第90話 急転直下

 俺はバルクとその護衛の『いかにも悪い事して生きてきました』って顔の奴らをぶちのめした後、全員を馬車の中に放り込んだ。

 馬も馬車も動かし方がよくわからなかったので、その場で馬だけ解き放って、馬車だけ担いで屋敷まで戻る。


「拓海様、ご無事でしたか……それは?」


 屋敷の裏門で待っていてくれたらしいエレーナが、俺の担ぎ上げている馬車を指さして尋ねる。


「とりあえずめんどくさいから全員とっつかまえて連れてきた」


 そう答えると地面に馬車を置く。

 一応バルク達を放り込む前に確認したら、けっこう高級そうな品物が馬車の中に積まれていたので、なるべく中の物が壊れないように優しく置いたつもりだ。

 これがバルク達、悪党だけだったら放り投げてたかもしれないが。


「とりあえずこいつらはあの檻にでも一旦放り込んでおくよ」


 俺はバルク達を次々に持ち上げると奴隷館と何度か往復して全員を檻の中に放り込む。

 檻の鍵は壊してしまったので、仕方なく檻の鉄格子を力任せにひねって開かないようにだけしておいた。


 あとでエリネスさんによる優しい拷問が行われるであろう彼らに、そっと両手を合わせた後その館を出る。

 エリネスさんの所に戻ると、なにやら騒がしい。


「き、貴様ぁっ! こんな事をしてただで済むと思っているのかっ!」

「あらあら、みっともない髭をして何をおっしゃっていられるのやら」


 どうやらドリュウズ男爵が目を覚まし、エリネスさん相手に毒づいているようだ。

 あんな目にあったというのにまだ懲りていないらしい。


「エリネスさん」

「あら、拓海様。もう用件は済みましたの?」

「ええ、奴隷商のバルクって奴らは捕まえて、今奴隷館の中の檻に放り込んできたところです」

「ご苦労さまですわ。後でその人達に詳しい話を聞かせてもらいに伺うことにしますわね」


 エリネスさんが爽やかな笑顔で笑っていて。

 その足元ではドリュウズ男爵が憎々しげに俺達を睨みつけている。


「あとは鉱山や領内で働かされている違法奴隷の人達を開放すれば終了ですかね」


 違法奴隷売買の事が、揉みつぶせないレベルの公爵家の者にまでバレたわけだ。

 男爵どころか彼の上司(?)のドラスト伯爵すら巻き込んで罰を与えられる事になる。


 その先の流れはお約束。

 すべての責任を子飼いのドリュウズ男爵に背負わせるようにドラスト伯爵は動くはずだ。

 つまり彼の命運は尽きた。


 そのはずなのに、その彼は急に大声を出して笑いだした。


「はっはっっはーっはっは。勝ち誇っていられるのも今のうちだぁっ」

「なんですって?」


 エリネスさんが少し眉の間にシワを寄せて、訝しげに問いかける。

 そのシワの寄り方が年相応に見えたことについては俺は口をつぐむ。

 命は惜しい。


「私は石橋を叩いて叩いて、ヒビが入るまで叩いて、それでも壊れないと知ってから渡る男だぞ!!」


 いや、それは叩きすぎだ。

 通ってる途中に落ちる未来しか見えない。


「いざという時の備えもなしに動くわけがないだろう?」

「動くんじゃね? バカそうだし」

「なんだと貴様ぁっ! というか貴様は何者なんだっ! バルクの護衛共はとんでもない強さだったはずだ。それを一人で……」

「えっ、俺は田中拓海っていうしがない農夫だけど?」


 俺の返事に周りに居た人達が全員「は?」という顔を向けてきた。

 エリネスさんやエレーナですら、なぜかぽかーんとしている。


「いや、まぁ普通の人よりは強いけどさ。一応俺の本職は農夫のつもりなんだよ」


 チートの種のせいで達人以上のステータスにはなってしまったのも自覚してる。


 だから『俺またなんかやっちゃいました?』とか言うつもりはない。

 けれど、本来は普通に森の奥で畑を耕しながらスローライフってのがこの世界に来た時の俺の目標なんだよ。


 ステータス上では無職扱いだったけどさ。


 まぁあの頃は種くらいしか育ててなかったから仕方ないとはいえちょっと凹む。

 でもキャロリアを育てた実績が出来た今ならきっと……。


「拓海様」

「ん?」


 エレーナがゆっくり口を開く。


「この世界のどこにも、ゴブリンはともかくダークタイガーを倒せるような農夫は居ないと思いますよ」


 俺は異世界人だからこの世界の人ではないんだよなぁ。

 それに、女神様が送り込んだ異世界勇者達の中にも同じ様な奴くらいは居たんじゃないか?


「だ、ダークタイガーを倒した……だと」

「一応トドメは俺が刺したけど、あの時はダークタイガーもかなりエレーナさんの魔法で弱ってたからなぁ」

「私の魔法なんてかすり傷を追わせた程度――」

「いや、あいつ結構ヘロヘロになってたからね。最後とかエレーナさん気絶してたから知らないだろうけどさ」

「でもでもっ」


 俺がエレーナと手柄の押し付け合いをしていると、ドリュウズ男爵は気を取り直した様子で下卑た笑い声を上げると言い放った。


「結局はホラ吹き共の集まりかっ。偽物の公爵夫人に偽物の公爵令嬢、そして偽物の農夫っ」

「あらあら、まだそんな事をおっしゃられるのですか」

「当たり前だっ」


 これだけフルボッコにされたというのにこの男の態度は何なのだろう。

 俺はてっきりエリネスさんに髭を落とされた段階でしょんぼりと大人しくなると思ってたんだがな。


「お前達が笑っていられうのも今の内だぞ」


 笑ってるのはお前だけだが。


「しばらくすればお前達を討伐するために伯爵様が伯爵領軍を率いてやってくる!」

「伯爵領軍?」

「ああ、既に伝令は飛ばしてある。今からでは追いつく事もできまい」


 勝ち誇ったような笑い声を上げる男爵。

 だが俺達はその話を聞いても何ら表情を変えることもなく――。


「じゃあ俺、ウリドラに乗ってその伝令を捕まえてきましょうか」

「そうですわね、正直今更伯爵ごときが出てきても大した問題ではありませんが、うっとおしくはありますわね。拓海様とウリドラちゃんならすぐに捕まえられるでしょうし、お願いできますか?」

「合点承知。伝令って王都に向かってるんですかね?」

「現在伯爵は王都に居るはずですから、伯爵家に向かっても意味がないでしょう」

「ですね。じゃあひとっ飛び行ってきますかね」


 俺はウリドラの方に歩み寄ると「それじゃあ頼むぞ」と声をかけた。


「ぴぎゅう!」


 片方の前足を上げていつものように返事をするウリドラの背中にヒョイッと飛び乗る。

 もう慣れたものである。


「じゃあ行こうか」

「ぴぎゅ」


 俺達が飛び立とうとしたその時。


「拓海様、誰か来ます!」


 エレーナが指差す先。

 屋敷の門から真っ直ぐ伸びる街の大通りを一頭の馬が猛スピードで砂煙を上げながらこちらに向かってくるのが見えた。


 本当は今すぐ飛び立って、男爵が放った伝令をとっ捕まえに行ったほうが良いのかもしれないが、俺とウリドラなら一時間くらい遅れてもどうってことはないだろう。

 そんな事を考えているうちにその馬がどんどん近づいてくる。


 馬の上には軽装ながら鎧をまとった兵士が必死の表情でまたがって、馬の尻にムチを入れている。

 馬の方も苦しそうに見える。


 かなりの無茶をして走らせてきたに違いない。


 やがてその兵士は屋敷の前まで来ると、馬の背から地面に転がり落ちるように飛び降りると、一瞬口を開きかけた後、俺達の今の状況に困惑の表情を浮かべた。


 まぁそりゃそうだろうなとは思う。


 髭を切られ、縛られて地面に転がされている男爵と、その前に仁王立ちする女性。

 そして謎生物のウリドラの背中に乗っかったまま見下ろす俺の姿。

 エレーナの爆発魔法により焼け焦げた地面。


 俺だったらすぐに回れ右してお家に帰るだろう状況である。


「伝令兵ですか。なにか早急の用件でもございましたか?」


 エリネスさんが息を切らしながらも呆然としている兵に声を掛ける。


「えっ、あっ、はい。貴方様は?」

「私はエリネス・キーセット。キーセット公爵夫人ですわ」

「公爵夫人様っ!? なぜこんな所に」

「詮索は後にして、貴方がそこまで急いでやって来た理由をまずお知らせくださいな」

「はっ! いや、しかし」


 兵士が地面に転がる男爵に目を向ける。


「コレの事は気にしなくてよろしいですわ。悪事を働いていた証拠が出てきたので少しおしおきしてあげただけですから」

「おしおき……そうですか」

「そうですわ。さぁ、早く伝令を伝えなさい」


 エリネスさんの迫力に圧されたのか、兵士は一歩だけ後退りしてから居住まいを正し敬礼して――。


「はっ、それではお伝えさせていただきます」


 そう答えた彼の言葉。

 その続きを聞いた俺達は、一様に間の抜けた顔をしていたに違いない。


「王都が、壊滅いたしました!」


 その日、俺達にもたらされたのは、そんな驚くべき言葉であった。

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