第12話 仕立て士レスリーと仕事
誰もいなくなった工房で、私はナナのドレスを広げて考えていた。
時間はあと一日ある。
ナナは「ドレスなんて、もともと分不相応だったから」なんて言っていた。でもテイバー様が見ていないとき、とても寂しそうだったのを私は見逃さなかった。
当然よ。女ならだれでも、父のドレスを一度は夢に見るだろう。娘としてのひいき目ではない。父のドレスは本当に女性の夢なのだ。
前身頃を縦一文字に切り裂かれたドレス。切り口はギザギザで醜い。
ナナの傷を隠すためだろう、首の後ろで結ぶはずだったリボンは醜く引きちぎられているし、腰の飾りもぐちゃぐちゃだ。
でも、祝福のフォントが美しく織りまぜられた刺繍は、本当に美しい。
父は、今期で上級仕立て士を引退する。
まだ若いし貴族でもない。今回のことで被害者でもある父が、責任を取る必要はないのだ。でも、何か張りつめていたものが切れてしまった父は力なく、
「もう無理だ」
と言ったのだ。
それでもいずれは、普通の仕立ての仕事には戻ると思う。工房は手放しても、生活はしなければならないのだから。
これは上級仕立て士ヴァーナー最後の仕事だ。
父がとても楽しそうだったのは、ナナの力に刺激を受けていたからだという。もちろんケイの娘という、懐かしさにも似た気持ちはあったのだろう。でも、四十年ぶりに現れた王太子の、その未来の妃のドレスを仕立てる栄誉を、父は心の底から喜び、楽しみ、真剣に仕上げたのだ。
私は父を支えなければならない。そして、母のことも。
「告白する前で、よかった……」
エースのことだ。こんなことを知ったら、ぜったい私に同情するだろう。まかり間違えば、彼は行き過ぎた騎士道精神を発揮しかねない。私は彼に憐れみの目で見てほしくはないし、幼馴染の縁で助けの手を差し伸べられることも望んではいない。
気持ちを告げたかったのは、私の自己満足。
同じ失恋でも、気持ちを告げる前にその資格がなくなったことは、少し淋しい。
少し前の私なら、同情さえも利用しようと考えたかもしれないけれど、今はまったくそんなことは考えられなかった。
拭っても拭ってもあふれる涙をハンカチに押し付ける。
さあ、泣くのはもうこれきりだ。
考えなさい、レスリー。私には何ができる?
☆
「レスリー?」
机から目を上げると、いつの間にかカーラとニコラスが目の前にいた。
「どうしたの、二人とも」
「いや、多分君がしていることと、同じことをしに来ただけさ」
「そうそう。ね、ニコラスさん、私の言った通りでしょう?」
二人は私の手元にあるデザイン画を見てニヤリと笑った。
あのドレスを手直ししたいと考えていることは、バレバレだったのね。普通に考えたら、ただの仕立て士風情が手を入れようだなんて、上級仕立て士のニコラスに叱られるところなのに。
「でも、ナナがこれを着たいと思うかどうかは別なんだけどね」
いわくつきになってしまったドレスだ。見るのも嫌かもしれない。
私が力なく微笑むと、二人は顔を見合わせニッと笑った。
二人がドアの方を振り向くと、
「あ、やっぱりいたー!」
と、笑顔でナナが入ってくる。その後ろには、何か大きな荷物を抱えたテイバー様とセシル様、それから
「エース?」
えっ? どうして?
彼の後からは、ユナとターニャ、それからモイラ・チームのメイビスまで!
驚く私に、皆考えていることは同じだと口々に言われる。
「ドレスに手を入れる許可は先生からとったよ。倉庫の素材は何でも使っていいそうだ。それからレスリーは目を使うように、だって」
ニコラスはそう言ってウインクする。
「でも私に力は……」
「私と同じくらいはあるはずだよ。上級仕立て士相手に力を隠せるほど、レスリーは器用だったかな? しかも私は、赤ん坊の時から君を知ってるのに。――もういいんだよ。自分で自分に制限をかけなくてもいいんだ」
「ニコラス……」
「君のお母さんは、君が上級仕立て士になれないことを責めてた。若いころは知らないけれど、私が知ってる彼女にはその力は皆無だったから、レスリーの力が見えなかったんだろう。それとも、上級仕立て士になるのは今も嫌?」
「ニコラスは、私になれると思うの?」
エースがすぐ後ろで私たちの様子をうかがっているのを感じる。私は、上級仕立て士になれなくてよかったと前に言ったものね。でも今は……
「なれるだろ」
「そうそう、上級仕立て士は人手不足なのよ。力の出し惜しみなんて許さないわ」
二人の若い上級仕立て士に肯定され、興奮で頬が熱くなった。
「私、頑張るわ。ニコラス、ナナ、ありがとう」
そして私は、心配そうなエースに笑いかける。彼のことはユナが呼んでくれたのだと聞いた。私が彼に会うことは、もうほとんどないはずだ。だからやっぱり、会えて嬉しい。
励ましに来てくれてありがとう。私は大丈夫。一人で立てるわ。
ナナが来た理由の大きな一つは、モデル代わりらしい。新たに用意している時間はないし、本人がいたほうがいいでしょうとナナは笑った。でも生身だから針は刺さないでね、と。しかも夕食と夜食を用意してくれたそうだ。テイバー様たちが持っていたのはそれだったらしい。
騎士様たちを顎で使うナナ、どこをどう突っ込めばいいのか、もはやわからないわ。
「夕食は食堂から頂いてきたものよ。夜食はおにぎりを作ったの。ラミアストル以外では流通してないお米なんだけど、とっても美味しいわよ」
「おにぎり?」
夕飯そっちのけで、私たちの興味はおにぎりというごはんに集中した。お米を炊いて塩味を付け、具を入れて三角に形成したそれを、なんと手づかみで食べるらしい。驚くことに、テイバー様も手伝ったそうだ。文字通り、テイバー様お手製!
「テイバー様は料理もなさるんですか?」
ターニャが尋ねると、エースとセシル様は初耳だと言う。だけどナナは、
「お料理上手ですよ」
と楽しそうに笑った。うん、完全に惚気ね、これは。
チラリとエースを見ると、ニヤニヤしながらテイバー様を見ていた。二人の婚約のことも知ったと思うんだけど、ナナのことは吹っ切れているの、かな?
はじめて食べたおにぎりは、いつも食べているお米とは違うおいしさだった。料理を手づかみで食べる背徳感と、具も色々だという楽しさと美味しさで、夜食のはずだったのにあっという間になくなってしまったわ。
夕食が終ると休憩もそこそこに、テイバー様とエースが追い出されてしまった。
「あくまで二人は荷物持ちだからね」
さも当たり前のようにセシル様が二人を追い立てる。あとの護衛と力仕事は、自分がいれば十分だと。
実はナナをモデル代わりにすると、薄い下着姿にしなくてはいけないのだ。男性がいるのは非常にまずい。
表面上は穏やかに二人が反論しているけど、
「作業もするけど、今から始まるのはナナの惚気を聞く女子会だよ? 婚約式の前だ、当然だよね。だから男子禁制」
と言われ、はたと止まってしまった。
途端にナナはむせ始め、私たちの目は絶対光り始めたと思う。
ナナの惚気! なんて興味深い魅惑の言葉! 絶対聞きたいわ。セシル様素敵!
「だが、それならニコラスは……」
「私には愛する妻がいますので」
かわいい子供ももうすぐ生まれるしね。
というかまじめな話、品質のためには上級仕立て士の協力は必要なのだ。ナナ本人に手を入れさせるわけにはいかないでしょう。
「ナナのドレス姿は、式典までのお楽しみですよ」
「あと立ち聞きも禁止でーす!」
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