第105話 婚約破棄宣言

 キーセット家の屋敷の辺りからもうもうと上がる土煙と炎。

 焔竜えんりゅうの炎が燃え移ったのだろう。


「これは思った以上に大変なことに……」


 あの屋敷の中にはエレーナたちの私物とか大切にしてたものもあったろう。

 ただ崩れただけなら掘り出せば何とかなったかもしれないが、燃えてしまってはどうしようもない。


「拓海様ぁー!」


 びくぅっ。


 階下からのその声に俺は思わず体を硬直させる。

 恐る恐る声のしたフィルモア公爵家の庭に目を向けると、そこにはエリネスさんを初め、フィルモア公爵家の人達も含めた一同が俺の方を見上げて手を降っていた。


「ウリドラ、キーセット伯爵屋敷に行く前にちょっとエレーナさんの所に寄ってくれないか」

「ぴぎゅう」

「え? いや、謝りに行くわけじゃなくて、多分いまからあっちが主戦場になるからさ」


 俺はエレーナたちの前に降り立つと、その場にいる皆に現状の説明をする。

 今からキーセット家の付近が戦場になるから、逃げた人達にキーセット家から離れる方向に逃げてくれと伝えて欲しい事。

 そのせいでキーセット公爵屋敷が壊滅するかもしれないという事を告げる。


 現状すでに壊滅してると思うけどそれは言わない。

 俺はヘタレた。


「わかりました。避難民の誘導は私たちが行いましょう」


 フィルモア公爵がその役目を買って出てくれた。

 現状一番適任なのは彼だろう。


「それで拓海様は今から焔竜えんりゅうを倒しにいかれるんですよね」

「ああ、早く行かないとまたこっちに来られても厄介だしな。じゃあ行ってくるよ」


 俺はエレーナにそう言って踵を返し、ウリドラの背に飛び乗ろうとした。

 その手が突然引っ張られる。


「エレーナさん?」


 俺を引き止めたのはエレーナだった。

 彼女は握ったその俺の手をじっと見る。


 なんだろう。

 なにか付いてるのかな?と、俺も自分の手を見る。


「ああっ、俺の大事な指ぬきグローブがっ」


 さっき焔竜えんりゅうの体を殴った時に、どうやら焔竜えんりゅうの体をまとった炎に焼かれたのか、愛用の指ぬきグローブが見るも無残な姿に変わり果てていた。

 もちろん逆の手も同じ状況だ。


 いくら俺自身の防御力が高くても、装備まではその恩恵を受けないってことか。

 ということはこのままアイツと戦うと、最悪服とか全部燃やされて全裸に……。


「インティアさん、拓海様に回復魔法をお願いできますか」

「もう魔力無くなりそうだけど、その程度の怪我ならだいじょうぶですます」


 どうやら俺の拳は少し火傷していた。

 強い痛みを感じるわけではなかったのであまり気にもしてなかったけど……。


「って、火傷だと」

「いかがしましたか拓海様」

「い、いや。まさかね」


 俺はインティアの魔法により瞬時に直っていく自らの拳を見ながら背筋に冷たいものが走るのを感じる。

 今まで俺はダークタイガー相手でも、なんでも高い防御力のおかげでかすり傷程度のダメージしか受けてこなかったはずだ。


 さっき相対した焔竜えんりゅうだって俺から攻撃したわけで、相手からの攻撃は一切受けていない。

 なのに拳に火傷を負った。


「エレーナさん、ちょっと聞きたいんだけどさ。焔竜えんりゅうのあの炎って魔法の炎なのかな?」

「ええ、膨大な身に宿した魔力によって全身を炎の魔法で覆っている。それが焔竜えんりゅうです」


 やっぱりか。

 もしかしたらと思ってたけど、今まで魔法攻撃を俺はまともに受けたことがなくて気が付かなかった。


 鑑定したチートの種の種類はきようさ・スタミナ・すばやさ・まもりの五種類だけだ。

 そしてその中の「まもりの種」の効果は防御力を上げることだと思っていた。


 だけど違った。

 いや、違っては居ないが、正しくは『物理防御力を上げる効果』だったんだ。


 つまり、焔竜えんりゅうの体を包み込んでいる炎の様に魔法の力に対しては無力。

 最悪ファイヤーブレスとか食らったら消し炭になりかねない。


 当たらなければどうということはない!


 そう言いたい所だが、俺の攻撃はこの二本の腕による打撃攻撃だ。

 必然的にその魔法の炎を殴りつける事になる。

 幸いさっきは拳の先だけで済んだが、次はどうなるかわからない。


「炎の魔法に対抗する力が必要だな」


 火に対するには水だろうか?

 といってもこの場に居る水属性はインティアだけ。

 しかも回復特化な上に既にガス欠状態である。


「拓海様、よろしいでしょうか?」

「えっ、何エレーナさん」


 突然エレーナが俺の回復した両手を握りしめてじっと俺の目を見つめて来る。


 これはあれかな?

 戦いに行く男にチュッとするやつだな。

 俺知ってる。


 俺はドキドキしながら目を閉じる。


「ふわぁぁうっ」


 突然全身に温かい寒気が走る。

 日本語としておかしいのは重々承知だが、他に表現方法が見当たらないその感覚に思わず声が出てしまう。


 慌てて目を開けると、目の前で俺の握手をぎゅっと掴んでいたエレーナの体から赤い光が溢れ出し、俺の手を通じて俺の全身を包むこむように広がっていくのが目に入った。


「これは……」


 驚く間に赤い光は俺の全身を包み込んだ後、体の中に染み込むように消える。

 後に残ったのは不思議と体中が暖かくなったかのような感覚。


「拓海様に炎の加護を付与しました」

「付与って付与魔法ってこと? エレーナさん、そんな事も出来たんだ」


 てっきり攻撃しか出来ない戦闘狂娘だと思ってたなんて口が裂けても言えない。

 魔法防御が低いとわかった今の俺なら一瞬で燃やされかねない。


「はい。めったに使った事はないのですが、たまにお母様が料理する前に掛けて欲しいと頼まれますので」


 エリネスさんが?

 俺は名残惜しげにエレーナの手を離しつつエリネスさんに目を向けると、彼女にしては珍しくバツの悪そうな顔でそっぽを向いた。


「昔のお母様はその……料理が下手で、そのままだと時々やけどをしてしまいまして」

「エレーナ!」

「はいっ!」


 ああ、なるほどね。

 まぁ、田舎の自由奔放な男爵令嬢様だったからね。

 しかたないね。


「拓海殿、お姫様ひいさまはけして料理下手などではありませんでしたぞ。男爵家でも偶にゼハスから指導を受けてお菓子をお作りになられていました」

「ええ、そうですとも。むしろ私は貴族の娘の中ではかなり料理上手ですわ。ですから公爵家に嫁いでからも時折り厨房を使わせてもらっていましたの」


 ふんすっと鼻息荒く髭を揺らすエリネスさんの事はこの際置いておくとして。

 つまりこの炎の加護ってのは。


「付与魔法、バフか」

「バフというのが何かわかりませんが、多分それでしばらくは焔竜えんりゅうの体に触れた時の火傷は軽減できると思います」


 そう言ってエレーナは手を俺に向ける。

 そこには赤く輝く宝石をあしらった炎の指輪が魔力の光を帯びて輝いていた。


「初めて思いっきりこの拓海様に頂いた指輪の力も使ってみたので実際どこまで効果があるかはわかりません」


 そう言って大事そうに炎の指輪をもう片方の手で包み込む。


 市場で偶然見つけたあの指輪が役に立つとは。

 正直買ってからはエレーナの力が強化されすぎてロクに使い物にならなかった指輪だけど、バフ魔法ならその力を存分に使っても問題ないというのは素晴らしい発見だ。

 

「いってらっしゃいませ拓海様」

「ああ、いっちょ皇太子様とやらの目を覚まされてくる。一応だけどエレーナの許嫁なんだろ?」


 俺の心に苦いものが走る。

 そしてエレーナの顔も少し曇る。


「その事なのですが。私お母様と話し合って決めました」

「決めたって何を?」

「私エレーナ・キーセットは、今日この時を持って皇太子殿下との婚約は破棄させていただきます」


 キッと強い意志を込めた目で俺の方を見上げ、そう宣言するエレーナ。

 その場が一瞬声にならない声がどよめいた。


「詳しい話はまた後でしましょう。今はそうですね……」


 ふっと優しい顔に戻ったエレーナは、その顔に優しい笑みを浮かべて。


「あの国民を傷つけた勘違いな皇太子を、ボッコボコにしてきてください」


 物騒なことをのたまったのであった。

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