のろい解かれし いと解けてなし(歯車職人の夜は遅い_Ⅱ)


 数日後、暗いスタジオ内で光を浴びてポーズを次々に変える玲をじっと見つめながら、果たしてこのメイクでよかったのか、延々と胸の裡で問い続けていた。しっくりこない。だが、わからない。最適解がわからないのだ。


 一日中玲に付き合えたわけではないが、なんとかこの仕事に関しては慌ただしくヘアメイクを担当することができた。

 今季の服のトレンドはやや辛口テイストのものらしく、その斬新な形と抑えた色味にどんなヘアメイクが映えるのか、少しの間考えあぐねてしまった。

 そしてふと、今の最先端のメイクをろくに把握できていない自分に気が付いて、ぞっとした。

 これで、プロと名乗っていいものか。

 冷や汗が流れるような心地のなか、メイクを終えたのだった。



 この日最後の仕事として臨んだ雑誌撮影のスタジオには、未唯の姿もあった。未唯よりも早く撮影を終えた玲が、未唯の撮影現場へ目を向けながらつぶやく。


「未唯さん、なんかピリッとしてていい感じ。私もがんばろ」

「そうだね」

「未唯さんのマネージャーさんも、かっこいい人だよね。仕事できるって感じで」


 スタジオの仄暗い片隅にすっくとして立つ、スーツを着た晶さんの姿を見やる。


「ね、バリバリそうだよね」


 彼女の、そっけなく、厳しく、優しい言葉の響きを思い出す。

 先延ばしにしてきたことを、なすべきだ。ひっそりと息を吐く。


「疲れてる……?」


 こちらが上の空だったからか、心配するように玲が聞いてきた。


「いや……。――ちょっと、帰り道ごはん付き合ってくれる?」

「ごはん、食べに来る? 作るよ?」


 腕まくりをする真似をしておどける玲だが、


「うーん……やっておきたい仕事あるし、さっと外で食べよう」

「――どうせわかってたけど。わかった」


つまらなさそうにつぶやいた。



 スタジオを後にして、玲と共に地下駐車場を愛車目指して黙って歩いていると、尻ポケットに入れているスマートフォンが震えた。玲からのメッセージだった。


『いつもなんだかんだで家来たがらないの、なんで?』


 隣を歩くメッセージの送り主にちらりと視線を送れば、真顔で見返してくる。メッセージの質問には答えずに、


「……歩きスマホよくない、危険」


注意喚起だけ伝えると、彼女は反抗的に目を細め、


「じゃあ立ち止まろっか?」

「……いいよ、もうすぐ車だし」

「……」


 彼女は大げさなため息をついた。暗い駐車場に白い息が浮かんですぐ消える。

 車内のシートへ座るなり、玲は短く言葉を投げてきた。


「で?」

「――何が?」

「さっきの話じゃん」


 苛立たしげに言う彼女から目を離して、シートベルトを締めながら訊く。


「何食べたい?」

「ちが……。はあ」


 見当はずれの私の言葉に彼女は一瞬目を剥いて、それから深々と息を吐いた。


「なんで私の家に来ないかって話だよ?」

「……片付いた君んち見たら、きっと劣等感感じるし」

「別にそんなの感じる必要性もないし、なんなら散らかしておこっか? そうしたら来てくれるの?」

「わざわざそんなことしなくていい」

「じゃあなんで」


 性急さを増していく言葉を無視して車を発進させる。


「……いつもの和食のところに向かうよ」

「……」


 押し固めたような沈黙がしばらく続く。

 そうっと彼女が口を開いた。


「――こんな寒い日にはさあ、おでん食べたいよね。……慧ちゃんの作るおでん、うんめえぞお。芋がいい具合にほろほろで、大根しみしみで。あなたの好きな蓮根や牛すじも入れましょう。……食べたくない?」

「……食べたい、けど」

「……どうしても、来たくないわけね」

「……」


 黙る私を見て、彼女は「わかった!」と声を上げ、


「今度タッパーで持ってくる。だから食べてよ。出来立てが食べたくなっちゃうように餌付けしてやるから」


真剣な眼差しで宣戦布告する彼女に対して、


「ありがとう。――ごめん」


辛気臭い返事しかできない。沈みかけた空気を断ち切るように、乾いた音を立てて彼女が手を叩く。


「はい、もう終わりっ。和食かー何食べようかなー最近お魚食べてないなー」


 ことさら明るい調子を繕う玲の独り言を聞きながら、しかしどうしても返すべき軽口が思い浮かばない。




==============


 各テーブルが小さな個室となっている店内で食事をする。

 常ならば丁寧に作られた品に舌鼓を打つのだが、今日ばかりは箸が進まない。こちらの様子に玲もひきずられて、言葉少なの夕食になってしまっていた。

 箸を置いて、切り出す。


「あのね、今後の体制のことなんだけど」


 訝しげに眉をかすかにひそめた彼女を見ながら、伝える。


「私、君のヘアメイク担当を降りる」


 はっと息を呑んだ玲が、目を泳がせて小さく訊く。


「……どうして?」

「マネジメントのほうが忙しくて、ヘアメイクにかけられる時間が十分にないから」

「――出来ないときだけ、今みたいに外注するっていうのは、だめなの?」

「外注するためにいちいち連絡、交渉するよりも、いっそ最初から契約しておくほうが負担が少ないの。社長にはもう相談してある。信頼できる外注先に安定して仕事を受けてもらえるよう、手配もしてある」

「私にもひと言くらい相談してくれたって……」


 蚊帳の外に置かれていた状況について不服を唱える彼女へ頷き、


「うん、ごめんね。だけど……時間が足りないってことだけじゃなくて」


小さく息を吸って言う。


「今、私、胸を張ってヘアメイクのプロって言えるような状態じゃない」


 それに気付いたとき、みっともなかった。みじめだった。


 玲は愕然として、言葉を詰まらせている。


「本当は、きちんと時間をとってヘアメイクの練習をして腕を上げ続けなきゃいけないけど、それが出来てない。メイクのトレンドも追いかけられてない。ヘアメイクアップアーティストとしては、常に知識や技術をアップデートして研鑽するべきなのに。……そんな状態で、君のヘアメイクを続けるべきじゃない。君に相談するとか、そういう段階じゃない」

「……」

「――だから、ヘアメイク担当は降ります。これは私の力不足のせい、ごめんなさい」


 彼女は口に手を当てて、顔を伏せている。

 面を上げた彼女の瞳には涙が溜まっていたので、驚く。声を震わせて彼女は言う。


「わがままを言いたいんじゃない。子どもみたいに思わないで。これは、悲しくて泣いてるんじゃない。悔しいから」

「――悔しい?」

「私は、あなたからメイクを奪ってしまった。それが、とても、とても悔しい」


 ぽろぽろと涙をこぼす彼女へハンカチを手渡す。


「……奪われてないよ。大事なものが変わっただけ。君の持ってる魅力を、最大限に活かす環境や条件を用意するのが私の仕事……今の私はそう思ってる」


 私の言葉を聞いてなお、いっそう苦しげに顔を歪めて、玲は再び下を向いた。

 それからしばらく黙り込んで、顔を上げると、ぽつり、


「――呪いは、解けちゃった?」


と訊いてきた。


 かつて、私が施すメイクのことを、"呪いみたい"と彼女は言ったのだった。

 私はそのとき、彼女へ繰り返し恋していくための呪いだ、と笑って返答した。


「――ううん……ただ、必要なことをしようと思った」




==============


 今日から、重たいメイク道具を持ち歩くこともない。

 それのなんと快適なことか。

 隙間時間で忙しなくヘアメイクの構想を練る必要もない。

 それのなんと安楽なことか。


 身軽で、そして――どうしようもなくからっぽだった。

 身体の中心に穴がぽっかりと空いた心地だ。



 他人の手によりヘアメイクを終えた玲と落ち合う。


「どうですか」


 まっすぐ問うてくる彼女を改めて見つめる。


 微かな違いかもしれない。だが、ちゃんと"今"の顔にアップデートされたな、と感じる。

 ――とても、途轍もなく、悔しいけれど。

 私の衰えたヘアメイクで、玲の魅力を損なってしまっていたのだ。


 胸を軋ませる悔しさを押し殺し、微笑んで答える。


「うん、綺麗です。すごく、綺麗」


 いつもメイク終わりにかけていた言葉、現場へ送り出す合図。


 ほんの一瞬、泣きそうな顔をして、でもそっと笑顔を浮かべて彼女は言う。


「そうでしょう。じゃ、行ってくる」



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