第69話 金正恩
金正恩の姿を窓から確認し、隊員たちが待つ植え込みに戻る。
裏庭に警備が居ないのを確認し、寝室の下まで駆け寄る。SBUの3人はライフルを構えて走る。俺の足の速さに驚く。建物の壁に背を付けて4人が走って来るのを待つ。ジェーンを真ん中に置いてHK416アサルトライフルを構えて走って来る隊員は映画のようでカッコイイ。
まず、寝室に入り奴を抑える為に、隊員2人を抱えて2階の窓まで飛ぶ。窓のロックを念力で外し部屋の中に入った。立ち上がっていた金は、マクラの下の銃を取ろうと、ベッドに飛び乗るが、クションの柔らかなベッドマットレスに大きな腹が弾んでベッドの下に転げ落ちる。隊員2人は金にライフルを向けている。俺は人差し指を口に当てて見せ、次に隊員のライフルを指差す。金はガクガクと震えるように頷き床に座った。妻のソルチュは声が出ない。
金の横に座らせると、やっと悲鳴を上げようとするが、金に顔を殴られ、黙る。隊員の一人が持ってきたロープで2人を縛り上げる。ソルチュには猿轡をかませる。
金が何を言っても俺には全く分からないが、一人の隊員は韓国語が出来るようで俺に通訳する。
「金庫に米ドルで20万ドルと純金のインゴットが10キロはいってるから持って行っていいと言ってます」
取りあえず無視する。
俺は窓から下に降り、ジェーンともう1人の隊員を部屋に連れて来る。
ジェーンが金に話しかける。
「あなたには危害を加える積りはない。普段通りに振舞いながら、日本から拉致した人を解放してもらいます。安倍総理との密約の交換条件に従うと言いなさい」
「無理だ」
「無理ですか・・・それでは、あなたに用は有りません」
ジェーンがグロック17のスライドを引き、銃口を金に向ける。
金が泡を吹きながら言う。
「分かった・・・分かったから撃たないでくれ」
高そうな絨毯にシミが広がり黒々となる。漏らしたか。
ジェーンが冷たく言う。
「何が分かったんですか?撃たれるより刺されて死にたいとでも?」
刃渡り20cmものナイフを金の目の前に出す。冷たいジェーンは痺れるほど美しい。
「開放する・・・全員解放する。だから助けてくれ」
「数百人になると思うけど、全員の所在は分かるのね?」
「・・・分かる・・・調べればすぐに分かる」
「この部屋から解放の指示は出せる? 平壌空港に全員を集めて」
金は少し考える。
「それは時間が有れば可能だが、出来れば執務室から命令を出した方がいい。私が人質になっていると分かると、反逆者が出て来るかも知れない・・執務室の電話が必要だ」
「身内ね。独裁者は身内も信じられないっていうのは世界共通ね」
俺がジェーンに告げる。
「隣りの部屋に子供が3人。その隣の部屋に使用人が2人。多分銃は無い」
隊員の1人が廊下へのドアを開け外を確かめる。無人なのを確認して、隣の部屋のドアに」忍び寄る。ドア下の隙間に細いチューブを差し込む。チェーブは小さなバルブ付のタンクにつながっている。タンクのバルブを隊員が空ける。『シュー』という小さな音が20秒。隣の部屋に移動し同様にガスを送り込む。左手首を指差し、3本の指を立てる。
3分待て・・・か。
3分後、隊員がドアを開ける。子供達も使用人も眠っていた。全員を金正恩の寝室に運び、縛り上げる。俺は隠されてる4丁の銃を瞬時に見つけだして隊員に渡す。隊員は不思議な物を見るような目で俺を見る。
隊員3人を寝室に残し、ドアをロックさせる。ジェーンと俺、金正恩の3人で執務室に移動する。金が歩いている途中でズルそうな顔を一瞬見せたのを見逃さなかった。
執務室に入る。誰もいないのは分かっていた。
執務机に金を座らせる。両手を縛っているロープを解く。
机の天板の裏に張り付けた銃を取ろうとしているのが見える。
ジェーンの銃口が逸れた瞬間、金は自分の銃を天板から引きはがし手に取った。
念力・・・金の手が開き俺に銃を渡す。金の顔は汗でビッショリだ。信じられないと言う顔をして、自分の手を見る。
「今ので、あなたの子供が1人死にます。どの子にしますか?」
ジェーンが普通の声で聞く。余計に凄みが有る。
「悪い、悪かった・・・許してくれ」
執務室の机から電話を掛ける。まず拉致した人数を確認させる。
平壌近郊に230人。100キロ以内に80人。北の国境の街ラソンに8人。
確認できただけで、318人。家族がいるとなるとその3倍以上になるだろう。
日本行きを希望する家族と共に、平壌空港に来させるように指示する。
ラソンから来る被害者家族の事もあるので、2日後の6月12日、昼11時を指定した。
平壌空港ターミナルを午前9時から閉鎖し、日本への引揚者専用にする事も約束させる。
流石に独裁者だ。電話一本で事が運ぶ。北朝鮮政府高官たちからの電話がひっきりなしに入るが鶴の一声で型が付く。金正恩のスケジュールは秘書に全てキャンセルさせる。
直接話をしに来ると言う高官には『そんな時間が有るなら拉致してきた人たちを集めろ」
と檄を飛ばさせる。昼・夜と食堂の使用人が食事を運んでくる。家族も執務室で食べると言い、全てを執務室に運ばせる。俺達5人が一緒に食べても十分な量だ。毎食キャビアも運ばれる。寝室にはジェーンとSBUの隊員が食事を運ぶ。
次々と連絡が入る。日本行きを決めた人たちは平壌市内のホテルに集められる。
10日の夜10時の時点で市内のホテルに集まった人数が、既に250人を超えていた。ホテルでは満足できるだけの食事を出すように指示する。家族ごとに部屋を与えることも指示した。
11日、昼の時点で440人が市内のホテルに集まった。被害当事者の数は140人だ。これだけの数の人が家族単位で集まると耳目を集める。報道管制を敷き、この事には一切触れさせない。更に11日の夜10時には総数645人。当事者205人が集まった。
俺達は北朝鮮流の豪華な食事にも飽きてきた。
平壌空港にはJALが大型のエアバスA350を2機、待機させることになった。
定員で738人を運べるらしい。手筈は全て整った。
騒ぎは12日の朝に起こった。午前8時に金正恩の元に電話が入る。
平壌郊外の教化所、日本でいう刑務所から移送していた日本人拉致被害者35名を乗せたバスが事故を起こし、横転したバスから35名全員が逃走した。日本に行くと言う説明を信じずに。
移送されて、死刑になると思っていたのだろうと、ジェーンが言う。
金正恩の見張りをSBUの隊員に任せて、俺はジェーンを背負って飛んだ。平壌から50kmの地点なのですぐに着く。ジェーンがGPSを片手に場所を支持する。事故現場から約4km。舗装された道路から畑を横切った林の中に、支給されたであろう白いシャツを着た集団が歩いている。
彼らの行く先1kmの地点に着陸する。林の中だ。
彼らの方に歩く。すぐに先頭の男が目に入る。
ジェーンが日本語で叫ぶ。
「大丈夫ですか?・・・日本から助けに来ました」
彼らは驚いて立ち止まり隠れる。俺達はさらに近寄った。今度は俺が叫ぶ。
「日本政府と北朝鮮政府との話し合いで、あなた方は日本に帰れることになりました。安心して出てきて下さい」
藪の中から声が聞こえる。
「本当に帰れるのか!」
ジェーンが答える。
「帰れます。今日が一度きりのチャンスです。道路に戻ってください。別の迎えのバスが来ます」
彼らが、ぞろぞろと林から出て来る。みんな痩せて頬がこけている。
彼らの先頭に立って歩く。質問攻めだ。
ジェーンが金正恩の執務室へ電話を掛け、別のバスを要求した。20分で来ると言う。
舗装された道路に出た。横転したバスのすぐ近くだ。バスの横にはライフルを持った兵士が5人いたが、我々に銃口を向ける事はしない。バスの乗客の件を聞いているのだろう。兵士の中で一番格上らしい男が話しかけて来る。俺の事を聞いているらしい。金正恩の友人だとジェーンは答えた。全員が俺に敬礼する。
20分も掛からずにバスが到着した。全員が乗り込み、柳京ホテルに向かう。一番多くの被害者が滞在しているホテルだ。俺とジェーンも同乗した。金正恩に電話を入れ、俺達が彼の遣いだと、ホテルに連絡させた。
平壌の街には高層のアパートが立ち並んでいる。殆どが薄茶色の建物で同じに見える。自分が住んだら迷ってしまい、自宅にたどり着けないだろう。道が空いている。一般の人達にとって、車を持つなんて事は夢にも見ないのだろう。
9時半。ホテルに着き、ロビーに入る。被害者とその家族、約300人でロビーは混みあっていた。バスは10時にホテルを出るとアナウンスしている筈だが、待っていられないのだろう。連れてきた35人の家族は別のホテルに居るようだ。
35人をレストランに連れて行き、食事を摂らせる。出て来る物を奪い合うように手づかみで食べる。ジェーンが涙を浮かべて見ている。
食事が終わり、35人をロビーに連れて行く。バスが到着したところだ。我先にバスに殺到する。バスは3台しか来ていない。荷物を持った300人が3台のバスに100人ずつ乗り込む。俺達が連れてきた35人は、ホテルのマイクロバスを出させて乗せる。
人目につかない場所から飛び立ち、15号屋敷に戻る。
10時半。執務室のテレビを見る。この件については何も報道されていない。
二階堂からの電話で、空港には、かなりの数のバスが到着していることを知る。
金正恩の妻ソルチュがヒステリーを起こしているらしい。ジェーンが寝室に行き、ソルチュの頬を殴る。大人しくなる。刑務所から出てきた35人の様子を見て、金一家に腹を立てているのだろう。
11時半。空港ターミナルには拉致の当事者が245人。総勢716人が集まっていた。
搭乗が開始される。逐一、二階堂から連絡が来る。12時搭乗完了・・・離陸。
無事に終わった。念のため15分は待とう。
金の耳を引っ張り寝室に連れて行く。耳を引っ張られた事など、生まれて初めての事だろう。
金庫を開けろと命じる。ジェーンが戸惑いながら通訳する。金が多少の抵抗を試みる。
「日本人を開放しただろう。もういいじゃないか・・・」
尻を蹴とばす。泣きながら壁に隠した金庫を開ける。
本人が言っていた通り、20万ドルと純金の1kgのインゴット20個が入っていた。
金は1グラム5000円として、ひとつ500万円か。20個で1億円。総額、日本円で約1億2000万円。金庫から全部取り出し、五つに分ける。インゴット4個。100ドル紙幣の束が4束ずつ5か所に分かれる。
「5人で丁度に分けられて良かったな」
ジェーンが驚く。隊員は口を開けたまま俺を見る。
「驚くことないよ。1人2400万円のボーナスだと思えばいいさ」
一番年嵩の隊員が言う。
「本当にいいんですか?」
「要らないんだったら俺が貰っちゃうよ」
隊員の1人は急いで自分の分をバックに入れる。それに倣って他の2人もバックに入れる。
年嵩の隊員が他の2人に言う。
「絶対に、誰にも言うなよ。ここだけの秘密だからな」
「言いません!」
2人が口をそろえて言う。ジェーンも自分のバックに入れる。純金の比重はとても大きいので、1kgのインゴットは薄くて小さい。みんな笑顔だ。
ジェーンに通訳させる。
「俺達はいつでもお前の命を狙える。どこに隠れても簡単に探し出せる。今後、日本には一切手を出さないと約束しろ」
「・・・分かった」
「それともう一つ。バカみたいな別荘立てて、水族館作って喜んでる場合じゃないだろう。食うものが無くて死んでいく子供たちが居るのを知ってるだろう。お前のキャビア一瓶で何人がメシ食えると思ってるんだ豚野郎・・・豚野郎は通訳しなくていいや」
言いたいことを言って少しはスッキリした。これで何かが改善するとも思えないが。
「そろそろ行きましょう」
ジェーンが言う。金正恩を再び縛り猿轡をかませる。
侵入してきた窓を開けて外を見る。警備の兵士が裏庭に一人いる。
待つ。 3分後、建物内に入って行った。今だ。俺が先に飛び降り、後から順々に飛び降りて来る4人を受け止める。箱まで走る。途中で銃声。後ろを振り返ると、2階の窓から金夫人のソルチュが銃を撃っている。縄が解けたのか。ソルチュの弾は全く当たらないが、音を聞きつけた兵士たちが裏庭に飛び出て来る。光の玉を撃つ。その瞬間、斜め横方向からマシンガンの音。SBUの4人は急いで箱に掛けてある迷彩のカバーを外し、ドアを開け中に乗り込むが、狭い箱なので3人が乗り込むのには時間が掛かる。一番若い隊員が足に被弾する。俺は箱の前に立ちふさがり弾よけになりながら光の玉を撃つ。敵はどんどん増えて来る。ジェーンが隊員の安全ベルトを締め終わり、自分も中に乗り込む。
箱を立て、背面のベルトに腕を通す。肩と腰のベルトを締め、離陸する。一気に上空1000メートルまで上がる。銃弾は届かない。酸素の供給を開始する。毎分40L。体勢を整え屋敷に向かって降下する。上空500メートル。連中のアサルトライフル、AK47カラシニコフのライセンス生産品では、まっすぐ上には300メートルしか届かない。真上に撃った銃弾は彼らの上に落ちて来る。落ちて来る弾を避けて走り回るバカ共は放っておく。ガレージの屋根の下に金正恩の特注メルセデス・マイバッハが見える。少し大きめの光の玉を放つ。一瞬の後、爆発・炎上した。
任務は終わりだ。ジェーンにマイクで言う。
「撃たれた足は大丈夫そうか?」
「大腿部なんで急がないと・・・」
「分かった。『あたご』に連絡を頼む」
スピードを上げながら10000メートルまで上昇する。肩ベルトが千切れる寸前までスピードを上げる。途中で1km程左に見えた旅客機を、倍近いスピードで追い抜いた。
30分後、イージス艦『あたご』に着艦する。
ドアを開けると、ウレタンの背中部分と足元に血が溜まっている。
撃たれた隊員の顔色が白っぽくなっている。
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