
「そうそう」
と、野田。矢継ぎ早にしゃべる二人の話をにこにこと愛想よくママは聞いている。
「ママ、ちゃんと聞いてる?」
野田が訝し気にママを見る。
「はいはい、聞いてるわよ。コーチが変態なんでしょ」
「なんだか、楽しんでない?ママ」
仲田もママを疑わし気に見る。
「ふふふっ、でも、おもしろそうじゃない」
「全然おもしろくないよ」
二人は立ち上がり、同時に叫んだ。ママはそんな二人におかしそうに笑いながら、ビール瓶の栓を抜き、それぞれの前にガラスのコップを置いていく。
「えっ、私も?」
繭は自分の前にも置かれていくコップに驚き、宮間の方を見た。
「ほれっ」
しかし、宮間の手にはすでにビール瓶が握られ、その先は繭の方を、向いている。もちろん断れる空気ではない。
「・・・」
繭はコップを宮間に差し出した。
「かんぱ~い」
元気いっぱいの雄叫びに近い声が店内に響く。宮間たち以下四人は、うまそうに一気にビールを煽る。
「ぷはぁ~、この為に生きているよね」
野田と仲田が同時にうねるように言った。
「まさに」
そして、宮間もこの時ばかりは幸せそうな柔和な表情になった。みんなビールを飲むとさっきまで疲れ切った表情だったのが、枯れた花が生き返ったようにいきいきとした表情になった。死にそうな顔をしていた志穂でさえもが、頬に朱が滲んだ。
その時、繭はそれを横目で見ながら、両手で包むようにビールが注がれたグラスをもち、それとにらめっこしていた。
「お酒は高校の文化祭の打ち上げの時、一回飲んだことあるけど・・」
繭は高校時代を思い返していた。
「でも、その時の記憶が全然ないんだよなぁ・・、次の日、教室に行ったらみんななんか冷たかったし」
繭は一人呟きながらビールの注がれたコップを、より目で睨むように見つめた。
「・・・」
更にその隣りではかおりも繭同様、ビールがなみなみと注がれたグラスを手に持ち、それを睨みつけていた。
「私、お酒、飲めるのだろうか」
かおりはお酒を飲んだことがなかった。
バシッ
「いたぁ」
突然繭の後頭部に痛みが走った。
「早く飲めよ」
いつまでもにらめっこしている繭にいら立ち、宮間が繭の頭をはたいた。
「は、はい」
繭は慌てて、ビールを睨むのをやめた。
「だから宮間さんの隣りは嫌だったんだよなぁ」
「なに?」
「いえ、なんでもありません」
繭は意を決した。
「なむさん」
マユは一気にグラスを煽った。
「おっ、いい飲みっぷり」
宮間が感心する。
「ぷはぁ~」
繭は一気に飲み干したコップをカウンターに置いた。
「どうだ。上手いだろう。まっ、飲め飲め」
その空になった繭のコップに、間髪入れず宮間がなみなみと再びビールを注ぐ。
「あっ、すみません」
「若い子にそんなに飲ませちゃだめよ」
「大丈夫だよ。ママ」
ママがたしなめるが宮間はやめようとしない。
「ぷはぁ~っ」
繭は再び注がれたビールを一気に煽る。
「おっ、いいぞ。いいぞ」
宮間は嬉しそうに、再び繭のコップにビールを注いだ。
「ママ、ビールもう一本ね」
「はいはい」
飲み始めてすぐに一本目のビール瓶は空になった。
宮間は再び置かれた新しいビール瓶を片手に、繭に次から次に、ガンガンビールを注いでいく。
「さっ、どんどん飲め飲め」
「はいっ、いただきます」
繭は一度勢いがつくととことんまでいくタイプだった。繭はその注がれるビールを次から次へと飲み干していった。
「なかなかいい奴だ。お前は」
そんな繭の飲みっぷりに宮間は一人嬉しそうだった。宮間は調子にのって、どんどん繭にビールを飲ませた。
「おいっ」
「えっ」
突然発せられたおっさんのような低くくぐもった声に宮間は驚き繭を見た。繭の目は完全に座っていた。
「しまった」
宮間が気付いた時にはもう遅かった。
「おい、おせぇぞ」
繭がドスの利いた声でコップを宮間に差し出す。
「あ、ああ」
「早くしろよ」
「は、はい」
繭は酒乱タイプだった。宮間は繭の豹変ぶりにたじろぎながら繭のコップにビールを注いだ。
「おせぇっつってんだ」
繭は、宮間からビール瓶をひったくると自分で注ぎ始めた。そして、水のようにがぶがぶとすごい勢いで更に飲み始めた。
「おかわり」
繭がママに向かって叫ぶ。
「もう、やめといた方がよくない?」
さっきまで調子乗って飲ませていた宮間がなだめにかかる。
「はいはい」
しかし、ママは、笑顔でそれに答える。
「さっきあんまり飲ませちゃダメって言ってなかったっけ・・」
宮間がママを見るが、ママは笑顔のまま涼しい顔で新しいビール瓶をカウンターに置いた。
「もう、結局したたかなんだから」
宮間は呆れた。
「ったくよぉ、やってらんねぇよなぁ」
時間が経ち、したたか酔っぱらった繭は宮間に肩に手をまわし、くどくどと毒ついていた。
「世の中どうなってんだよ。なあ」
繭が宮間の顔を覗き見る。
「おいっ、聞いてんのか」
「あ、はいっ、聞いてますよぉ」
宮間もさすがに繭の勢いにたじたじになっている。
「飲ますんじゃなかった」
宮間は呟いた。
「こういうタイプが一番質が悪いんだよな」
「あ、これおいしい」
困り果てている宮間と毒ついている繭の隣りで、かおりが一人ビールのうまさに目覚めていた。
「これはいけるわ」
かおりは新しい発見に感動していた。
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