26話 クロセクリスの逃避行

 その日。何事もない平穏の日々は、突如として崩れ去った。

 ルクセンシュタッツ王国は、山国であり、隣接している国々同盟国ばかり、唯一関係が良くないのは、過去の宗主国であったクレメンス連合のみ。

 現状ではクレメンス連合の方面さえ気を付けていれば、問題はないはずであった。


 国軍を率いるのは若き名将と謳われるアレク・ファルネーゼ将軍。

 独立戦争の際に本来の指揮官が戦死した後を引き継いで、クレメンス連合の大軍を撃退した英雄だ。

 敵国となるクレメンス連合方面に拠点を構え日夜警戒を怠らない。


 だからであろう。

 油断とも言えない油断、想定外の事態が起きたのは、必然でもあった。


「陛下! すでに城内に侵入されております、敵はフェイタル帝国です!」


 連絡役の兵士が慌てた様子で、国王ルメーゲに報告を行う。

 戦争をして負けたわけではない、突如として城内に侵入を許したのだ。

 それも、隣接していないはずの国から。

 フェイタル帝国が攻めるとすれば北からとなる。

 ルクセンシュタッツの北にはゼップガルドがあり、攻められるにしてもそちらが陥落してからのはずだ。


 小国が維持可能な兵数で、同盟国側に戦力を割くのは合理的ではない。

 だが少なくとも見張りによる警戒はしていたはずだった。

 何の知らせもなく王城に侵入を許すなど、想定出来るはずがない。


「敵将は、誰だ」


 国王ルメーゲの重い声。威厳あるその声は、兵士の狼狽を消し去った。


「敵はフェイタル帝国八軍将筆頭、カール・リヒテルであります!」

白霧騎士団ヴァイスネーベル・リッターか……。得心がいったわ」


 白霧騎士団ヴァイスネーベル・リッター。フェイタル帝国の中でも最強と言われる精鋭中の精鋭部隊。

 カール・リヒテルが対フィーネ帝国に育て上げたこの精鋭部隊は、少数で戦い続けなくてはならなかった由来から、特に奇襲を得意とする。

 霧の如く現れては消える、事から呼ばれた名だ。


「しかし、どこから城に入った? 王城へ侵入する前に最低でも街の城壁を攻略しなくてはならないはずだが……」


 ルクセンシュタッツの王城に辿り着くまでには、西区東区のどちらかの城門と、中央区へ繋がる城門を落とす必要があった。


「それが、その……。王家の隠し通路から侵入されたのではないか、と」

「なんだと? あれはそれこそ王家にしかわからぬもの、となると……」


 ルメーゲは考え込む。

 確かに隠し通路以外に、気付かれず王城へ軍を送り込む手段はない。

 恐らく、この兵士の言っている事は真実だ、と悟った。


「お父様」


 ルメーゲを父と呼ぶ者、娘であるクロセクリスが玉座へと歩み寄った。

 兵士は、慌てて脇に控える。


「クロセクリス。この城はもうすぐ落ちる、今のうちに逃げると良い。街の城門はまだ安全だ」

「お母様、ですね。手引きをしたのは」


 クロセクリスが確信しているように、王妃ディアーナの名を挙げる。

 特に仲が悪かったのは確かだが、王妃の精神状態はここ最近、特に異常なものとなっていた。


「ディアーナだな、間違いない。……私は長年のツケを払う時が来たのだろう。だが、お前は違うな? 約束が、あるのだろう?」

「はい。お父様、これまでありがとうございました。寂しくなりますが、もはや時間もありません」

「ああ、早く行け。間に合わなくなるぞ」


 最後に一礼をし、クロセクリスは走り去る。

 それから僅かな空白の時間、ルメーゲの前に現れたのは予想通りの男であった。


「久しぶりだな。カールよ。元気にしておったか」


 かつて共に仮面王と戦った、戦友。カール・リヒテル。

 フェイタル帝国軍八軍将筆頭。

 “竜殺し”の異名で呼ばれる、歴戦の老将。


「ルメーゲ、老いたのう。仮面王戦争で共に戦った時とは大違いじゃ」

「王などになるものではないな。実につまらなくもくだらない、充実した陰湿なる日々だった」

「……そうじゃな。儂が言うのもおかしいが、あの女はいかんのう」

「いやいや、あれで可愛い所もあるんだ。娘相手に嫉妬して、ついには国を売り渡すのだからな」


 政略結婚で結ばれたディアーナは、有力貴族の一族の代弁者として、既得権益を守り改革に抵抗し続けた野心家でもあった。

 その精神状態がおかしくなったのは、自身では愛情を抱けなかった娘に、ルメーゲが満面の笑みで接した時。

 娘相手に嫉妬したディアーナは、過去の所業を後悔し、今更ながらに夫を愛していたのだと理解してしまった。

 以後、精神を病み続け、やがて発狂し、夫を道連れにして死を選んだ。

 こうして、今日、国を崩壊させる事によって。


「姿は老いたが、まだまだ我が師より授かりし剣腕は衰えておらんぞ?」

「戦友よ、それは嬉しいのう。……しからば、闘ろうぞ」




 敵の気配を感じ取り、避けながら外を目指す。

 敵の侵入を許した王城こそが最大の難関であった。

 まともに外に出ようとすれば、敵と遭遇する事は確実だ。

 クロセクリスが取った手段は、およそ姫君とは思えない行為である。


「カデュウと一緒に、先生に教わった事がこんなところで役に立つとは。人生何があるかわからないものね」


 窓から出て、外壁を伝う。まるで暗殺者の如き動きで器用に張り付いて移動していく。

 そのまま王城の内側に生える背の高い木に飛びつき、勢いで中央区との間を区切る城壁へと跳躍した。

 まだ、城の制圧はされておらず、壁を見張っているはずの兵達も戦いに向かったのだろう、城壁の上部には誰もいなかった。

 見つからなうちに城壁を張り付いて下っていく。


「こういうのはあまり得意ではないのだけれど……」


 ゆっくり慎重に降りていく。ここでしくじっては逃げ出した意味がない。

 城の中から中央区へと行けば、当面は安全だ。

 夜という事も手伝って、気付かれずに抜け出せている。


「王城をいきなり攻めた、という事は、いたずらに街への被害を出す気はないという事。ならば、中央区や西区は安全となる……」


 

 

「問題は、街を出た後。後詰と遭遇する可能性も十分あるし、食料や水という問題もある。といってもお金は持ってない。……ならば敵も想定していない事をしましょう」


 目立たないように街の外に出て、街道を使わず山を駆け回る。

 それがクロセクリスの考えだした逃亡策であった。

 木々が茂る箇所を移動すれば、隠れやすいだけでなく食料や水の調達が用意になる。


「時間があればこの服も変えたかったけれど、ああも急では仕方ないわね」




 中央区の城壁をよじ登って、外部へと降り立った。

 西か東、どちらかの門番に説明して開けてもらう事も出来たが、敵の占領下におかれた時に問い詰められ口を割らないとも限らない。

 正規ルートには敵が待ち構えている事もありうるし、民衆に見られてもやはり情報が漏れてしまう。

 極力、敵への情報を与えない為には、こっそりと外へ抜け出す事が最善だ。


 そうクロセクリスは考えていた。

 しかし、敵の動きは遥かに想像を上回っていた。

 フェイタル帝国軍の後詰はすでに付近まで迫っていたのだ。


 ひとまず南にいるファルネーゼ将軍の拠点に向かおうと考えていたが、すでに南方面は封鎖されていた。

 まだ逃げられそうなのは北側のみ、クロセクリスに選択の余地はなかった。




 逃亡してから丸1日が過ぎた。野山を駆け回っている為に、進みは遅いがこの調子で行けば無事逃げられる。

 寝ずに進み続けたので疲労も溜まってきていた。


「ゼップガルドも当然落とされているでしょうね……、どこかの村落に行った方がいいのかも」


 その時、茂みをかき分ける音が聞こえた。

 身を隠すが、段々と近づいてくる。しかも、複数だ。


「フェイタル帝国軍……!」


 いつの間にか街道の付近まで来てしまったのだ。

 曲がりくねる山道だから避けるのは難しくはあるが、それでも気を付けなければならなかった。

 どうするべきか。見つかっているのか、まだなのか。


「おい、そこに何かいるぞ」


 夜目が利く兵士!

 どんな種族なのかなど、考えている暇はない。

 もはやクロセクリスの道は強行突破以外になかった。


 逃亡を選択したクロセクリスの目に、厳しい現実が伝わってきた。

 街道一杯に展開している帝国軍、向かう方向と数からしてゼップガルドを攻略した後の後詰の軍のようだ。


「それでも、会わないと。約束が、あるもの。……カデュウ」


 正面に立ちはだかる者は斬り捨て、クロセクリスは敵の少ない方面に走り出した。

 当てもない逃避行を、思い出を糧に進んでいく。

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