16話 原初の旅

 カデュウの目が横たわる少年の姿を捕らえた、その時。

 その付近にあった石の輪ようなオブジェが光を放射し、その光が触手のように周囲を蠢きだす。

 ――少しの間、その場から動かなかったその蠢きは、目的を見つけたことで集約され、光の触手は目的物――横たわる少年へと向かった。


「!!」


 考えている暇はなかった。少年が危ない、そう本能的に察知したカデュウは少年を抱きかかえ、すんでの所で光の触手を回避する。


「ちょっと……、何よアレ」

「なんだ……何かが……おかしい……?」


 尋常ならざる異変を目の当たりにしたマリアルイゼとボッリは、お互いに構えたまま止まった。

 取り分けマリアルイゼには護衛としての役目がある。

 助けに入るべきなのか、かといって自身が離れれば術者であるハクアを狙えるという状況で、ボッリを自由にしていいのか。迷いが生じる。


「なんだよ、アレ……。世界を救った神の遺産のはずじゃ……?」


 壁際でコルネに介抱され術での治療を行っていたイザーイが呆然と呟く。

 彼らの計画と違うもの、彼らの目的と違うもの。何かがおかしいと。


 カデュウが少年を助け光の触手を回避していたところに、介入してきた者がいた。

 巨漢の魔獣使い、ラルディだ。

 

「待てぇぇ! そのガキに触るんじゃねぇ!」

「いかせないよ!」


 投げナイフによるタックの牽制を回避し剣で弾き、ボッリはタックに上段から斬りつけた。

 回避せざるを得ないタックが下がった瞬間に、ラルディは動いた。

 反撃を避けさせて引き離したラルディが、カデュウ目掛けて突進したのだ。


「……まずい!」


 ファルシオンを振り回し、どれが当たってもその部分が真っ二つなのは間違いないような膂力でラルディはカデュウを斬りつける。

 急に激昂したラルディの横入りに驚くも、その猛攻を少年を抱えながらかろうじて回避したが、さらなる追撃が待っていた。


 右の袈裟斬りを躱す。返しの左胴薙ぎ躱す。直突きを躱す。


 「ガァァラァ!!」


 猛獣のような雄叫びを上げてラルディはファルシオンを振るう。カデュウを、あるいはその腕に抱える少年を狙って。

 少年が軽い事が幸いしていた。ハンデ付きのまま自身を超える強者の攻撃を避けてはいたが、それでもやはり負荷は大きい。


 首への薙ぎを躱す。左の袈裟斬りを受け弾く。真上からの振り下ろしを躱す。


 ――技術の、そして体力の限界が近づいていた。

 横薙ぎをバランスを崩しながら躱す。だが。

 その回避先には、光の触手が罠のように待ち構えていた。


「なっ……!」


 触手に包み込まれ身動きが取れなくなるカデュウは、いまだ少年を抱えたままであった。

 別の光の触手がラルディの方にも叩きつけられる。


「なにっ!?」


 紙一重で身体を跳躍させて、ラルディはその場から逃れた。

 さらにラルディに向かう光の触手を警戒して、大きく離れる。


「……動けない。……この子を降ろす事もできない」

「カデュウくん!」

「やばいんじゃないのアレ!?」

「ごめんなさいハクアさん……、迷惑をかけちゃいました……」

「なんてことだ、今そっちにいく!」


 申し訳ないという表情で沈むカデュウ。

 さきほどの疲労や傷はあるが、この触手に包まれている事での痛みはなく、この触手は硬くもなく、ただふわふわとした感覚に包まれていた。

 身動きを取ろうにも動けない、だが逆に考えれば自身という足手まといがいなくなり仲間達の負担が減る、カデュウはそう考える事にした。

 何も出来ないのならば、悲観しようが楽観しようが何も変わらないのだ。


「なんだこれ……。おい、ボッリ……。なんだよ、これ。俺達も、狙っているのか? おかしいぞ?」


 事態をよく見ていなかったのか、頭に血が上っていたのか、あるいは危険がないものだと思い込んでいたのか。

 ラルディは今になって戸惑いだした。

 そうして動きが止まった所へ別の光の触手がラルディを捕まえに向かう。


「うぉ!?」


 数ミリ程度のギリギリで図体に似合わぬラルディの転身が間に合った。

 勢い余った光の触手はラルディが立っていた場所に叩きつけられる、激しい音と衝撃が伝わるが遺跡の床はまったくの無傷だった。



「魔術……? ……いや、これは“鍵”だ。それも、暴走している……?」


 光の触手を睨むように視たハクアは、その本質を理解した。

 魔術でもなく、遺跡に備えられたトラップのようなものでもなく。

 “鍵”。“世界の鍵”。神話に語られる神々や、伝説の神王達が残したとされる、神代の遺産。


「カデュウくん達に害を与えてはいないようだが……、これでは魔術のように分解する事が出来ない……」


 ハクアの眼をもってしても、その光の触手への対処方法がわからない。

 これは魔術ではない。魔術式もない。この光の触手は、まったく別の現象だ。

 元々、緊迫した戦いの最中でもある、焦りが募っていく。


「まったく動けません。せめて、この子が無事だったら良かったんですが……」

「キミが無事じゃないとちっとも良くないよっ! ちょっと待っててね、カデュウくん。なんとかしてみせる!」


 そうは言ったものの、この光の触手を動かしているものは何なのか。

 ハクアの持つ手札で対処が出来るものなのか。

 ダメ元で光の触手に解体をしかけてみても無反応だ。




 ――その時。

 入口とは逆側、扉がないはずの壁が轟音と共に動き出す。そこから歩き出したものが2人。

 1人はフードと奇妙なマスクで顔半分が隠れている、古代帝国の魔術師のローブを纏う者。

 1人は紫色の修道服の老婆。


 先程まで争っていた敵味方共に混乱しすぎていて、もはや誰も戦っていなかった。事態を把握するまで動けなかった。光の触手を回避する以外では。


「予定通りじゃな、いや予定よりはマシか」


 静かに、浸透する声で、老婆は呟いた。

 どこか別のものを見ているように、人ではなく、宙に向けて。


「ディルバルール、邪魔者は処理せよ」

「御意」


 同行の魔術師にそう告げた後に、老婆の口から声が。

 いや、歌が発せられた。

 何1つ、誰1人、理解の及ばない言葉であったけれども。それは確かに歌だった。


「これは……。魔導歌レムア・ハーヴェ……?」


 いち早く気付いたのは吟遊詩人のタックである。

 魔導歌レムア・ハーヴェ。魔力を歌に変えて発するという、神代に生まれた人の術。

 タックの知る魔導歌は人の精神状態を左右する簡易的なものであったが、この老婆の歌は違っていた。

 歌の種類はもちろん、歌から感じる魔力の波動、出力そのものが。


「歌で、この光の触手を抑え込んでいる……?」


 歌は短く途切れ、老婆の全身から白い煌めきが立ち昇る。


 その煌めきは遺跡の空間に広がっていく。

 気が付けば光の触手は動きを止め、カデュウを捕らえているもの以外は消え去っていた。

 老婆が歩き出す、ハクアの元に向かって。


「お初にお目にかかる。ワシは“聖なる闇”教団サンタブイオのシスター。名をリエラと言う。……まずは手早く要件を済ませるとしよう」

「……“教団”! それも、教祖代行のシスター・リエラ!?」


 驚愕するハクアの傍に、いつの間にかマリアルイゼが戻っていた。

 状況がどう動くかわからないため、前提条件である護衛としての任務に戻ったのだ。


「やばいわね、あの2人。魔術に詳しくないアタシでもビンビンに伝わってくるわ」


 ハクアやタックはまだしも謎の光に捕まっているカデュウを救助するのは困難であろうと判断する。

 そもそも助け方も判明していない現状だ、だが見捨てて逃げるわけにもいかない。

 そんな事は白い髪の少女が許さないであろう。そう考えマリアルイゼは腹を括った。

 まずは新顔の出方を見る。敵か味方か、それとも中立か。それを見極めなくては何も始まらない。



「……! 教団だと? 俺達を始末に来たか……?」


 離れた位置でボッリが驚愕し、彼らの目論見は崩れ去った事を理解しつつあった。

 ならばどうすべきか、僅かな間に決めなくてはならなかった。



「“鍵”を操りしもの、ハクアージュ・クロゥニアよ」


 ハクアに相対して老婆が口を開いた。

 緊張と覚悟をもってハクアは老婆のしっかりと見据えた。


「この“鍵”の暴走に巻き込まれている、若造共の命を救う気はあるか」


 その口から出た言葉は、ハクアにとって予想外のものであった。

 “鍵”を持つ者を処分しに来たのかと思っていた。

 “鍵”の秘密を知る者を消し去りに来たのかと覚悟していた。

 それがハクアの知る教団の活動原理であったからだ。


「この遺跡こそ、かつて神が人に贈った創世の遺産。原初の旅ポルタカムア。最後に稼働してより長き年月を封印され過ごしてきたが。それがあまりに長すぎたのか、魔力を貯め込み過ぎたのじゃ」

「それじゃ、このままだと……」


 世界にすら干渉できる“鍵”の暴走。その意味をハクアには痛いほど理解している。

 消し飛ぶ、この周囲一帯が。

 ハクアの眼がこの地の底に繋がる貯まりすぎた魔力を視た。


「幸いにして、この“鍵”はあくまで転移するためのゲート。あの光の触手も本来は転移のための代物よ。だがいかんせん魔力過剰でイカれておってな。お主の“鍵”で救うが良い」

「……わかった、ボクがやるよ」


 ――止めなくては、と。

 ――助けなくては、と。

 ハクアは覚悟を決めた。やらねばならなかった。

 神の遺産が再び振動を始めた、再度の活動だろうか。

 老婆が続けて助言を伝える。


「お主でもこの光は解除出来んが。しかし、正しき道筋へと修復は出来るはずじゃ。本来、あるべき姿へとな。……では、歌をはじめるぞ、ワシが止めている間になんとかせえ」


 魔導歌レムア・ハーヴェ。それは創世の神代に生まれた人の歌。伝説の歌い手レムアがホビック達に伝えたとされるもの。

 老婆とは思えぬ清らかで澄んだ歌声。荘厳さ、神々しさ、安らぎ、のどかさ。見た事がないのに何故か懐かしさが込み上げる、そんな情景が浮かぶ不思議な歌。

 それは文化。はじまりの人が生み出した、はじまりの文化。人が、神に依らず生み出したはじまりの術。

 それは鎮めの歌。神世の遺物を封じる、神ならぬ人が生み出した封神の歌であった。




「くそ、何がどうなってやがる。世界を導く神話時代の“鍵”じゃなかったのか!」


 混乱した事態についていけなかったラルディは、ひとまずボッリの元へ移動していた。

 本来の目的、救済。それが根底から崩れ去っていくような状況に、何をすべきなのか、もはやわからなくなっていたのだ。


「愚かよな。貴様らは、エドに。そう、“血の盟約会”クローズドワードに誑かされたのよ」


 黒いローブの2人に近づく不気味な魔術師――ディルバルールと呼ばれた、妙なフードと仮面をつけた男が、彼らの謎に答えていた。

 歌の余波を浴びて、神の加護たるボッリの強化術も消え去っている。

 かの歌の前では神への祈りなど届かない。

 彼らにとって非常に難しい状況へと傾いていた。


「“盟約会”だと……。まさか……?」

「まさか潜伏者だとバレていないとでも、思っていたか? サバス・サバトの諸君」


 ディルバルールは語り掛ける。


「まさか君達の上層部が、君達如きをそんな重大な案件で使うとでも、思っていたか?」


 ディルバルールは高らかに語り掛ける。

 ボッリは理解した。炙り出されたのだ、と。踊らされたのだ、と。

 世界の救済などという夢物語は、この場にはなかったのだ、と。


「黙れ、黙れ、黙れ!!」


 絶叫にも近いラルディの怒鳴り声がむなしく響いた。


「エドからの伝言だ。盟約に背きし者、その代償を払ってもらう、とな」


 動物の皮のような奇妙なフードにマスクで顔の見えない魔術師、ディルバルールと呼ばれた者が、構えを取らないまま言葉だけで空気を一変させた。

 彼らは、この場がただの処刑場だと理解した。

 彼ら――ボッリとラルディは、残された自らの役目を、把握した。


「ふざけやがって! 俺達の……、救済の決意を弄びやがったな!?」

「もはや引く事すら叶わんのだな……、ならば。“聖なる闇”教団サンタブイオの使い走りよ。貴様を倒して次なる救済に繋ぐとしよう」


 もはや神の力は使えない。鎮めの歌により導聖術は無効化されているが、人の力なら行使できる。

 ボッリは視線だけでチラリと左側を確認し頷く。そして取り出した瓶を左右と前方に投げつけた。

 割れた瓶からは、もくもくと煙が立ち上がり、煙幕を形成する。

 魔術で精製された、煙へと変わる液体を瓶に入れた消耗品。戦場で傭兵などが稀に用いる戦術道具だ。

 この煙に乗じて、ボッリとラルディはディルバルールに向かって左右同時に奇襲を仕掛ける。そして。


 ――貫いた。


 ラルディのファルシオンと、ボッリのロングソードが棒立ちで微動だにしないディルバルールの身体を貫いた。

 その刃は、心の臓を捕らえていた。


「馬鹿め、油断しやがったな!」


 ラルディが震えながら僅かに笑みを浮かべる。

 それでも。勝てる、などと思ってはいなかった。

 心のどこかで、これではだめだ、と。


“聖なる闇”教団サンタブイオ鍵番けんばんが1人。“不死身”のディルバルール、血白者に変わって盟約を執行する」


 こうして、何事もなかったように喋る“教団”の魔術師の姿も。

 心のどこかで、理解していたのだろう。決して、勝てないと。

 ラルディもボッリも、勝ち目がない事は悟っていたが、それでも驚愕せずにはいられなかった。


「な……に? 心臓を貫いたのに……そんな馬鹿な……。動けるだと?」

「“不死身”……だと?」

「見事に貫かれた、おめでとう。――だが、残念だな」


 ディルバルールの左右の手が、2人の襲撃者の頭を掴む。

 ボッリはその一瞬を、恐怖と、わずかな微笑をもって迎えた。


「――譲奪マギス・マヌス


 短縮詠唱で行使されたその魔術は、ボッリとラルディの頭を簡単に吹き飛ばした。だが、無残な光景を生み出すはずのモノは飛び散らなかった。

 吹き飛ばしたはずのモノがディルバルールの手のひらに吸い込まれていったからだ。

 急激に多量の魔力を与えて過剰負荷を瞬間的に生み出し接触箇所を破壊し、与えた魔力を奪い取るという単純にして強力な術式である。

 こうした接触魔術は魔王降臨期には衰退しており、この魔術も現在では途絶えているものの1つであった。


「さて。あと2人だったはずだが。姿が見えんな」


 いつの間にかイザーイとコルネの2人の姿が消えていた。

 ディルバルールは残党2人を探すため、魔術を行使してその足跡を追った。


「――神眼の領域リチェルカ・ルーチェ


 生体感知、魔力感知の複合視野を術者にもたらす探知魔術。

 ディルバルールの強化された視界にそれらしき姿が映る。走り去っていく2つの生命。

 すでにこの場にはいなかった。遺跡の外へと駆け出していたのだ。


「ほう。先程の煙幕、あの2人を逃がすためのものであったか。……そうだな、指定された人物は始末した。後は私の知った事ではない」




「この触手は壊せない、魔力で溢れている神の遺産を止めることなど出来ない。そんな事をしたらこの地に眠る貯まりすぎた魔力が暴発し、ボク達どころかあの村ぐらいまで消し飛ぶかもしれない。どうすれば、カデュウくんを助けられる……? 正しき道筋……修復……。そういう事か。それ以外に道はないという事か」


 カデュウを捕らえている光ではなく、神の遺産の本体部分へとハクアは近づく。

 その手に“鍵”の力を宿し、そのまま石のオブジェに指を差し込んだ。

 神の遺産は止められない、だが、神の遺産の暴走を修復する事は出来るのだ。

 暴走の原因は魔力。過剰過ぎる魔力が原因ならば、ハクアのソレは魔力の流れを構築するもの。

 

「わかる……伝わってくる……。“鍵”への魔力供給を正常な状態に戻し、可能な限りマナを放って。……解除ができないのならば、動かすしかない」


 動かす、正常な形で。本来あるべき道筋を塞いでいた、その魔術をハクアが絶った。


「古代ミルディアス帝国の、封印か。……何故封印していたのかはわからないけれど、これが魔力が堰き止められていた原因だ」


 神代の遺産を、いかなる事情にしろ、封印していたのは今尚残り続けていた古代帝国の魔術。

 魔術ならば。ハクアのその“鍵”は解体できる。


「ハクアさん、ごめんなさい。――やっぱり足を引っ張っちゃいましたね、新人がでしゃばるものじゃないです」


 困ったような笑みで、カデュウは謝罪をした。

 しかし、もう一度同じ状況になっても、少年を助ける以外の行動などはとらなかっただろう、とも考えていた。


「カデュウくん、ごめんね。ボクの力じゃ、ここから出してあげられない。キミをどこかに転移させるしか、救う方法が見いだせなかったんだ。……ごめんね」


 謝罪する。泣きそうな顔でハクアも謝罪する。

 ハクアの“鍵”では、神の遺産そのものに干渉する事は出来ない。動き出した原初の旅ポルタカムアを止める術など持たない。

 転移するものとして確保されているカデュウ達には何も出来ないのだ。


「僕は、どこか別の場所に行くんですね」

「……そうだね」


 状況はカデュウも把握していた。

 暴走は止められても、すでに動き出している転移自体は止められない。ならば、転移するしかないのだ、と。


「ボクらも一緒に飛べたらいいんだけど、もうこの遺跡は動き出している。……手遅れみたいだ」


 穏やかだった。暖かな輝きに包まれつつあったが、カデュウの心は落ち着いていた。

 ああ、もうすぐなんだな、と。


「――カデュウくん。……もう会えないかもしれないけれど、ほんの少しの間だったけど。キミといた日々は、とても、綺麗だったよ」

「ハクアさん。タック先輩。マリアルイゼさん。――お別れなんですね。とても、とても充実した日々でした。アークリーズさんにも宜しく言っておいてください」


 優し気な笑顔でハクアが見守ってくれている。目尻に僅かな煌めきを見せながら。、

 カデュウも寂しげな色を含みながらも、明るく笑顔で迎えようと。

 ――せめて、後悔のない綺麗な別れを。


「カデュウくん、――さようなら」

「ハクアさん。また、会い――」


 

 静寂を取り戻した床に涙が落ちる。


「何かを。何を言おうと、考えてて……間に合わなかった、じぇ……。ダメな先輩だじぇ……」


 普段は饒舌なタックだが、こういう場面で、何を言っていいかわからなかったのだ。タックの涙が流れ落ちた。


 一方、あえて仕事に徹するマリアルイゼが、老婆に向かい合う。


「……さて。これでおしまい、でいいのよね?」

「無論よ、槍使い。……よくぞ務めを果たしたハクアージュ、導きを宿すものよ。……では、また会おうかの」

「なるべくなら、会いたくはないね……。でも、今はありがとう」


 曲がりなりにも救われた。ハクアもカデュウも、他の皆も。ならば、礼を言うべきだろう。ハクアは老婆に向かって感謝を伝えた。

 しばらく離れていたディルバルールが小さな声で詠唱を呟きながら老婆の傍に近づく。

 転移術であった。遺跡の“鍵”とは違い、こちらは魔術だ。今は失われし古代の魔術、その1つである。

 去り際に老婆が口を開く。


「先の転移はワシの歌にて抑え込んであったので大した距離には飛べておるまい。この大陸のどこかにはおるじゃろうて。悲嘆に暮れずとも旅をしていれば再び出会う事もあろう、生きておればな」


 そう伝えた老婆は、転移によってどこかへと消えていった。

 驚いたように顔を上げるハクアの表情には、少しばかりの笑顔が戻る。

 どこかにはいるのなら、いつか会う日も来るだろう。そう考えて、優しく微笑んだ。




 ――意識のないカデュウの頭に、誰かの声が響いた。

 夢だろうか。それにしては、何も見えなかった。


「この結末は予想外だ、予想を超えた、だから面白い。面白かった、興奮した、感動した。これぞ人。これでこそ人。美しい、美しい、美しい! そう、これぞ物語。これこそが物語! 喝采と晩餐をもって、ジオールに捧ぐ物語。本当は、君ではなかったんだけどね」


 見えない。声はすれども姿も何も見えない。


「おや、気付いたのかい? うるさかったかな? こんにちは? はじめまして? いやいや、違う。ありがとう。そう、伝えるべきは、ありがとう。ありがとう、ありがとう。私は君に、ありがとう。これでこそ物語、ジオールに捧げる物語。ありがとう。いつの日か、君が私の元に辿り着く事もあるのだろうか、ないのだろうか。それもまた物語。それじゃ、おやすみ。カデュウ」


 謎の声は止み静寂が戻る。妙に、癖のある喋り方。誰だろうか。

 考える事は出来そうになかった、眠りたかった。夢のような何かは終わり、再び意識は途切れた。


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