第62話 買い物*
次の日は二人で買い物に出かけた。私のワンピースがないから、ゲシュティに戻る前にとりあえず市販品を買って手を入れようと思ったの。最低限の刺繍だけなら、集中すればある程度短時間でもなんとかなるから。
ショッピングモールでいくつかのお店を見て回る。隣にはいつかのように若君。でもあの日と違うのは、どちらからともなく手をつないでいること。
こうしていると本当に普通の恋人同士みたいで、幸せすぎて現実じゃないみたいだ。
「こうしてると、王都の市場を歩いてる時を思い出すね」
「そうですね」
微笑みかけられ、ついドギマギしてうつむいてしまう。
市場の時なんて私、若君には先に帰ってもらっても構わないくらいだったのよね。あの時は全然まったく、ドキドキなんてしなかった。なのに今日はとてもフワフワしていて、変な感じ。
「俺にとっては、あれ、デートだったんだよ」
えっ?
「そうなんですか?」
「うん。ナナはまったく気づいてないどころか、色々ポキポキへし折ってくれてたけど」
クツクツと面白そうに笑われるけど、私、何を折ってたんだろう?
「えーっと。……ごめんなさい」
「今日は、間違いなくデートだよね?」
「……はい」
私がそう答えると、若君はとろけそうな顔で笑う。
「じゃあ、ナナは俺の彼女だよね?」
言葉で確認されると、恥ずかしくてのたうち回りたくなります。
「えっと……」
「そこで迷う?」
「だって……」
若君は一緒に戦ってと言うけれど、私はどうしたらいいのかまだわからなかったのだ。
こうして日本にいるなら、きっと即答できた。でも私たちには戻るべき場所がある。
私には大切なものが多すぎて、でも一番大切なのは彼で。なのに飛び込み切れないでいる。彼が一番大切だから、一番幸せになってほしいから。
若君は私の顔をのぞき込み、壮絶に美しい笑顔になった。
「ナナ、聞いて。俺が一番大切なのは君だけなんだ。やっと、やっと手に入れたのに、二度と手放すつもりなんてないんだから覚悟してね」
「覚悟って……」
「俺を信じて。ちゃんと守るから」
「……はい」
それでも不安がにじみ出る返事に若君は苦笑して、ぽんぽんと私の頭をたたいた。
「ま、今は買い物を楽しもうか」
テイバー様は、本当に日本になじんでいたんだね。二人で歩いていても困ったことが何もないんだもの。しかもワンピースと、なぜかロングスカートを買ってもらってしまった。
何着か試着したのを見てもらって、彼が一番いいと言ってくれたものをレジに持って行ったんだけど、財布出すのを止められてとても驚いたの。
そうだよね、バイトしてたって言ってたものね。ちゃんと日本で買い物ができるんだよね。
「こうやってプレゼントするのが夢だったんだ。貰ってくれるよね?」
目をキラキラさせながらそんなこと言われたら、断ることなんてできません。
決して高価なものではないんだけど、なんだかお姫様扱いされた感じがして困ってしまう。鏡に映った自分が、もう少しきれいならいいのに。
若君ってば、私が店員さんに「素敵な彼氏さんですね」なんて言われてるのを聞いて、ニコニコしている。
お会計後、若君リクエストで買ったばかりのロングスカートに着替えると、
「うん、可愛い」
彼は、本当に私が可愛くて仕方ないみたいな顔をして笑った。
「ありがとうございます」
うわあ、頭から湯気が出そう。めちゃくちゃ顔が熱いわ。
一緒に歩きながらも、満足そうにこちらを見てる若君の視線を感じる。
反省。あまり自分を卑下しないように気を付けよう。こんな顔をして見てくれる彼をがっかりさせたくないもの。若君にだけ、私がきれいに見えたらいいな。少しでも近づく努力は、きっとできるよね。せめて笑顔だけでも忘れないようにしよう。
☆
昨日若君が目覚めた後、葉月にはことの次第を報告した。私達は準備が整い次第向こうに戻ってしまうから、今夜はうちで夕食を一緒に摂ることになっている。
私が作るつもりなので、このあとスーパーにも行かなくちゃ。
若君の写真は拡散されなかった。本当は葉月ママ、テイバー様を知っていたのだ。
実は葉月ママと私の母は親友だったこと、テイバー様の髪も切っていたこと等々、テイバー君が帰れるならもういいよねと、打ち明けられた葉月が電話の向こうで怒っていた。けど、ここにも密かに守ってくれる人がいた。そのことに私は胸がいっぱいだった。
私もそんな風にひっそりと、でもしっかりと守れる存在になりたい。そう思う。
☆
海の見えるカフェでお茶を飲みながら、初めて王都に出かけた日を思い出す。あの日と同じように、ゆっくりくつろぐ若君の隣で過ごす時間は沈黙さえ心地よくて、このまま戻りたくないなんて考えてしまう。
「そういえば、日本名とかってあるんですか?」
ふと思いついたことを聞いてみると、若君はいつかのようにニヤッと笑った。
「あるよ、聞きたい?」
「え、ええ」
「如月
同じ苗字に自分でも驚くくらいオロオロしてしまう。名前まで父や兄と合わせてるの?
「如月家に世話になってたから。ちなみに命名は健人で、漢字をあててくれたのは美鈴だよ」
「そ、そうなんですね。じゃあ、陽人お兄ちゃんなんですね」
どぎまぎしておかしな事を口走ってしまう。
「それを言われると複雑。実際昔呼ばれたことがあるし」
「私から?」
「そう。なんの偶然か、美鈴のところで健人と遊んでたらナナが来てさ。俺が人の姿のままだから、健人が知らんぷりで紹介してくれたんだ。――俺に向かって、お兄ちゃんって笑ってくれるナナは可愛かったけど、その時かな。違うんだって思い始めたのは」
「違う?」
「うん。その頃から少しずつ、ナナを女の子として意識したんだと思う」
甘やかな視線につい目をそらす。お兄の友達には何人か会ったことがある。その中にいたの?
「ごめんなさい。全然覚えてません」
「いいよ。あの頃認識されてても辛かったと思うし」
そう言って、彼は椅子を私のすぐ隣に移動させる。
「まずいよなぁ。今俺、ほんと浮かれまくってるんだよ」
私の髪をすいて、困ったように笑う若君。その瞳が揺れている。多分彼も色々迷ってるんだと分かった。
「日本にいるときは、陽人さんって呼びましょうか」
「うわ、グッときた。想像以上にいい。うん、そうして」
「陽人さ……ん?」
何か引っ掛かった。
首を傾げる私に、若君が慌てたように「それは思い出さなくていい」と手を振る。
でも私の記憶の底から、女性の声が聞こえる。
『はるくんよ! 菜々ちゃんの下のお兄ちゃんでしょ? それとも
恐い目で私に詰め寄ったのは、お兄の高校時代の彼女だ。優しかった記憶しかなかったのに、突如思い出した彼女の顔はとても恐ろしかった。
私が思い出したことに気付いた若君は、額に手を当て苦い顔をする。
「誤解だからね。俺、何もしてないから」
「ん……分かります」
当時お兄と彼女は同級生だ。四歳も年下の若君に熱を上げた彼女は、若君に会えないことに焦れてまだ小学生の私に詰め寄った。それでお兄とすごい言い合いになったけど、その光景がとても恐くて記憶を閉じ込めたんだ。
「陽人さんも、なかなかのリア充ぶりでしたね」
少しだけ湧いたヤキモチを殺し、上目使いで冗談めかして笑う。
「それ止めて。ナナ以外から好かれても意味なかったんだから」
拗ねたようにそんなことを言うけど、この人日本でもゲシュティでも、それなりのことはあったんだなぁと気付いてしまった。そりゃそうだよね。私、彼には何人彼女がいるんだろうって思ってたくらいだもの。
「ああ、もう。話題変えよう。せっかくのデートなんだから」
デートの言葉に、頬が熱くなる。
「ナナは、どうして上級仕立て士になることにしたの? 跡を継ぐこと以外でだよ」
「私は……守りたかったんです」
「うん」
「魔獣と戦う騎士様たちも、できれば市民の方たちも。だから防御のほうに力を入れてました。誰も死ななくて済むように、ケガをしたり……母みたいなことにならないように」
「そうか」
「陽人さんは? どうして単身でも領主になるため頑張っていたんですか? 跡を継ぐこと以外にですよ」
同じ質問を返すと、彼はふっと優しく笑う。
「最初は、亡くなった母のためかな。母は俺のせいで死んだってずっと父たちから言われてきたし」
「そんな……」
「俺自身も証明したかったのかもしれない。でも最初にネアーガを封じた時、純粋に人々を守りたかった。それしか考えてなかった。たぶんそこはナナと同じだね」
――自分の力を、人々を守ることに使いたい。
私たちの根底にある想いは一緒だ。
なら、半身を取り戻した若君は領主になるべき。そして私も、上級仕立て士になるべきだ。
二人の指先が絡み合う。
まだ答えは見つからない。
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