第1話 魔女のみる夢 その七



 見間違いだったかもしれないが、坂本久遠だったように思う。とにかく、聖マリアンヌの生徒であることは確実だ。


(なんで、こんなところに生徒が?)


 龍郎は急いで少女の影を追った。

 T字路になった廊下のつきあたりを少女はよこぎっていった。

 龍郎が廊下をまがったときには、少女の姿はなかった。そのかわり、ある人物とぶつかりそうになる。


 神父だ。

 学園ですれちがった、銀髪の神父である。名前はセオドア・フレデリック。


「えッ? なんで、こんなところにいるんですか?」

 龍郎がたずねると、神父は優しげに微笑した。

「私は神父ですからね。結婚式の打ちあわせに来たんですよ」

「誰の結婚式?」

「ホテルにも教会がありましてね。私はそこと学園の神父を兼任しているのです。結婚式はホテルのお客さまです」

「そうですか。どうも失礼しました」

「いいえ。急ぎますので」


 神父は足早に立ち去る。

 その背中を見送りながら、龍郎は、ふと思った。さっき見た制服姿の人影。もしや、あの少女はこのホテルの一室で、神父と会っていたのではないかと。


(なんかもう、わけがわかんないなぁ。青蘭に相談しよう)


 エレベーターの前まで引き返して、プレミアスイートルームへ戻ろうとした。ところが、今度はプレミアスイートルームの黒いドアの前にへばりついている総支配人を目撃してしまう。まるで立ち聞きするかのように、ドアにピッタリ張りついている。


 こほんと咳払いして、龍郎は総支配人の背後に立った。

「何してるんですか?」

 総支配人はビクッととびあがり、あわてて言いわけする。

「いえ、御用がないか聞きに来たところです。今、ノックしようとしておりました」

「用があれば呼びますよ」

「さようでございますか」


 そそくさと総支配人がエレベーターのほうへ歩いていった。

 なんだと言うのだろうか?

 誰も彼も怪しい。

 頭をかかえながら、龍郎はドアロックを外した。さすがはプレミアスイートで、生体認証で開閉できる。これなら鍵を部屋に忘れて出ても閉めだされることがない。


「ただいま。青蘭」

 ドアをあけると、青蘭は真紅の革張りのソファーの上に目をとじてよこたわっていた。眠っているのだろうか?

 近づいていくと、白い頬にひとすじ、涙のあとがある。


(まったく……なんで、こんなに、ほっとけないんだろう? ちょっと目を離しただけで、すぐ泣いて……)


 こんな瞬間に愛しさがこみあげてくる。

 龍郎は青蘭の枕元に、そっと腰をおろし、流れる涙を指ですくった。

 その感触で目がさめたのか、青蘭が長いまつげをあげて、龍郎を上目遣いにながめてくる。しかし、何かおかしい。


 青蘭は言った。

「おい。本柳龍郎。おれと契約しないか?」

 しわがれた男の声。

 アンドロマリウスだ。青蘭のなかに住みついているという、男の悪魔。

 青蘭の主人格が眠っているから、表層意識に現れたのだろう。


「契約?」

「そうだ。おまえ、賢者の石を持ってるだろ?」

「持ってるが、やらないぞ」

「それがあれば、青蘭が助かるんだぞ?」

「助かるって?」

「おまえは、おれやアスモデウスに青蘭のなかから出ていってほしいと思ってるんだろ?」

「まあな」


 青蘭は彼らを本物の魔王だという。

 だが、青蘭の心の傷が作りだした別人格の可能性もなきにしもあらずだ。

 ほんとうのところ、どっちなのか、龍郎にはまだわからない。


 彼らが体内から出ていったと青蘭が信じこめば、病気が治るかもしれないし、そうではないかもしれない。


 もしも彼らが青蘭の言うとおり、本物の魔王なら、そう簡単に青蘭から出ていくとも思えないし、うまいことを言って龍郎をだまそうとすることは予想される。悪魔とは、そういうものだから。


 だとしたら、どうしたら青蘭のために一番いいのかは、そうとう慎重にならなければいけない。


「おれは、おまえの言うことは聞かない。青蘭が頼まないかぎりは、この石を手放しはしない」


 ふふふと、青蘭は笑った。

 青蘭の顔だが、いつもと表情が違う。

 以前に一度だけ見たアスモデウスのときの青蘭とも違う。奸智にたけた男の顔だ。


「おもしろい男だなぁ。龍郎。信じられないかもしれないがな。おまえ、おれの若いころに似てるよ」

「嘘をつくな。おまえは魔王なんだろ?」

「ああ、そういうふうに呼ばれてるな。今は」

「昔は違ったとでも?」

「人間はおれたちのことをいろんな名前で呼んできた。時代によって、おれたちは神であったり魔神であったりした。まあ、いいさ。気が変わったら、いつでも取引してやるぜ」


 アンドロマリウスは眠りについた。

 まぶたが閉ざされた直後、また開いて、青蘭が龍郎の目をのぞきこんでくる。今度は青蘭だと、瞳の色でわかった。


「龍郎さん」

 嬉しそうにニコリと笑って、青蘭は起きあがってくる。自分がさっきまで魔王だったとは思っていないようだ。


「女の子たちの相手は疲れるよ。ちょっと休憩しに帰ってきた」

「龍郎さんは優しいから、モテるでしょ?」

「うーん、まあ、そうなんだろうな。もみくちゃにされてる」

「じゃあ、ご褒美にお茶でも飲みますか?」

「うん。おまえといっしょに飲みたい」


 青蘭がフロントに電話をかけると、すぐに総支配人がカートを運んできて、ウェイターのマネをしてくれた。

 この総支配人、よっぽどヒマなんだろうか。


(さっきのは絶対、立ち聞きしてたよな? でも室内には青蘭一人だった。しかも寝てたんだから、立ち聞きしても何も聞こえるはずないのに)


 この総支配人はホテルが青蘭の祖父の所有だったころからいるという。ということは、青蘭の祖父の隠し財産についての噂も耳にしたことがあるのではないだろうか? 隠し財産が骨董品だと知らなければ、ホテルのどこかに金塊か宝石でも隠されていると考えるかもしれない。つまり、そのありかを青蘭の口から知りたいのだ。


(金目当て、か)


 そう思案し、龍郎はかえって安心した。金目当てなら、青蘭に危害はくわえないだろう。賢者の石でさえなければ、青蘭の祖父の隠し財産がどうなろうと、龍郎には興味がない。おそらくは総支配人だって、それを見ればガッカリする。


 ほっといても問題なさそうだと、龍郎は考えた。

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