第10話 命の恩人と言われてみた


 アパートのオーナーに、田助はダンジョンに出入りしているところを見られてしまった。


 マズい!


「こ、これはですね……」


 どうする? どうやって誤魔化す!?


 こ、これだ……!


「さ、最近、このあたりが物騒になってきたという話を聞いて、ちょっと見回りでもしてみようかなと思った次第でして……!」


 苦しい。あまりにも苦しい言い訳だ。


 果たしてオーナーがこの言い訳を信じるか否か。


「……そうか」


 微妙だ。信じているようにも見えるし、信じていないようにも見える。


「そ、それじゃあ俺はちょっと用事があるので失礼しますねー……」


 アイテムボックスに入っている金塊を現金化しなければいけないのである。


 あと早く戻ってこないと、アンファが悲しむ。


「ちょっと待ってくれ」


 止められてしまった。


 やはり言い訳は信じてもらえなかったのか――!?




 田助はアパートのオーナーである大杉おおすぎ正和まさかずの家に来ていた。


 名俳優の名前を足して2で割ったような感じだが、オーナーの容姿はちょっと小太り気味の初老の男性だ。


 先日、孫娘のためを思って5000万円という大金を持ってきた時は、それこそ鬼のような形相だったが、普段は柔和な顔をしている。


「山田くんには本当に感謝しているんだ。本当にありがとう!」


 自分よりもずっと年上の正和に頭を下げられて、田助は困ってしまう。


「あ、頭を上げてください! 別に俺は大したことはしてませんから!」


 田助がここに来たのは、孫娘のためにエリクサーを購入したことに関係していた。


 改めてそのことを感謝したいと、そう言われたのだ。


 ダンジョンのことがバレたわけじゃなかったのだとひとまずホッとした。


「いいや、そんなことはない! 君がいなければ、あの薬を手に入れることはできなかった。違うかい?」


「あー………………そう、ですね。確かにあの薬を手に入れるのは俺にしかできないですね」


 この世界においては。


 異世界でも、おそらくよほどの金持ちじゃないと手に入れられないはず。


「あの時、君がどんなことをしたのか、そばにいたのに儂にはわからなかった」


 異世界ストアというスキルを使ったんです、とは言えない田助である。


「もしかして山田くんは神様か何かなんじゃないか?」


 正和が真顔でとんでもないことを言い出した。


「ちょ、あんなのと一緒にするのだけは絶対にやめてください!!」


 田助の人生をめちゃくちゃにした駄女神と一緒にされるのだけは死んでもゴメンである。


「そ、そうか。それは申し訳ない」


 正和があまりにも申し訳なさそうに謝るものだから、


「あ、いえ、その……女神にはちょっといい思い出がなくて」


「そ、そうなのかね」


「は、はい」


 何となく気まずい雰囲気。


 正和が咳払いで強引にその空気を払拭した。


 田助もそれに乗っかることにする。


「だが、山田くん。君のおかげでうちの孫娘が助かったのは事実だ。今ではもうすっかり元通りでね」


「それはよかったです」


 事故現場の凄惨を見てしまったし、顔がズタズタになって、婚約破棄され、自殺未遂までしたという話を聞いているので、心の底から本当にそう思う。


「だから、これを受け取って欲しい」


 そう言うと、正和が立ち上がってアタッシェケースを持ってきた。


 それはエリクサーを異世界ストアで購入する時に見たのとまったく同じものだった。


 もしかして……と想像したどおりのものが、開けるように促されたアタッシェケースの中に入っていた。


 5000万円である。


「税務上の問題が発生しない金だから、安心してくれ」


 そう告げる正和の柔和な笑顔が逆に恐い。


 だからというわけではないが、田助はアタッシェケースを閉め、正和に突き返した。


「これは受け取れません」


「欲しくないと?」


「いえ、欲しいです!」


 ぶっちゃけ、もらえるものならもらっておきたい。


 税務上の問題が発生しないというなら、なおさら。


「なら、どうして?」


「どうしてですかね」


 田助の言葉に、正和が「は?」と間の抜けた顔をした。


「正直、自分でもよくわからないんです。だけど、これを受け取ったら、まるでこれが目当てだったんじゃないかって」


「儂に思われる、と?」


「いや、自分がですかね。なんか、そんな気がするんです」


 理屈ではない。ただの、気持ちの問題だ。


「それに、お礼なら、あの時、ちゃんともらいましたから」


 不思議そうな顔をしている正和に、田助は告げた。


「涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、心の底から『ありがとう』って言ってくれたじゃないですか。あれで充分です」


 あんなに感謝されたのは、田助の記憶がある限り、生まれて初めてのことだった。


 本当にあの時、エリクサーの値段をふっかけなくてよかったと思う。


 そうしていたら、今、こんなふうに正和と話すことはできていなかっただろう。


「君はお人好しだな」


「そうですか?」


「ああ、底抜けのお人好しだ」


「その言い方はあまり褒められてはいない気がします」


「いや、そんなことはない。褒めているさ。あの薬だって、あの時、君はもっとふっかけてもよかったはずだ。それなのにそうしなかった。そして今、儂が出した金を受け取ろうとしなかった。君になら、きっと安心して任せられる」


 正和が腕を組んで、何やら一人でうんうんとうなずいている。


「任せるって何をです?」


「それは……」


 正和が口を開きかけた時、部屋のドアがノックされた。


「おお、入っておいで」


 正和に促されて入室してきたのは、とんでもない美人だった。


 黒髪は長く、腰にまで届くくらい。


 切れ長の瞳、すらりとした鼻筋、薄い唇は淡い桜色をしている。


 年齢は20歳を少し超えたくらいだろう。


 淡い緑と白の大柄チェックのマキシワンピースを清楚に着こなしている。


「初めまして、綾根あやね衣子きぬこと申します。この度は私の命をお救いいただき、本当にありがとうございました。山田田助様、あなたは私の命の恩人です」


 衣子に微笑みかけられ、田助はドキッとした。


「山田くん、衣子と結婚しないか?」


 ……は?

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