第32話 わたしの彼は、完璧 (前編)



 わたしの彼は、完ぺきだ。

 容姿はアイドル並みに端正だし、優しくて、頭がいい。


 仕事は府庁の職員。

 いつも、パリっとしたスーツを着て、それが、このうえなく、カッコイイ。


 だからって、おかたいわけでもない。

 エリート中のエリートなのに、きさくで友達も多い。


 おうちがお金持ちのうえに、自分もたっぷり稼ぐから、気前がいい。

 デートのたびに、ちょっとしたプレゼントをくれる。

 ちっちゃい花束や、有名店のお菓子。

 前に読みたいって言ってた新書。

 シルクのスカーフ。

 シンプルなファッションリング。

 香水……。


「こんなにプレゼント責めにしなくていいのに」

「こういうの見ると、つい、沙織のこと思いうかべるんだよ。そしたら、気がついたときには買ってるんだ」

「ありがとう。うれしい」


 誰もが、うらやむような彼氏。

 ほんとに、なんで、わたしのことなんて好きになってくれたんだろう?


 出会いは春。桜の有名な神社へ行った。

 近くの友達のうちに遊びにいった帰りだ。たまたま、よってみた。


 桜の下に立つ那月を見て、絵のなかに迷いこんだみたいと思った。

 ぼんやりしてたせいで、敷石につまずいて、思いきり、ころんだ。

 まわりの人が、くすくす笑う。

 でも、那月は違った。そっと手をさしだし、わたしを立たせてくれた。


「ケガはない?」

「はい……大丈夫です」

「そこで休もうよ」


 境内の茶店で話が盛りあがり、そのまま、夕食をいっしょに食べた。那月は紳士で会話も楽しかった。


「また会いたいな」

 わかれぎわに言われたときには嬉しかった。

 わたしも、このまま別れるのは、さみしいと感じていたから。


 三度めに会ったとき、那月から告白された。

「沙織さんのこと、いつも考えてしまう。いっしょにいて、こんなに楽しい人、初めてだ。つきあってみない?」


 答えは、もちろん、イエス。


 それからは幸せすぎて、なんだか夢を見てるみたい。

 ただ、那月は、わたしといても、ときどき、とても悲しそうな目をする。

 最初は、なぜだか、わからなかった。

 でも、つきあいだして、だんだん理解できた。那月は幼いころに、母親を亡くしている。だから、さみしいのだ。


 初めて、那月のマンションへ行ったとき。

 ベッドの枕元に写真が飾ってあるのを見て、胸が痛んだ。

 とても美しい、貴婦人のような女性。

 見つめる人を魔法のように捕らえる黒い瞳。


 那月の愛する人なんだと思った。

 きっと、この人のことが忘れられないから、那月は、いつも物悲しい目をしてるのだと。


 でも——


「これは、母だよ」

 そう言って、那月は写真のスタンドをふせた。

「幼いころに亡くなってね。もう二度と会えないんだ」

「そうなのね。ごめんなさい。つらい思い出を話させて」

「いいよ。君には聞いてほしい。君は、笑った顔が母に似てる」


 それはお世辞だろう。

 わたしは、こんなに美人じゃないし。

 でも、そんなふうに言われると嬉しかった。


「わたしは、ずっと、そばにいるから。那月さんをひとりぼっちになんて、させない」

「ありがとう。沙織。僕ももう、君を離さない」


 こうして、わたしたちは結ばれた。

 かたく。かたく。永遠の愛で。


 幸せな月日が流れる。

 でも、長くは続かなかった。

 那月は、わたしが、となりにいても、夢でうなされる。

 そんなときは、亡くなったお母さんの夢を見てるんだとわかる。


 真夜中。

 白いほおに涙をこぼしながら、つぶやくから。

「お母さん。行かないで。僕をすてて行かないでよ」——と。


 わたしには、どうにもしてあげることができない。

 そっと眠る彼を抱きしめることしか。


 那月は目をあけると、わたしを見て、体を離す。


「ああ、ごめん。なさけないとこ見せた」

 手の甲で涙をぬぐい、窓辺で月をながめる。


 きっと、お母さんのことを考えているんだろう。

 わたしでは、あの美しい人のかわりにはなれない……。


    

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