第18話
これはブーツホルト・メイプルリーフの幼い頃の記憶の断片。
母親に抱きかかえられることで初めて見える、大人目線の景色。
見渡す限りの人、人、人。それこそ地平線の先まで続いているようにも見える様子が、人で出来た絨毯を連想させる。
等間隔で幾千幾万という人間が並び立ち。壇上に一人立つ人物の宣言に全員が聞き入っている情景は、まだ赤子であるブーツホルトであっても不思議と心を躍らせ、記憶の一枚に焼き付けた。
自分の家族であり父親。帝都レディースレイク第一皇子の筆頭騎士、トリスタント・メイプルリーフ。その息子だからこそ見る事のできた光景。
舞台袖からではあったものの幼いながらに見た光景は何時でも鮮明な記憶として蘇り、今なお自分の自信の根源になっていると言っても過言ではない。
この国でたった一人だけに許される、特別で、格別で、名誉な称号。それが・・・
聖騎士。
途方も無い人口を持つ帝都の中で、一番と認められた証であり、騎士ならば誰もが一度は夢を語る存在。
その主が、自分の父親で。そして自分はその男の子供。
幼いながらに素質を見出され、将来父親を越えるだろうといわれたブーツホルトは、手厚く、厳しく、沢山の愛情を注がれて育てられた。
物心付く前からも付いてからも、訓練が容易い事等有りはせず。いずれ聖騎士を継ぐ存在として周囲の期待も何倍も受け、それに応え続けてきた日々。
八歳を迎える頃には才が形になり始め、誰からも一目置かれる存在までに成長した頃には、同世代に叶う者は居らず。最近では実力のある大人の騎士が相手でなければ鍛錬が勤まらないほどだった。
そんなある日―――。
時折行われる父親と一対一の稽古の場での出来事。
心身困憊しながらも生まれて初めて、父親に一撃を与える事ができた。いや、できたのかと疑問も否定できないほどに微妙な感じであったけれど。
「――――強くなった」
聞き違いでなければいい。勘違いかもしれない。とても信じられないから問うてしまう。
「い、今。何とおっしゃいましたか!?」
「・・・本当に、強くなったな」
「父、様?」
「もう身体強化無しではお前に敵わなくなってしまったか」
ほんの少し、ほんの僅かな憂いを含みながらも、心から息子を祝福し喜ぶ父親の笑顔が浮かぶ。
一瞬呆気に取られ口が開いてしまうが、続く言葉が許してはくれない。
「騎士院に入りなさい、ブーツホルト」
「えっと?」
「ははは。最近の成長を見ていると・・・いずれ聖騎士の称号を賭け、お前と交える未来も、そう遠くないかもしれないな」
「!」
帝都レディースレイクにある騎士院への入院の通告。
言葉通りの単純な意味だけじゃなく、それはきっと、もっとずっと、深い深い意味と思いが篭っている言葉。
父親であるトリスタント・メイプルリーフも、前聖騎士ヴェイル・マクエルトも、歴々の聖騎士も通った道のり。
彼の力が父親に認められたに他ならず。
つまりは、歴々の聖騎士達が通った道を、お前も追いかけて来いと言う事。
他の誰でもない。自分が、だ。
この先どれだけ明るく広い世界が待っているのだろうか。
そして、その何倍の厳しく辛い経験がが待ち受けているというのか。
温かく優しい世界だけではない騎士の世界。父親と言動から学び知り、現実に直面した場面も何度も見せられた経験も有るからこそ、身体が震えた。
ずっと、ずっと、この道を突き進む。
茨道だろうとも、獣道であろうとも、父様を信じて突き進んでいこう。
迷いはあるけれど振り返らずに。
いずれ自分が、記憶に残る写真の壇上。そこに立つ存在に成らねばならないと悟ったから―――。
なのに。
どうして、どうしてだ。どうしてなんだ。
記念すべき最初の踏み出した一歩目。
茨道だって。獣道だって。知っているはずなのに。
何故。君サンラが立ち塞がるんだ。
「―――そんな、馬鹿な!?」
思わず声が飛び出てしまう。
困惑。後悔。憤怒。驚愕。そして嫉妬。様々な感情が混ざり合い制御できない心が産んだ一言だった。
下手すれば致命傷を与えかねない一振りだったはずなのに。
「有り得ない・・・。どうして君は無事なんだ!?」
無事で居られる理由が理解できない。
ブーツホルトの渾身に限りなく近い一振であって、父親に初めて与える事の出来た一撃に等しいものだ。
今や全てが後の祭なのは分かっている。
完全な自身の失態だと自覚している。
己が未熟なせいで、取り返しの付かない事態になるかもしれなかったのに。
どうして彼は・・・
「防御され、た。のか?」
地面へ。めり込む剣先を、ただただ呆然と見つめながら、直横に立つ存在に動揺させられる。
まるで滲み出る冷や汗と震える瞳が彼の今の気持ちを代弁しているかのようだ。
今の一振りは、運が良かっただとか、勘に頼るだけで回避できるような代物では決してなく。
研鑽を重ね、絶え間無い訓練の果てに得られた。経験。
危険に身を晒し、痛みを繰り返し身に刻む。体験。
その二つを、身体への負荷と回復を繰り返す事で得られる肉体が支え。
それらに強靭な精神力と判断力が合わさって初めて回避できる一撃のはずなのに。
防御の基本も知らない素人に避けられる訳がない。
分からない。
教えて欲しい。
どうしてだと少年の中で繰り返される自問自答。
永遠に続くかと思われたが。混乱する思考の中へ、落ち着いた声がすうっと流れ込んできた事で、再び時は動き出す。
「ね。できたでしょ」
「へ?」
「ちょっと避け切れなかったけど、次はちゃんと避けるよ」
「避けただって?」
回避、とサンラは言った。それは認めない。今のは防御だと訂正させてやりたいと思う。
ブーツホルトは、本当は、目の当たりにしていた。一番近くではっきりと見ていたのに、見ていないフリをしていただけ、それだけなのだ。
自分の放った一振りを回避された事実を受け入れられなかったから、自分に都合の良い様に解釈した。誇りを傷つけたくないが故に。
だが現実は目の前に在る。
模擬剣が重なり合った瞬間。自分の模擬剣が、彼の模擬剣の剣身を滑った。例えるなら、油が表面に塗られているようだと言えば想像し易いだろうか。押せば押すほどに縦滑りしていく様子が、ゆっくりと思い起こされる。滑る途中、サンラの身体も横へと滑り、模擬剣の根元近くまで来た瞬間、ポンと軽く弾かれたのだ。けれど自身の模擬剣へ込めた力は失われておらず、勢いはそのままに地面へめり込んだというのが事の顛末だった。
「もっと続きしようよ!今の一振り凄すぎて、ほら見て見て。薙ぎきれずに剣身が痛んじゃった」
「・・・」
純真無垢な思いは時に人を傷つける。本人に悪意は無くとも受け取り側次第で、意味が変わってしまう。
だからブーツホルトも誤解した。
サンラに見下されたと思い込み、再び吹き上がった怒りが理性を狂わせる。
彼の言葉が。
彼の動作が。
一々神経を逆撫で、自分の思い出に傷をつけていく。
「次は絶対避けるから!」
「っ・・・」
一番大事な思い出に、皹がパキッと音をたて、入った瞬間。
ブーツホルトの中で何かが、爆ぜた。
「うわああああああああああああ!」
「っちょ!?」
吹き出た怒りと魔力に身を任せ、全力全開で模擬剣を振るう。
まさに文字通りの力任せ。
「私は!私は!私は!こんな素人なんかにいいい!私はああああああ」
「くっ!っぁ!―――あっ!!!」
人の急所や、回避が難しい場所を狙うわけでもなく、単純に本能に任せただけの打込み。だが、相応の場で研鑽を積み重ねてきたブーツホルトが行えば話が違ってくる。第三者が見れば、尋常ならざる速度で無作為な打込みが行われていると見て取れ、止められる者が居ない今、誰も少年二人以外に居ないからこそ出来た愚行。
空気を斬る音も、びゅんびゅんといった鈍い音と違い。シッ、シャッ。といった、騎士の中でも上位な存在だけが振るう際に出せる音が飛び交う。
繰り出し続ける子も大概だが、受ける子も子だ。
足捌きと身の動きで回避し、間に合わない振りは模擬剣で受け流そうと試み。流す。何とか流せている。だが、不慣れな件に加え、手数に押され反撃できないのと、表情も苦しさが滲み出ており何時まで続けられるか分からない。
一歩間違えば大惨事。悲劇は免れないであろう。
一瞬一瞬が気の抜けない膠着状態の中、ついに―――。
「そこだあああああ!」
「うぐっ!?」
悲鳴とも聞こえるような悲痛な叫びを伴い、ブーツホルトの一撃がサンラの左の二の腕を捕らえた。かに思われた。
確かに腕に模擬剣が触れている。ただしそれはサンラ自身の模擬剣だ。ブーツホルトの持つ模擬剣とサンラの腕の間に、サンラが自身の模擬剣を無理やり捩じ込むことで、盾としたのだ。
「あ、危なかった」
「これでも、届かないだと!?」
まさに紙一重ならぬ剣一重の所業。この技は、サンラがギャラドとウルバの剣舞で見た際に、覚えた防御方法だった。
だが、流さず受け止めてしまっては、衝撃が身体へと届く。
生身の身体に身体強化という魔法が乗った衝撃。
大人の全力の殴打を、子供が薄い鉄の板一枚で受けたようなものだ。
目に見える傷や損害は無くとも、サンラに大きく間合いを取らせるほどに効果は出る。
すぐさま距離を取ったサンラに対し、呼吸を一つ二つと整えてからブーツホルトが追い討ちをしようとした瞬間。
「回復などさせは―――」
キラキラと飛び交い舞う光り輝く粒子を目の端で捉えた。
「なんだこれは・・・光・・・粒子、か?」
自分じゃない。他の誰かが纏う粒子。であれば、該当者はこの場に一人しか居ない。
目の前の人物から発せられた光だ。
すなわちそれは、サンラが身体強化を纏った事を意味する。
数拍の時間の後。
意味を理解すると同時だ。鈍器で殴られたような衝撃が頭を襲い、視野が大きく揺らされ。くらりくらりと身体も揺れて、足が二歩よろめいた。
思わず握っていた模擬剣を落としそうになり慌てて握り直す。
「本気じゃ・・・なかった・・・のか?今の、今まで?」
呟きと同時。ついにブーツホルトの魔量も底が見え始める。
対してサンラの周囲を光り輝く粒子が舞い。その粒子量はまるで、つい先程までのブーツホルトにそのものではないか。
「準備はいい?」
「え」
今の、え。は、限りなく、へ。に近いものだ。
理解も認めたくもない。ただ拒絶したい現実があるだけ。
怒りでいっぱいになっていた心の中に、大量の不安と言う物体が四方八方から流れ込み、あっという間に心を満たす。
心の色が赤色が消え去って、灰色と黒色で満たされた時だ。
声が掛けられる。
「いくよ」
そう彼は言う。
いくよとは何か。分からず、定まっていなかった目が彼を視野に入れることで理解させられる。
行くならば何かがやって来るのだ。
違う。そうじゃない。
彼が、攻めて、来るのだ。
「っ!!!」
理解した瞬間。防衛本能か何かが模擬剣を構え、防御姿勢を取った。
ただし、防御姿勢というには余りにも拙く。全身硬直させ目を閉じ、現実を見ないようにするという、ここが戦場であれば真っ先に死に直結する形ではあったのだが。
ゴフッと音が聞こえ。
「ふがっ!?」
声が届く。
ほぼ同時にビクッとブーツホルトの身体が芯から震えた。
「・・・・・・・」
しかし、次に来るはずのものが来ない。
攻めによる打撃の衝撃が、何時まで経っても己の身体の何処にも届かないのだ。
「・・・?」
恐る恐る目を開け様子を伺えば。
思わず呟きに近い声が漏れる。
「・・・え?」
サンラが地面に突っ伏していたのだから。
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