第8話 仕立て士レスリーとテイバー様
数週間ぶりに見たテイバー様は、以前よりもさらに男らしくステキになっていた。
それは、彼を覆っていた薄い膜がはがれたみたいに光り輝かんばかりの美しさで、こんな騎士に守っていただけたらどんなに素敵だろうと、女性なら誰もがそう思わずにはいられないだろう。そのうえ彼の声は上等の果実酒のように甘美で、とろりと酔いそうだ。
彼を通すために人が左右に分かれ、テイバー様がこちらに近づいてくる。
ふと周りを見てみると、カーラをはじめ女性陣はうっとりと頬を染め、男性陣は目をキラキラさせて彼を見ていた。遠巻きにこちらを見ていた悪口軍団スタッフでさえ、頬を染め視線が彼に釘付けになっている。
でもナナに至っては、普通の知り合いが来たかのようにまったく変化がない。
微かに首を傾げ、
「テイバー様、どうかされました? 何か急ぎの案件でも?」
と不思議そうに問いかける。
ナナを見るテイバー様の視線が、彼女が愛おしくて仕方ないと訴えているのとは大違いだ。
なにか、ものすごいものを見ている気がする。エースが言ってたのはこれなのね!
もし何も知らなかったら間違いなく、ナナは全くテイバー様に気がないと思うでしょう! いえ、気がないにしても平然としすぎではないかしら? あんな風にきらめく目で見られて、それでも平然とした顔ができるなんて信じられない! 隣にいる私でさえ、こんなにドキドキしてしまうのに。
はあ、やっぱり素敵。目の保養すぎるわ。
「休憩中にすまない。ガレンからナナがこちらにいると聞いたから、待ってるより直接聞きに来たほうが早いと思ったんだ」
「そうなんですね。わざわざすみません」
そういう二人の会話は、完全に業務だ。
ただ、テイバー様の視線が甘い! 声も甘い! とてつもなく甘い!
素っ気ない会話の内容とまるであってないわ。なにこれ!
なのにナナは、まったく気づいてないかのように、とても普通だ。というか、この方を前にその態度は、逆に普通じゃないと思うわよ? いったい彼女にはテイバー様がどんなふうに見えているのかしら。
二人の態度の落差が面白すぎて、胸の奥からふつふつと笑いがこみあげてくる。どうもそれは私だけじゃないみたいで、そそくさと仕事に戻る人や、顔をそらして手で顔を覆ってる人がたくさん見える。父でさえ、目に笑いがにじんでいるわ。
ど、どうしよう。
笑いをこらえるのが苦しくなってきた。
「ところでそれは、ナナの作ったケーキ?」
必要なことを聞き終えたらしいテイバー様が、まだ一口も食べてないナナのケーキを指さす。
「そうですよ。まだ手を付けてませんし、召し上がります?」
無邪気にそう聞くナナに、まわりがギョッとする。
笑いの発作が瞬間的に収まった。
自分の食べるものを差し出すのは、普通なら上から下にすることだ。
ナナはハーフだから、その常識を知らないんだと瞬間的に理解した。
どうしよう。上級仕立て士とはいえ、平民が貴族にする対応としてはさすがにまずい。悪口軍団の目が嫌な感じになった。
だけどテイバー様はクスッと笑って、
「一口だけもらえるかな?」
と、自分の口を人差し指でさして見せる。
一瞬ナナは戸惑った様子を見せたあと、ごく当たり前のようにフォークで一口分とりわける。それをテイバー様はぱくりと食べさてもらい、ニコッと笑った。
「ん。うまい」
きゃああ、なに今の!
ナナがテイバー様にケーキを食べさせたわ! まるで結婚式の花嫁みたいに!
部屋の中に抑えた悲鳴が響き渡って、ナナだけが不思議そうにキョロキョロしている。でもテイバー様はすごく満足げだ。
その様子に悪口軍団さえポカンとしている。
何この二人! ものすごく心臓に悪くて、ものすごくおもしろいわ!
我慢できずにクスクス笑ってしまうと、テイバー様がチラッと私を見て微笑んでくださった。それは普段外で見るものとも、以前私とデートしてくださったときとも違う笑み。無理やり言葉にしてみるなら、「ナナを頼むね」――だろうか。
気のせいかもしれないけど、なんとなく彼に信頼された気がして、今までとは違う意味で胸が高鳴る。
「ドレスのデザインを見てたの?」
広げっぱなしだったドレスのデザイン画に目を止めたテイバー様が、ナナにそう聞いた。そして私がナナを見て描いたデザインを指し、
「これなんか、ナナに似合いそうだね」
と言ったのだ。
「それ、レスリーのデザインなんですよ! やっぱり素敵ですよね!」
ナナは自分が褒められたかのように勢い込んでそう言ったけど、私は心臓が止まりそうだった。
「うん。レスリーはセンスがいいね」
「あ、ありがとうございます!」
信じられない。こんな素敵な人から、仕事に関わることで褒められた!
それが、綺麗とかかわいいとか言われるよりも、はるかに嬉しいことだなんて知らなかったわ!
「私が描いたのはこれなんですけど、レスリーに似合いそうだと思いません?」
な、ナナ! 何を言うの!
でもテイバー様は目を細めて楽し気にそのデザインを見て、私に微笑んで見せた。
「たしかに似合そうだ。こんな花嫁を見たら、花婿は参列した独身男たちからは嫉妬の嵐だろうな」
きゃー、何ですか、その笑顔! 嫉妬って何? 腰が砕けたわ……。も、死んでもいいかも……。
二人はごく当たり前のような会話で、さんざん私や周りの人を褒め殺しにしたあと、テイバー様は去っていった。
「じゃあね、ナナ」
そう言って去る前にナナの左手首に触れ、普段袖に隠している彼女の幾重ものブレスレットが見えるようにしてから。
そして軽く上げたテイバー様の左手首には、以前とは違うシンプルなブレスレットが見える。
「ああ」
思わず小さく声を上げてナナを見ると、彼女は手首を隠しながら顔が真っ赤になっている。今までのごく普通の顔とは大違いだ。
あらやだ。この
そうよね、あれで平気な振りなんて無理よ。今のは完全に「ナナは俺のだよ」っていう意味だもの。見えない糸みたいなものが二人の間に見えた気がした。
テイバー様は少しいたずらっぽい、男らしい満足感でいっぱいみたいな顔をしている。あんな表情をすることもあるのね、びっくり。
それを見て目を真ん丸にしている人や、何人かの男性スタッフが、落ち着かなげに目をキョロキョロさせているのが見えた。悪口軍団は、面白いくらいに気まずそうな顔になっている。
そうかぁ……そうなのかぁ……。
二人は恋人になることを選んだのね。驚くほど、しっくりくる。
少しだけ胸が痛み、私はこみ上げそうになった涙を慌てて飲み込んだ。
ねえ、エース……。もしこの二人に別れる日が来ても、どうやらあんたにチャンスはなさそうよ……。あんたには、――――私くらいがちょうどいいのよ。
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