第9話 仕立て士レスリーとユナ
「まいったなぁ」
仕事が終わって一人になると、そう呟いてため息をつく。昼間、自分が気付いてしまったことに落ち込んでいた。
「エース……」
名前をつぶやくだけで、胸の奥がぎゅうっと絞られたみたいに痛い。
いつからだろう。私、いつから彼を好きだったの?
「レスリー? 食事に行かないの?」
声をかけられて振り向くと、すぐ後ろにユナがいた。もうすぐ花嫁になる、幸せそうなユナが。
「えっ? やだ、泣いてるの?」
「ユナぁ、どうしよう」
ユナに、エースが好きだと打ち明けると
「それ、今気づいたの?」
と、苦笑いされた。
「どういうこと?」
「だって私、あなたと初めて会った時からそうだと思ってたもの」
「うそでしょ」
「本当です」
だって、私達が初めて会ったのは十年前よ。
「覚えてない? 昔のレスリーは、エースのことをよく話していたわ」
「わ、私はテイバー様に」
「憧れてたわよね。でも、その隣には誰がいたの?」
……エースだ。
「そうねえ。テイバー様は素敵よ。美しいだけではなく、とてもお強いし、誰だってあの方を見たらうっとりするでしょう。私たち仕立て士は特に、美しいもの、強いものには敏感だもの。彼に目を奪われるのは、ごくごく自然なことよ」
「でもユナは? ユナはテイバー様を見て騒いだことはないじゃない」
「あら、私だってうっとりはするわよ? でも、誘惑しようだなんて思わなかったのは確かね。もしその資格があったとしても、あの方の隣に立とうだなんてとても思えないわ」
「どうして?」
「私には彼を支えられる気がしない」
「ささえる?」
あの方を、支える?
「ねえレスリー。レスリーはテイバー様が好きなものを知ってる? 何が嬉しいとか、何を頑張ってるかとか。もしあの方があんな素敵な見た目じゃなくても、同じように憧れた?」
ユナの言葉に愕然とする。
私がテイバー様に抱いていたものは何?
「私はラミアストルの出身だから、テイバー様のこともレスリーよりは少し知ってると思う。――あの方には、ごく最近まで半身がなかったって、知ってた?」
「えっ? 騎士なのに?」
「ええ。子どもの頃、魔獣を封印するため失っていたの。――
そう言ったユナは、痛みを思い出すようにギュッと眉根を寄せた。
「私が九歳の時よ。ネアーガという魔獣に、もう少しで食べられるところだった。家族も友達も。あれが襲ってきたとき、私たちは恐怖で動けなかった。足が棒になったみたいに全然言う事を聞いてくれなかったから。その時よ。たった八歳のテイバー様が助けてくれた。分身して、私たちを逃がしてくださったの。でもそのとき、あの方の半身が魔獣に飲まれたわ。私たちの目の前で。そしてネアーガは、大きな光と共に消えてしまった。テイバー様の半身を飲み込んだままね」
頭の中がぐらりと揺れる。なに、それ……。
「ちょっと待って。そんな話聞いたことがないわ!」
「でしょうね。私も初めて話したもの。ラミアストルの人間は、この話を口外しないから」
でも、状況が変わったのよ……とユナが囁くようにつぶやいたのが聞こえた。
「でも半身がなければ、貴族ではいられないわ。セシル様のお父様やお兄様がそうだったでしょう。力も弱くなるし」
場合によっては、長くは生きられない。
セシル様は女騎士というだけではなく、ご家族の状況が特殊なことでも有名だ。お父様は狩りで半身を大怪我で失い、ご自身も左足を失っている。お兄様は片目を失い、二人とも平民になっていて、セシル様はご家族の中で唯一騎士として貴族籍に残っているのだ。
「そうね。でもテイバー様は努力で補ってきたんじゃないかしら? 私は貴族ではないからわからないけれど。しかも領主様からのテイバー様への扱いはひどかったわ。だって半身が、魔獣に飲まれたんですもの、ね?」
ユナの表情は穏やかだけど、それは批判をされるよりも突き刺さる。
魔獣に食べられそうになったユナ。実際に飲まれたテイバー様の半身。
私がナナや、彼女の母親について言ってた悪口は、そのままユナたちへの悪口だった。知らなかったからって、許されることではない。
「ユナは、私がナナの悪口を言うとき、一緒に……」
「言ったことがあった?」
静かにそう言われ必死に記憶をたどる。
一緒になって、同じように悪口を言ってたと思ってた。
「私が、ちゃんと聞かなかっただけ? 思い込んでいただけ?」
「いいえ。黙ることを選んで、きちんと反論しなかった私も同罪。仕方なかったのよ。レスリーのお母さまににらまれると大変だから。レスリーのお母さまは、ナナのお母さまが嫌いよね。憎んでるみたいに。もし私がナナをかばったら、あなたは私を攻撃したでしょうし、あなたのお母さまは、私が仕立てができないようしたでしょう?」
「まさか。えっ、そんな……」
反論しようと思ってできなかった。だって実際、母がそうしただろうことがわかる。
「もとを正せば、五年前に亡くなったおばあさんの影響でしょうけどね」
ユナの言葉に、長いこと忘れていた祖母の姿が甦る。
母方の祖母で、上級仕立て士だった祖母。彼女はモイラさんが嫌いだった。呪詛のような言葉を常に言っていた。
でも父はサラ・モイラを尊敬している。
私も、モイラさんの仕事を見て尊敬し、憧れるようになった。
上級仕立て士の力を持ったものが、あの人の仕事を見て馬鹿にするなんてありえなかったから。でも母たちは馬鹿にしていた。憎悪していた。だから私も、ナナの仕事を見るまで――同じだった。
「どうして……」
「どうしておばあさんが、モイラさんを呪っていたか?」
ずばり呪いと言われ、二の句が継げなくなる。
祖母の言葉は呪いだった。ずっと怖かったから、亡くなった時はホッとしたくらいだ。
「たぶん、いえ間違いなく嫉妬でしょう」
嫉妬?
「でも祖母は、若いころはモイラさんと変わらないくらいの上級仕立て士だったって」
「そう。そしてお城のような家に住んでるわね。でもモイラさんの家や工房を知ってる? 一般の住宅と同じくらいの規模なのよ」
「まさか」
「本当」
どうして? 何十年も一位でいられるほどの、国一番の実力を持っているのに?
だけどユナは、それ以上のことは口をつぐんだ。
「ケイ・モイラも、モイラさん以上の力を持つと言われてたそうよ」
「だからお母さんも嫉妬してたの?」
「そこは私にはわからない。でも、レスリーを縛っていた、つまらない呪詛が解けてよかったと思ったわ。ナナのおかげね」
ユナの優しい笑みに、私を蔑む色はない。
「私の呪詛は解けたの?」
「解けているでしょう。あなた、今はナナを認めているし、何より彼女のことを好きでしょう」
「ええ、好き」
ボロボロと涙が止まらなくなる。
あの仕事を、あの娘の笑顔を、蔑んだり憎んだりなんてできない。
私はなんて愚かだったの? 何も見えてなかった。知ろうとしなかった。
「ユナ、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
私の愚かさが、あなたを傷つけていた。
「バカね、レスリー。怒ってなんかいないわよ。友達でしょう」
「ユナぁ」
「もう、しょうがないなぁ。その素直さがいいほうに働いてくれてよかったわ」
素直? どこが?
「言い換えれば、流されやすい、かな?」
「褒めてないよね?」
「いいの、いいの。レスリーかわいい」
同い年なのに、ユナは姉ぶって私の肩を抱く。
「そういえば、テイバー様の半身って……今は……」
思い返すと、ユナは最近までなかったと言っていたと思うんだけど。
「戻ったそうよ。ナナが助けてくれたおかげですって」
「そう、よかった」
よかった。
エース、見る目あるね。
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