63 そばにいるために、本当の気持ちを隠すのは卑怯でしょうか?
イギリス王室御用達の紅茶をひと口頂く。……うん、美味しい。ローズヒップとハイビスカスをブレンドしており、少しだけ酸味が強いけれど、むしろ今の季節にはぴったりで飲みやすい。
本当はアイスで頂きたいけれど、わたくしの場合、冷たい飲み物をたくさん頂くと、胃腸の機能が落ちて、食欲がなくなりがちになるので、夏でもこうしてホットを頂くようにしている。
「随分と気に入ったみたいだな」
「ええ、とっても」
「そうか、なら良かった」
満足気に笑う真白様はアイスコーヒーをストローで吸い上げる。真白様も青葉様もアイスコーヒーを好んで飲んでいる印象があるのだが、この紅茶は瑠璃さんのセレクトだろうか?
先日、真白様から「良い茶葉が手に入ったから飲みに来い」と言われ、こうしてお宅にやって来たものの……まさか本当にそれだけのためにわたくしを呼び出したのかしら?
もしもそうなら、真白様って意外と……お暇なのかしら?
なんて、失礼なことを考えていると、穏やかな口調で「ああ、そうそう」とおっしゃるので、もうひと口頂きながら横目でちらりと彼を見る。
「その紅茶は『立花雅』が今ハマっている品種のものらしいぞ」
「……ゴホッ、ゲホッ、……えっ!?」
彼から突然飛び出した『立花雅』というキーワードに思いっきり動揺してしまう。
そしてそんなわたくしを見て、楽しそうに彼はケラケラ笑っていらっしゃる。……おかしいと思ったのよ。普段のこの方ならば、新しい茶葉を入手したくらいでわたくしを呼びつけたりなんてしないもの。
彼はこうやってわたくしの反応を楽しむために呼び出したんだわ!
……なんて、悪趣味なお方!!
「……はぁー、愉快だった。おい、薫子、大丈夫か」
「……ええ、なんとか。楽しそうで何よりですわ」
「冗談はさておき、お前の近況を聞こうと思ってな」
わたくしが今最も気にしている令嬢のことを持ち出すなんて、冗談にしてはタチが悪いと思ったけれど、この人に何を言っても無駄だと、今まで幾度となく思った不満を心の中で思うだけに留めた。
「……近況、と言われましても。そういえば、先日『立花雅』さんと少しお話しました」
「……へぇ。で、どうだった?」
急に真剣な瞳で問いかけられて、つられるようにわたくしも真剣に考える。
「……とても、綺麗な方でした。靴擦れを起こしていらっしゃったので、簡単な処置をさせていただきましたわ」
「……ハッ、靴擦れとは、相変わらず鈍臭い女だな。聞いて呆れる」
怪我をなさっていた彼女は、痛みのせいかどこか物悲しげで、近くで拝見したお顔は清楚で、とてもお上品だった。
真白様は彼女のことがあまり好きではないようだけれど、普通の方なら彼女に好感を持つでしょう。
「……聞いていた通り、儚げで、か弱くて、守ってあげたくなるような……まさに深窓の令嬢を具現化したような方でした」
中身に自信がない人ほどルックスで無駄に個性を出すと言うが、まさにわたくしはそれだ。
地味な顔がコンプレックスで、少しでも見栄えを良くするために髪をキツめに巻いて縦ロールにしている。もちろん、いつだってドレスはフリルやレースのついた派手なものを好んで着る。
……けれども、彼女はわたくしとは真逆だ。麗氷でのダンスパーティーの時も、先日のパーティーでも、シンプルなドレスを着こなす。まるで、余計なものなど必要ないとでも言うように。
加えてかなり優秀らしく、勉学はもちろんのこと、学級委員としてクラスメイトや教師からの信頼も厚いとか。他のクラスの方まで彼女を頼りにくるらしく、青葉様が彼女との婚約をずっと望んでいるのも頷ける。
「……わたくしも、彼女のように──『立花雅』さんのようになれたら幸せだと思いますわ」
「ということはつまり、お前は今幸せではないんだな」
「そ、それは……。そ、そういう真白様はどうなんですの!」
「そうだな、少なくとも別人になりたいとは思わないし、自分が自分であることを受け入れている」
一体その自信はどこからくるんですか、真白様。先程立花さんのことを相変わらず鈍臭いとおっしゃいましたけれど、あなたも相変わらずご自分がお好きでいらっしゃる。
「他者を羨む前に、まずは
「……ですが、それは」
「今のように、勘違いされ続けることが、果たして生産的と言えるのか?」
そう。出会ってからずっと、青葉様は勘違いしている。
──わたくしが、
そもそも、わたくしは真白様の婚約者になるはずだった。
顔合わせをする場所で、大きな庭を見つけたわたくしは、両親の目を盗んで見に行ってしまった。
しかし、その庭園は幼い子どもには広大で、わたくしは案の定迷子になってしまった。
そんな所を偶然助けてくれたのが、青葉様だった。
以来わたくしは青葉様をお慕いしており、両親に頼んで真白様ではなく青葉様の婚約者候補にして頂いたのだが……。始まりが真白様の婚約者だったせいか、青葉様はわたくしがご自分の婚約者候補だとは気づきもしない。
何度も何度も否定しようと思ったけれど、兄の婚約者としてわたくしを気にかけてくださるのが、悲しいけれど同じくらい嬉しくて……。
もしわたくしの気持ちを打ち明けてしまったら、この関わりがなくなってしまうような気がして、わたくしは何年も本当の気持ちを言えずにいる。
「そばにいるために、本当の気持ちを隠すのは卑怯でしょうか?」
「別に卑怯とまでは思わないが、もしも幸せを実感できずにいるのであれば、このままでいいはずがないだろう」
「……わかっていますわ。ですが、今のわたくしでは青葉様に振り向いて貰うことなんて到底……」
──無理でしょう。
だって、わたくしは『
「……まだそんなことを言っているのか。いつならいいんだ」
「『立花雅』さんのような、完璧なご令嬢になれた時ですわ」
「では、お前の言う『立花雅』のような完璧な令嬢とは具体的にどんな令嬢だ」
「それは……賢くてお綺麗で、」
「今のお前の成績ならば十分賢いと評価出来るし、この俺様が磨いてやったんだ、それなりに見れる容姿になっただろう」
確かに真白様ご指導のもと、地味で目立たなかったわたくしはそれなりに人様の前に立つことができる容姿にまではなれた。家柄と容姿においては、申し分ないと客観的に思っている。
けれども、勉学は青葉様や『立花雅』さんのように秀でているわけではない。
麗氷女子はお稽古の延長線上のような実技メインの授業が豊富なので成績は悪くないのだが、筆記において、彼女のように学年ましてやクラストップなんて、1度もとったことがない。
「……そんなことないですわ。わたくしなんて、まだまだ青葉様には相応しくありません」
「どうして貴様はそこまで自己評価が著しく低いのか、甚だ疑問だ」
「そ、そりゃ、真白様と比べれば、大抵の方は自己評価が低くなりますわ!」
青葉様のことを考えると、
去年のダンスパーティー、青葉様と踊れることを楽しみにしていた。青葉様はわたくしが真白様と踊りたがっているのだと勘違いしていらしたけれど、そんなこと重要ではなかった。
……なのに、それなのに、気がつけば青葉様は『立花雅』さんと踊っていた。まるでそれこそ本来あるべき姿だと主張するかのように。彼女は、青葉様のそばにいた。
踊っていたのは、数分間。たった1曲だけ。けれども、永遠のように長く感じた。
踊り終わってからの青葉様はすぐにこちらに駆け寄ってきてくださったけれど、わたくしはダンスに誘われることはなかった。
誘われなかったことに落ち込んだけれど、同時にホッとしていた。だって、踊ればきっと比較される。そうして皆思うのだ。
『伊集院薫子』よりも『立花雅』の方が青葉様にお似合いだと。
「真白様の自己愛が強いところはすごく羨ましいですわ。……でも、別にいいんです、今のままで。いつかきっと、一生懸命努力すれば青葉様も──」
「ハッ、『いつかきっと』ねえ。随分不確かな未来だな。楽しいよな、自分自身を悲劇のヒロインに仕立てあげるのはさ。甘美な自己陶酔にひたれる」
「……何をおっしゃりたいんですか」
真白様の言うことは、難しくて、時々よくわからない。だけど、ものすごく、馬鹿にされた気がするわ……。
「そうやって、もしも自分が『
……可能性の中に生きる? ますます真白様のおっしゃっている意味がわからない。そんなわたくしに気がついたのか、嘲笑を浮かべさらに言葉を続ける。
「お前は青葉に積極的にアプローチしないことによって、やれば出来るという可能性を残しておきたいんだよ。青葉の好みに近づいた自分ならば、振り向いて貰えるはずだと思っていたいから。もし本当にそうなった時に、振り向いて貰えなかったら耐えられないから」
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