『IFを生きる』


 カラオケボックスに玲と来ています。


 玲が試行錯誤しながらドラマのホン読みをやりたいときに、思いきり大きな声を出しても時間を問わず迷惑にならない場所として、以前からたまに利用している。行き詰まった際には、気分転換にすぐさま歌をうたうことができるのも玲としては気に入っているのだという。演技は素人ながら私も、相手役の台詞の読み上げに付き合うこともある。


 今回は、男女の幼馴染たちが高校から大学にかけて繰り広げる恋模様を中心としたドラマの練習のために来ていた。

 玲が問題としているのは、同じ男の子を好きである女の子たち二人の、高校生時代のシーンだ。



 ついさっきまで親友同士和やかに話していたが、ふと、玲の演じる"さやか"ちゃんは黙り込む。そして、


『……藤崎のこと、好きなの?』


と、真剣な眼差しで問うてくる。

 彼女は対面のソファに座っているが、実際の脚本では、並び立って電車を待つ夜のホームという設定だ。

 台本に目を落としながら、できる限り棒読みにならぬよう、私扮する"えみ"ちゃんも答える。


『どうかな。わかんない。……さやかは、ううん、なんでもない』


 玲は一度俯いてから、そうっと言う。


『好きだよ。私は』



 ……。

 はー。青い。青春だ。台詞を読んでいる最中、にやつかなかったのは我ながら偉いわ。悩め悩め、若人よ。



 同じ台詞をぶつぶつと繰り返しながら、玲は次第に顔をしかめていく。


「んー……。この『好きだよ。私は』なんだけどさあ、どういうニュアンスで言えばいいのかわかんないんだよね、ホンに書かれてなくて。挑戦的になのか、ぽつりと言うのか、不安げなのか……。監督さん、あなたの感性にお任せします、しか言ってくれないし」

「ふうん」


 演技のことはまったくの門外漢であるから具体的な指導も意見もできないが、こうして芝居に関する考えや迷いを他人にしゃべると頭が整理されると彼女は言うので、こういうときにはただ聞くだけ聞いている。



「今のが不安げなパターンで、次に強気なパターンやってみるから、感想聞かせてくれる?」

「おっけ」


 もう一度同じ場面を、少し違った趣向でやってみる。



「どう思った?」


 どちらもまだピンとこないらしく、彼女の顔は晴れない。


「うーんそうだねえ。さやかちゃんって、あんまり自分の意見とか言わない子って設定だったよね。それがここで強気に出るのも意外で面白いと感じたけど、でもさやかちゃんは、えみちゃんのことも大事に思ってるっぽいし、……難しいねえ〜」


 たいして参考にならない感想しか述べられないが、


「だよね〜」


と玲は再び台本を手に考え込む。



 調子を変えて何度も台詞を声に出しては、ううう……と唸っている彼女へ、息抜き代わりに話題を振る。


「……玲は高校の制服、どんなだったの?」

「ん? 普通のブレザーだよ。ヒモタイの、地味な」

「女子校だっけ?」

「うん」


 今より数年幼い、制服を着た彼女を思い浮かべてみる。


「高校生の玲……うぅ……さぞかし美少女だったんでしょうね」

「別に……普通だよ。高校生って、それだけでなんか可愛いじゃん、若くて」


 ぶっきらぼうに答える彼女に微笑んでしまう。

 容姿は今までの人生で散々褒められ慣れているだろうに、最近は軽い調子で褒めたとしても、たまにこうして照れてくれるのがどうしようもなく可愛らしい。


「そうだよね、学生さん見ると、ごはんいっぱい食べさせたくなる」

「いや、私はまだそこまでオカン的視点には至ってないけど……」

「あ、一線引かれた」

「あなたの制服は何だったの?」

「オカンはセーラー着てたよ。冬は重ね着ができるブレザーがうらまやしかったなあ」


 セーラーだと、カーディガンを羽織るより他は、制服の下に着る服が限られるので厚着がしづらいのだ。

 玲は切なげに眉をひそめて、熱視線を送ってくる。


「セーラー服の穂高さん、見てみたかった……」


 おう。照れるな。



 十代の頃と現在の居住地が大きく変わらないので、今の生活圏内に私の母校がある。

 電車やホームですれ違う、かつて自らも着ていた制服を身にまとう若い子たちのなかに、昔の同級生に似た子なんかを見かけると、本当にその当時のその子が今そこにいるような気がしてしまう。

 自分はまったく若返ってもいない大人のままで、記憶の中の彼女らだけが、時を飛び越えて通学しているような。

 そうすると、自分も十代の頃の感覚で、「わあ、久しぶり、元気だった?」と声をかけたくなる。


 白い半袖と、無頓着に日に焼けた腕。だらしなく結ばれたスカーフ、あるいは背伸びして艶やかに光る唇や、丁寧に巻かれた髪の毛。あえてそれを持つことがステータスだった、よその学校の指定鞄。試験直前に見直している何らかの科目のルーズリーフ。どうでもいいやりとりによってひっきりなしに振動しているくせに、本当に心待ちにしている人からの文字は全然届かない、手のひらの中の携帯電話。


 怖いものなんてなかったし、怖いものだらけだった。



 もう二度とは戻れない、会えない、過去の私たち。




 懐かしさに甘く疼く胸から息を吐き出して、玲に笑いかける。


「私ね、さっき一緒に台本読んでみて、もしも玲が同級生だったら、私たちどんな風だったかなって想像してた。というか、実を言うと、前にちょっと考えてみたことがあるの」

「え、うそ! どんなだったと思う?」

「……私は色気とか全然なくて、男子ともワーキャー馬鹿やってたような高校生だったから、きっと、というか絶対、玲とは違うグループにいたと思う」

「なんでよ」


 やや不満げに訊く彼女に笑って、


「だって玲はたぶん、高校生になってまで男女入り混じっての鬼ごっことか、森にカブトムシ採りに行ったりなんかしなかったでしょう?」

「そんなことしてたの。楽しそうだけど、確かに私、カブトムシは採ってなかった」


 呆れたように彼女も笑う。


「うん。だから、玲は大人びた綺麗な女の子たちのグループにいて、男子たちの憧れで高嶺の花で。学校でも目立つヒエラルキーのトップオブトップ周辺の華やかな人間でだいたい仲良しだから、平民レベルの大多数はちょっと近寄りがたい。それで、玲も私もお互い違う種類の人間だなーとなんとなく思ってる。別に馬鹿にしあったりもしないけど、距離がある」

「うう……寂しいよー。瀬戸さんと仲良くなりたいよー」


 十代の学生の頃の、あの独特の距離感。高校を卒業したあとはだんだんと皆、異なる種類の人間ともそれなりにうまくやるが、高校生くらいまでは各グループが自然と振る舞える領域の線分がわりと明確に決まっていて、その領域が融け合うことは珍しい。


「もちろん玲は高校生の頃から人当たりがいいから、小学生みたいなガキっぽい私にも親切にしてくれるでしょう。でも、ガキなりに私もそこらへんは一応弁えてるから、あの玲ちゃんがこの山猿にも優しく声をかけてくれるけど、舞い上がってはいけない、調子に乗ってはいけない、ここで調子こくのはめっちゃダサい、と思ってそれなりに距離感を保って接する。

 ――だから、高校生のうちらは仲良くないだろう、というのが私の見立て」

「……うわー……。妄想なのに、全然楽しくない……都合のいい妄想させてよ……。でもなんか、その絶妙に距離を近づかせないあなたの感じ、想像できる……」


 どこか非難がましく玲は目を細めて言う。そして、席を立って、


「よかったあ、同級生じゃなくて」


こちらの隣へ座り直し、首を傾けてぴったりとくっついてくる。

 カラオケルームは監視カメラがあるから恋人同士のようなスキンシップはしないようにしているけれど、これぐらいなら仲の良い女性たちで問題ないだろう。おそらく。



 彼女は静かに口を開く。


「……もし同じ高校の同級生だったら、同じグループにいなくたって、クラスが違ったって、それでもやっぱり私はあなたのことが気になったと思うな。若いときは今より会話の糸口を見つけるのも下手だから、自然と仲良くもなれなくて、ときどき見かけるあなたをなんだか目で追いかけちゃったりして。あ、あの子は瀬戸さんと友達なんだ、いいなってなんとなく思ったりして。

 偶然話す機会がきて、もしかしたら一気に友達になれるかもって期待しても、あなたはさっき言ってたみたいに、あんまり心を開いてくれなくて……それで、私は残念な気持ちになるの」



 歌われることなく、音量を絞られて延々と無音でアーティストたちのCMを流しているカラオケ機器の画面の光が、肩にもかれかかって見つめてくる玲の顔をせわしなく照らす。


 同級生として同じ青春時代を過ごすことはできなかったけれど、今現在、彼女の隣にこうしていられる幸運を思う。


「……今に感謝」


 そうつぶやけば、ふふ、と微笑む彼女がもたらす体の揺れが伝わってくる。


 はあ。ちゅーしたい。

 今に感謝はするが、一方で今の状況は非常に我慢を強いられていて苦しくもある。




 気を取り直し、もう一度、今度は玲と隣り合って先ほどのシーンを演じ直した。


『そろそろお祭りの季節だね。どこか行こうよ、久しぶりに』

『最近えみとゆっくり遊べてないもんね。あ、そういえば、川べりの花火大会、今年復活するんだって』


 前方を向いたままリラックスした様子で話す玲を横目で見る。

 彼女自身が"地味"と評していたブレザーの制服を着た玲と、電車が来るのを待っている時間を想像してみる。


 私は、あの頃のセーラー服を着ているだろう。違う高校に通ってはいるが、幼馴染同士、たまにこうして会うのだ。

 ある設定が、実感を伴って急速に自分の中で膨らむ。


『へえ。また皆で行きたいね。じゃあ、あいつらにも声かけておくね』

『うん。ありがと』


 小さく微笑む玲、いや、"さやか"の姿に、随分昔から全てを一緒に過ごしてきたような、そんな言い表せない親しみを感じた。


『あ、でも藤崎、最近なんか部活忙しいっぽいからだめかも』


 そう台本を読み上げながら、私の胸にある種の苦さが滲んだ。

 "さやか"は、数瞬黙り込んで、戸惑いがちに視線をちらりと向けて言う。


『……あの、さ。えみは』


 それ以上、言ってくれるな。そんな疑念を持たれることも、きっと"えみ"には辛いはずだ。

 しかし、彼女は訊いてしまう。


『……藤崎のこと、好きなの?』


 恐れるように、しかし一方で捨て鉢気味に、ぎこちない微笑を"さやか"は浮かべて私に問うた。


『どうかな。わかんない。……さやかは、ううん、なんでもない』


 私の棒読みに近かった台詞も、胸に走る痛みから迫真の演技となる。

 "さやか"は宙空に視線を投げ、大きく吸った息を吐き出しながら言う。


『好きだよ。私は』



「……」

「……」


 ひとつのシークエンスを終えて、二人とも黙り込む。


 玲がぽつりと語り出した。


「……なんかね、さっきの話聞いて、もしあなたと同い年で幼馴染だったらって、想像しちゃってさ……。そしたら、さやかちゃん、っていうか私は、藤崎くんなんかじゃなくて、本当はあなたのことが好きで。でも私は、あなたは藤崎くんのことが好きってわかってるから、自分に嘘を言い聞かせて、あなたに意地張って、『藤崎のことが好き』だなんて言っちゃって。……そう思うと、なんか、この台詞がもう、切なくて……」


 隣にいた彼女の肩をがっしりと掴む。


「……友よ。私も内心、似たような妄想をしておりました……! えみはね、きっとさやかは、藤崎がお祭りに来なきゃ残念に感じるんだろうな、私なんかじゃ、さやかは喜ばせられないなって思ってて……。なのに君は、私が藤崎のことを好きだなんて思い違いをしてるから、全然違うのにって叫び出したくて、でもそんなこと君に言えるわけなくて。切なくて……」

「えみも……?」


 目を丸くした玲に向けて私は言う。


「さやか……本当は私、藤崎なんかじゃなくて……」


 立ち上がって充電スタンドに刺さっていたマイクを荒々しく掴み、声を限りに告白する。


「私は、藤崎なんかよりっ、お前が好きだーーッ!」


 玲も私の手からマイクを奪い、指を突きつけて叫ぶ。


「私もっ、お前が好きだーーッ!」


「「うおーーッ!」」



 なんだか感極まってしまった私たちは湧き上がる互いへの恋情を昇華すべく、演技の練習なんぞほっぽらかして、ラブソング熱唱フルマラソン大会を開催したのであった。



 案の定、翌朝めっちゃ、声枯れた。

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