86話 名もなき犬 ~女神のイタズラ~

『あなたにはこれから犬になって頂きます』



 え⋯⋯? 理解が追いつかない。


 ボクはただの高校一年生だったはずじゃないか。それが何故、犬にならなきゃならないんだ⋯⋯?

 まぁ、元々犬みたいなものだったけどさ⋯⋯。






 ボクの前世の記憶ーー

 とてつもなくちっぽけで。

 従う事しか出来ない弱虫で。

 ボクを痛めつける奴らに反抗出来なくて。

 つまらない。

 人生とは何なのだろう。

 そう考えた事は数知れず。


 そんなボクは犬同然⋯⋯か。


 人の言葉を理解しているのか否か⋯⋯言う事を聞けば餌を貰える。

 人間に従っている犬。


 いや、犬以下かもしれない。


 ボクはこんな人生に嫌気がさしていた。

 でもどうする事も出来ない。

 ただに従い、を買ってくる。

 何故こうなってしまったのか。


 ボクが悪いんだ。

 従う事しか出来ないボクが悪いんだ。


 死んでよかったよ。

 もうの顔を見る必要も、従う必要だってないんだ。

 ボクは楽になった。


 病気で死んだボクの事なんかどうせ誰も、気にも止めない。


 さよなら⋯⋯ボクの人生。






 ちっぽけでしょうもないボクの人生は幕を閉じた⋯⋯はずだった。




『聞いているのですか? 過去の事を振り返っても意味がないですよ。あなたはもう過去の世界には存在していないのですから』



 ボクは脳裏に響く落ち着いた声色の何者かと会話していた。

 どうやら死んでおかしくなってしまったようだ。

 それとも死ぬ直前に何者かの声が聞こえてしまったのか?


 どちらにせよ今はそんな事はどうだっていい。

 この脳裏に語りかけてくる落ち着いた声と話しがしたい。

 いいじゃないか⋯⋯最後くらいボクに構う奇特な人と話しをしたって。


 嬉しかったんだ。

 ボクは未だかつて他人に興味を持たれた事も、善意で話しかけられた事もない。


 どうせ死ぬんだ。

 今くらい好きにさせてくれよ⋯⋯。






ーーパチ。




 ん? 何かがおかしい。

 ボクは必死に瞑っていた目を開いた。


 真っ暗い部屋。

 目の前に金属の棒で支えられたロウソクが一つ。

 それだけだ。



「なに⋯⋯ここ?」



 辺りを見渡した。

 しかし当然だが何も見えない。ロウソク以外は何も。



『ようやく目覚めましたね』



 まただ。

 脳裏に響く落ち着いた声。女性だろうか。



『状況を理解していない顔付きですね』



 その通り。

 何が何だがさっぱりだ。

 ボクは死んだのか?

 ここは天国なのか? いや、死んだとしても地獄か。



『天国でも地獄でもありませんよ』



 その声はボクの心の声に反応し返答した。

 天国でも地獄でもないって⋯⋯死んだんじゃないのか?



『はい、あなたは死にました。心臓病でついさっき』



 そうだったな。

 病気にすら勝てないなんてボクはやっぱり臆病で弱虫だ。



『そんな事はありませんよ。あなたにはこれから素晴らしい世界での人生が待っています』



 素晴らしい⋯⋯世界?

 この言葉を聞き、ボクは一つピンときた事がある。


 前世では本を読むのが好きだった。

 というか、それしか取り柄がなかったんだ。


 ボクの知識をかけ巡らせ一つの説に辿り着いた。



 転生。

 前世では話題だった。

 転生物のライトノベル。そしてボクもそれに興味があった一人だ。



『察しが良くていいですね。話しがすんなり進みそうです』



 やっぱりそうなのか?

 だとすると、今ボクの脳裏に語りかけてくる声の主は神⋯⋯なのか?


 いやいやいや⋯⋯と心の中で拒否しつつも、やっぱり少しはそうであってほしいと願う自分もいる。

 前世の記憶はあまりにも悲惨だった。

 やり直せるなら幸せな人生を歩みたい。


 しかしそのボクの願いも一瞬にして儚く散った。

 神らしき声の一言で⋯⋯。



『あなたにはこれから犬になって頂きます』

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