第96話


葵は私を殺す気なのか?

葵はもう自分の中の気持ちが溢れて収集が付かなくなっている。こんなことになる何て想像もしていなかった私は理解ができなくて緊張して冷や汗が出た。私の話を聞きたくもない葵は私の言葉を聞いたらもっと勘違いしてしまうかも知れなくて迂闊に話せない。

黙って葵を見ていたら葵は可愛らしくにっこり笑うと私の方に体を向けた。


「もう分からないけど……私は由季に操られてても良いの。依存してるのはしょうがないけど……どうやって直したら良いか分からないし……私は依存してるから由季を好きだって思ってても良いくらい……たぶん由季が好きだよ。関係がおかしくて、宗教みたいでも、私は由季を……嫌いにはなれない。好きだと思いたいし……離れたくもない」


葵は笑いながらナイフでおもむろに自分の手首を切った。一瞬の出来事に息を飲んだ。葵の綺麗な白い手首から血が溢れ出ていた。



「……なっ、何してるの!?やめてよ葵!」


体を動かせない私は葵を刺激するかもしれないけど強い口調で言った。本当にどういうつもりなんだ。葵はそれでも笑っていた。


「大丈夫だから。見てて?」


「……何が?!……何が大丈夫なの?!大丈夫じゃないじゃん!」


腕を必死に動かそうとしたけど結束バンドに食い込んで何の意味もない。葵を止めたいのに体が動かない。葵はさらにまた手首を切ると血が止めどなく溢れていた。


「由季と離れてから……眠れないの。病院で薬をもらって…それで眠ってるけど………仕事もね、本当に嫌になってきた。ドラマの役は……やらなきゃ良かったなって思った」


「……葵!ねぇ!本当にやめてよ!!」


葵は手首をまた切って笑っている。頭がおかしくなりそうだった。もう見ていられない。身を捩るように手足に力を入れて結束バンドを外そうとしても外れる様子もない。ただ食い込んで痛いけどそれでも私は力を入れ続けた。


「……由季以外に体を触られたり手を繋いだりキスをするの……本当に気持ち悪かった。仕事を受けたのは私だけど……吐き気がして……気持ち悪い感触が体に残ってて……毎日、泣いてた。……私はやっぱり由季じゃないとダメなの。由季は私じゃなくても大丈夫かもしれないけど、私は由季じゃないと……絶対にダメなの」


「葵!やめて!!私の話を聞いてよ!!」



葵は私の声なんか聞こえてないみたいに泣きながら笑って手首を切った。この現状に苦しくて胸が痛くなる思いをするけど、私のいない期間に本当に苦しんでいたのを知って胸が張り裂けそうになる。

あぁ、どうして?葵は死ぬつもりなの?私が憎いんじゃないの?私を殺すんじゃないの?


頭の疑問は消えない。どうしたら止められるのか分からない。大切な葵の腕から止めどなく血が流れているのを私は見るだけしかできなくて本当にもどかしかった。せめて結束バンドが外れたら良いけど、どうしても取れそうにない。

私はまた手首を切ろうとする葵に声を張り上げた。


「本当にやめて!!やるなら私をやれば良いでしょ?!私のこと憎いんでしょ?!」


大切な葵の傷つく姿を見るくらいなら私が代わりにやられれば良い。葵の苦しみを私に刻めば良い。この子の痛みなら全部受け止める。葵は私の声にやっと止まってくれた。私はそれを見てさらに続けた。


「私が憎いんだよね?殺したいくらい憎いなら殺しても良いよ?私は葵が好きだから、葵になら殺されても良いよ。葵が傷つくのを見るくらいなら私が傷つくから。だから本当にやめてよ…!」


この心からの言葉が葵に届けば良いと思った。冷静でない葵に届いてほしかった。


「……もう私に優しくしないでって言ってるでしょ!」


葵は悲しそうな顔をして言うとナイフを私の首に押し付けてきた。

葵の血で濡れたナイフはひんやりしていて鼓動がさらに早まる。怖かったけど私は辛そうな葵の目を見つめた。今なら私の言葉を聞いてくれる。私は自分の気持ちを話した。


「好きだから優しくするに決まってるよ。私は……私はよく考えたけど、やっぱり葵が好きだよ。依存してても、関係が変でも……本当に大好きだよ。葵のこと、葵と同じくらい毎日考えてたよ。本当に葵が…」


「うるさい!!!」


葵は怒鳴った勢いで私の首に当てていたナイフを強く押し付けてきた。それによって僅かな痛みが首に走る。私の首は深くはないが切れたようだ。


「っ!!!」


葵は私の首から溢れた血に息を飲んで驚いて顔を青くした。ナイフを慌てて外すと本当に動揺したように手を震わせながら今度は自分の首にナイフを押し当てて涙を流した。



「ごっ、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいこめんなさい。傷つけるつもりはなかったの……。……由季は、由季は殺せない。……確かに憎く感じたけど……私は由季を失いたくない。私に優しくしてくれた由季を……殺せない。私にあんなに優しくしてくれたの……由季だけだから。……だから、私が代わりに死ぬから……」


葵は泣きながら声を震わせて言った。あぁ、そうだったのか、私はようやく少し安心ができた。葵は元から私を殺す気なんかなかった。自分は動揺もせずに傷つけられるのに私に少しでも傷がついた途端に本心で動揺していた。それが何よりの答えだ。


「葵やめて。そんなことしないで」


私は冷静に葵に声をかけた。大丈夫だ。大丈夫なのを分からせれば良いんだ。この子を安心させてあげれば良いだけだ。だけど葵は私の言葉に首を横に振った。


「いや。……私、由季ともう離れたくない。由季に忘れられて、何も想われないのはやだ。……だから、今から死ぬから見てて?私が苦しんで死ぬのを見ておいて。由季には……嫌なことをするけど由季と離れるくらいなら…由季の心の中にいたいの。由季の心に残りたい……私を忘れてほしくない。由季に何も想われないのは……死ぬより嫌なの」


葵の中では私が何よりも場所を占めているのに気持ちが分からなくなっても葵は無意識に私を想っている。葵は自分がいなくなっても私に想われることを望むなんて、そんなの依存でも何でもない。葵は涙を流しながら震える手でナイフを強く首に押し付けようとしたから私はまた大きな声を出して止めた。


「やめて!!!」


さっき私の首が切れたことによって動揺している葵は驚いて押し付けるのをやめたけど首からは少し血が滲んでいた。


「葵が死んだら私も死ぬよ」


私は冷静にいつもみたいに落ち着いて話すと葵は慌てて否定した。


「…そ、そんなのダメ!絶対ダメ!……由季は、由季は生きてて?私なんかの後は追わないで?……私は友達も少ないし、悲しんでくれる人もあんまりいないから…」


「私は悲しいよ。葵が死んだら悲しい。辛くて、生きてても楽しくなくなるよ」


「……何で?……私と付き合ってても……大変で、めんどくさいだけだったでしょ?」


葵は控え目に涙を拭いながら言った。付き合ってて嫌なことなんてなかったのに。私は笑って否定した。


「ううん。楽しかったよ?毎日葵と連絡して、一日の小さなことでも話すのは本当に楽しかった。葵と繋がってるんだなって思って嬉しかったよ」


「……でも、私……ウザかったでしょ?好きって何回も聞いたり……言ったりして、エッチも……私は上手くできないし……女同士じゃ……やっぱり嫌だったよね?」


葵は涙を拭って目にいっぱい涙を溜めながら悲しげに笑うからそれも否定した。私は昔も今も葵が好きだ。葵はこうやって聞いてくるけど嫌な思いをさせたのは私の方だ。


「私は葵が好きだから嫌なことはなかったよ。好きって言い合うのも嬉しかったし、エッチも葵に触れるのが嬉しくて幸せで不満なんてなかった」


「…………」


黙ってしまった葵は下を向いてしまった。それでも私は気持ちが伝わるように葵に言った。


「葵と離れてやっぱり葵が好きなのに気づいたよ。葵と会えない期間は寂しくて辛かった。あんなこと言ったけど、葵を傷つけたから心配だったよ葵が。ごめんね葵。辛い思いさせたね?本当にごめん。離れるよりも一緒にいながら考えた方が良かったかもしれないね。葵が日常生活も仕事も支障が出る位悩むなら離れなければ良かったって後悔したよ。本当にごめんね」


私のせいで葵は心を乱して辛い思いをしている。私達は一緒にいるべきだった。一緒にいたらこんなことは起きなかった。葵を一人にした私はバカだ。葵が思い詰めてしまうなんて少し考えれば分かるはずだった。葵は自分で自分を傷つけてしまったけど、これは全部私が傷つけたのと一緒だ。


「……何で……謝るの?」


葵はやっとナイフを首から離すと力なく握ったまま膝に置いた。顔を上げた葵は静かに泣いている。今すぐ葵を抱き締めてやりたいけど結束バンドが外れないから、私は体をどうにか横にして腕ごと動かして葵の手に触れた。血が滴って手は血に濡れているけど私はそれでも手に触れて優しく握った。もう離れない、その意思を伝えるように。


「そんなの葵が好きだからだよ」


「……私が惨めで……かわいそうだからじゃないの?もう私なんていらないでしょ?……私よりも良い人、由季の周りに沢山いる…」


私は葵の手を強く握った。否定的な言葉は私を辛くさせるけど私はもう絶対に一人にさせないし、葵を離さない。私には葵が必要だ。私は葵の目をしっかり見て言った。


「私はそんなこと思ってないよ?葵以外私は考えられない。葵だけしか好きじゃないよ。私は葵がいないと幸せになれないから……前に告白した時に言ったの覚えてる?葵が幸せじゃないと、私は幸せになれないんだよ。あれは嘘じゃないよ」


あの告白は私の本心からの言葉であって、ずっと一緒にいたいから言ったのだ。

記憶力の良い葵は覚えていたみたいで私の手を握り返してくれた。

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