3-8 「そのおばあちゃんの名前、分かる?」

不思議な力を持つ少年は、名をカイルと言った。ロンダリアの伯爵家の生まれらしい。領土こそ狭いものの、その地方では有名な貴族だった。伝承に名を残す血筋だったからだ。


男系を遡っていくと、大魔導師シャーロックに行き着く。帝国の人々は信心深く、神を軽んじたりはしないが、かといって魔法を信じるほど純朴ではなかった。だが、疑い深い彼らの目でも、シャーロックは魔術師にしか思えなかった。そのため批判的な記述も多数見受けられるが、いくつもの文書、言い伝えでは大魔導師の異名を与えられていた。


カイルの力もまた、本物の魔法としか考えられない。どうしてそんなことが出来るのか、誰に学んだのか、どういう仕組みなのか、答えはなかった。誰から教わったわけでもなく、ただなんとなく、いつの間にか出来るようになっていただけだと。


エリスは質問を変えた。なぜ劇場にいたのか。どうして第二王子やベネディットを知っているのか。


「僕は神殿に預けられたんだ。不気味だから。生まれてすぐに、異変が起きた。最初は気味の悪いポルターガイストだと思われたらしい。でも、月に一度、どうも僕がそれを操るようになっていったみたいでさ」


カイルをどこで預かるか、第二王子が手配したそうだ。迷信を信じなかったヴィルヘルムだが、怯える神官達に配慮して、イルルスの山奥の神殿に封じることにした。監禁、といってもいい。ただし、ひどい扱いをされたわけではない。


「僕は元々本を読んでるのが好きだったから。一日中ほっといてくれるあの環境は、悪くなかったと思うよ。神官達も優しかったし。満月の夜には誰も僕の部屋に近づかなかったからね。おかげで、本当にポルターガイストが起きているかどうかすら知らない人の方が多いんじゃないかな」


「ベネディットとはどこで?」


「何年前だろう。三、四年前かな。ベネディットがうちの神殿を訪ねてきてさ、僕の力に興味を持ったらしくて、いろいろと話を聞きに来たんだ。誰も見たがらなかった力だけど、あの人はそれを見せてくれって。そして、都会に連れ出された」


決してエリスと目を合わせようとしない少年は、ずっと横を向いていたが、最後は悲しげにうつむいた。


ヴィルヘルムとベネディットは仲がよいものだと思っていた。最近は喧嘩してるみたいだけど、それでも王子を守るために連れて逃げようとしたんだから、きっと本当はまだ友達なんだ。カイルの目にはそう映っていた。


しかし、世間知らずの少年には現実が突きつけられた。地下通路に入ったエリス達が目にしたのは、正面から斬り殺されたらしい第二王子達の亡骸だった。側にはお付きの者達も同様に殺されていた。


両腕を縛られはしたが、同行を許されたカイルは、その場に立ち尽くした。何をどう考えても、ベネディットが手を下したとしか思えないからだ。以来ふさぎ込み、何を聞いてもだまり続けた。やっと口を開いたのは二日後。馬車が都にたどり着くより少し前のことになる。


結局地下からの追跡はあきらめた。大がかりな通路で、罠がいくつも仕掛けられていた。避け方を知らずに通るのは危険と判断し、事態の報告を優先した。


報告書を描くのも後回しにし、ひとまずエリスは魔王に状況を伝えた。魔王もカイルの力を信じようとはしなかったが、エリスを疑いもしなかった。魔法とは違うが、何かはあるのかもしれない、という風に考えたようだった。


アルベルトにはカイルを気にかけている余裕がなかったというのもある。町の衛兵に知らせ、早馬を出して都に第二王子の死を伝えさせていた。当然、各地にも情報が広まっていく。


魔王は神官達を敵に回すことになった。敵対しているはずのベネディットが王子を連れ出そうとしたという話を、誰が信じるだろうか? ベネディットが現れた時点で、王子の護衛や神殿の者達が排除するに決まっている。


宿舎で毒を盛られて死んでいるのは油断したからだ。つまり、彼らを油断させる何者かがやったということになる。それは誰だ? そんなのサンキチ以外あり得ない。謀反の疑いが強くなっていった第二王子を、キ印部隊の連中が暗殺したのだ。


宗教勢力が警戒を強めるにも理由はあった。帝国の三大勢力を挙げれば、貴族、神官、平民ということになる。魔王は平民を手懐てなずけ、貴族を制圧した。残る勢力は神官だけだ。次は神官達の権力と権威を奪い、支配しようとしている。そう思われても仕方はない。


魔王はエリスに新しい指示を出した。ヴィルヘルムの屋敷の調査だ。今度は権力を振るう必要はない。屋敷はヴィルヘルムの個人的所有物だった。子がなく、相続者が不在のため、屋敷の所有権は父であるアルベルトに移った。


そして魔王は、身辺に気をつけろと釘を刺した。ヴィルヘルムの所在を知らせてきた手紙など、第三親衛隊の行動が筒抜けになっている節がある。隊の統率を引き締め、屋敷の中でも警戒を怠るな、と。


エリス達が集められる情報は、だいぶ少なくなっていた。荒くれ者達の目はまだまだ疑念に満ちている。第二王子が死に、正式に継承権者が一人になったことで、エリスがまた一歩女王の座に近づいたとすら思っている。彼らを重要な任務にはつけられない。


自分の背中も預けられないから、自然と屋敷の調査に連れていくのもベテランの密偵達になる。各地の調査を切り上げさせて、自分の護衛に使う有様だ。ベルナルドは信用できるが、本部の統率のために残しておくことにした。ベルナルドがいれば、ほかの者達も限度をわきまえるだろう。


カイルは手元に置いておくことにした。かなりの人見知りのため、犯罪者集団の中に残すのはかわいそうだし、重要な情報源でもある。あまりにも突飛な力の持ち主でもあるので、下手なところにも預けられない。


力を持たないときのカイルは、ただの内気な少年だった。質問には答えるが、あまり自分からは話しかけない。しかし、不思議とアルベルト、ロリコンの方のアルベルトとは気が合うようだった。


「ロリコン君、子供いたりするの?」

「は? いるわけないじゃないですか。子供産める歳になったら、俺の好みから外れちゃうんですから」


精神年齢が同じくらいなんだと思うことにした。


だが、二人の好みが似ているというわけではない。エリスのいないところではこんな話をしている。


「何でおまえはあんな隊長に懐いてるんだ?」

「え、いや、だって・・・」

「ああいうのが好みなのか。大変だなぁ。あんなおっかなくて口が悪くて気が強いのに」

「そこがいいんだよ! ・・・あ、いや」


少々警戒心が不足しているが、それでもロリコンはしっかりと館の警備を務めていた。まさかここに軍勢が攻め寄せるとは思わない。いくら諜報部が半分機能停止していても、そのくらいの報告は上がってくる。


怖いのは館の神官達だった。彼らは第二王子の側近になる。第二王子が没したことで、権力から受け取れるおこぼれがなくなった。その原因と目されているのが第三親衛隊だ。その隊長が屋敷をうろつき回り、我が物顔で調査をしている。反感を抱かないわけがない。


直接的な攻撃だけでなく、毒殺にも警戒が必要になるため、館を見張る密偵を配置してある。全員まとめて追い出してしまえば解決するが、これ以上神殿勢力を刺激したくないという都合がある。ここを追い出された彼らは、どこかでその不満を肥大化させていくだろう。


「なるほどなぁ」


エリスは呟くと、書物を机に置いた。ルキウスに、カイルを呼びに行かせた。いつも通り、おずおずと、視線を背けながら少年が前に立つ。


「ベネディットがあんたの家系に興味を持ったって言ってたでしょ? あんたのおばあちゃんはエリザベスだよね?」


少年は頷く。


「そのおばあちゃんの名前、分かる?」


首をかしげ、しばらく上を見上げた後、自信なさげに答えた。


「たぶん、その人もエリザベスだと思う」

「よろしい。たぶん、私がこの辺の本で調べた限りだと、あんたあれだわ。聖女の血も引いてる」


シャーロックの血筋は息子と娘に引き継がれた。女系で誕生したのが聖女アルシオーネ。やはり特殊な力を持っていたと伝えられている。


「もしかすると、シャーロックとアルシオーネの血を両方引いてるから、なんか特別な力が備わったりしたのかもね」

「へぇぇ、そうなんだ・・・そういうのは聞いたことなかったな」

「でさ、お父さんかお母さんから、魔王アルベルトの話を聞いたことはない?」


カイルの表情がさらに曇り、何のことか分からないと首を振る。


「難しいことが理解できるようになる前に、神殿に預けられたから」

「そっか」


目の前においた本の厚い表紙を、とんとんとエリスの指がつつく。この館の書庫には、相当な量の書物が収められていた。特に神官達が持っている情報、体験をまとめた手記などが膨大だった。


その中で一冊の記述が目にとまった。神官が、ある貴族の結婚の仲立ちをしたことを書き留めたものだった。シャーロックの血を引く伯爵家の青年と、アルシオーネの血を引く伯爵の姫の婚姻の儀を執り行った。その結婚は時の丞相アルベルトにより提案され、両者の合意の元で実現したとある。


エリスの予想では、これがカイルの両親だった。もう少し調べれば、裏もとれるだろう。だとすれば、この不思議な少年を生み出した遠因は、魔王ということになる。魔王のことだから何を考えているのか分からないが、後でこれについて問い詰めておかないといけない。


しかし、エリスが調べるべき本題は、こんなことではなかった。重要なのはヴィルヘルムの叛意を明らかにすること。ベネディットと何を企んでいたのかを確かめること。しかし、当然そんな情報は出てこない。これだけの期間が空いて、それほど致命的な証拠を残すはずがない。


それをエリスも魔王も、参謀も、みんな分かっている。分かってはいるが、今できるのはこれだけだった。仕方なく、あまりやる気が起きないままに、本を読んで過ごす。


重要かどうかはともかく、相当な量の情報は集まった。が、エリスがまとめるには情報が多すぎた。参謀からは途中経過を知らせてほしいと通知が来る。しかし、無視した。何をどう伝えればいいのかが分からなかった。後でまとめて口頭で説明すればいいや、と。


猜疑心が、エリスの心を乱していたのも理由の一つだ。エリスが王女になるという噂がまかれて以来、少しずつ部隊の歯車が狂っている。第二王子の所在を知らせてきた男につけた尾行も、容易くまかれてしまった。どこかに間者が入り込んでいる。そんな気がしてならない。


心を落ち着ける暇もなく、ゆっくりと資料の整理をする余裕もなく、次々と新しい情報が積み重なっていった。


ベネディットの公的な活動記録なら確認できた。特に怪しむところもない、視察や会談、調停や推薦などの活動だ。儀式を主催しただの、それに伴う競技を開催しただの、退屈すぎて死にそうになる文献ばかり。


そんな中、エリスの密かな楽しみは、エリーシアに関する断片を見つけることだった。エリーシアという少女は、どうやらすでに亡くなっているらしい。ロンダリア貴族の母をもつ、名家の家柄。しかも兄はフリードリヒ王子。つまり父はアルベルト。あの、魔王アルベルトの第二妃の娘だった。


魔王に子供が多いことは知っている。庶子には王位継承権は一切与えておらず、客観的に才能を判断して適所に割り振っているらしい。


だが、正室の子がもう一人いたことは知らなかった。王女だから話題にならなかったのかもしれない。女子が家督を継ぐのは限られた場合しかなかった。原則として男子が優先される。ましてエリーシア王女は、第二王子と同様病弱で、五歳の時に神殿に預けられてしまった。それ以来父との接触もほとんどなく、社会的にはいないも同然の扱いを受けていた。


異母妹とはいえ、ヴィルヘルムはエリーシアの身を案じ、神の保護の篤いイルルスの神殿に住居を用意した。体の方もだいぶ動けるようになり、九歳頃には外を歩けるまでになった。


エリーシアにはどうやら音楽の才能があったらしい。神殿を訪れた奏者が、その音感を褒めている記述が残されていた。


十一歳になる前に、イルルスからロンダリアに移ったとされている。だが、その少し前の時期には、赤毛の少女に馬を引かれ、野原を散歩するまでに回復している様子だった。どうやらこの時期に病状が悪化し、再び伏せるようになったと思われる。


一ヶ月ほど医師が経過を見守り、その後すぐにロンダリアの生母の実家へ移されている。二年ほどして、その子が亡くなったことが第二王子に知らされた。王子はその日黙祷を捧げ、エリーシアの墓参りにも出向いたとある。


エリスはエリーシアのことを全く知らなかったので、密偵達に尋ねた。一番若い密偵は知らないようだったが、それ以外の者達はエリーシアの思い出を語った。


「体の弱い方でしてな。第三位という継承順位であれば問題なかろうと、陛下はエリーシア様もお世継ぎにされるおもりだったようですが」

「面影・・・というのでしょうか、隊長はエリーシア様の大きくなられた姿のように思えることもございます」


「ふーん」、とエリスは考え込んだ。時期的には、エリスがアルベルトの暗殺を試みて配下に加わったのと、エリーシアが病没したのはほとんど同じだ。もしかすると、魔王も娘の面影を見て、エリスを登用したのかもしれなかった。


あの魔王にも、そんな人間らしさがあるんだろうかと首をひねったが、一つ思いついた話をした。


「エリーシア王女、ロンダリアに向かうちょっと前までは元気だったみたいなんだけどね。赤毛の女の子と友達になってさ、遠乗りに出かけられるくらいだったらしいのに」

「突然容態が悪化するということもございますからな」


密偵達は残念そうだった。


エリスは一度、帝都に戻ることにした。集められる資料は集めた。エリーシアの物語も、これ以上は見つかりそうにない。参謀にもいろいろと説明しなければならないし、報告書もたっぷり書かなければならない。


めんどくさいという思いも強かったが、一つ、試してみたいことがあった。今回は、気合いを入れて報告書を書く必要があるだろう。

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