第65話 ヤクザ
渋滞だ。西銀座駐車場に車を入れると7時近くになっていた。弓香に電話する。呼び出しが続きサナウンスに変わる。切った。
7時に仕事が終わるかと思い、しばらく待つが掛かってこない。
昨日から同じ服を着ているのに気が付く。
銀座4丁目から並木通りを歩く。交詢社通りとの交差点にベルサーチの店があった。
店に入ってみたが、気に入った物が何もない。携帯をチェックするが弓香からの連絡は無い。8時までか。左腕のオメガを見る。7時20分。ここから三越はすぐだ。
紳士服売り場。弓香を探す。通路を歩いてくる彼女を発見。
「まだ、仕事中だったんだね」
「電話もらいましたか?・・・済みません。8時までなんで」
「食事行く?」
「はい!」
即答。
「頼みが有るんだけど、俺の服、シャツを買いたいんだ」
すぐに何点かのシャツを見せる。今、来ているジャケットが濃いグリーンだ。着ていたのがシルクの白。
弓香が持ってきたのは全部光沢の有るシルクのシャツ。白、薄いグリーン、濃いグリーンだった。
薄いグリーンを選ぶ。29000円を現金で支払った。
和光の前で待ち合わせをして別れる。もう閉店の時間、8時丁度だ。
15分後、弓香と合流する。
8丁目の『天国』(テンクニ)で天婦羅を食べる。
今までで一番美味しい天婦羅だと言ってくれる。お茶の湯飲みを手にしながら弓香が俺に言う。
「中本さんは私に沢山の初めての経験をさせてくれますね・・・初めての帝国ホテルのフランス料理。今までで一番高い服にネックレス。今日の天ぷら。初めての外車」
「次は何がいい?」
「分かりません」
「休みはいつ?」
「私は火曜日です。それと隔週で水曜か木曜日」
「来週、火曜日と水曜日に休めないか?」
「大丈夫だと思います・・・どこか連れてってくれるんですか?」
「温泉は嫌い?」
「大好きです。どこの温泉ですか?」
「いい所を探しておくよ」
「何を着て行こうかな・・・」
「新しい服で行こうよ。何か買って」
10万円を弓香のバックに押し込んだ。弓香が金を返そうとバックに手を伸ばすが止める。
「楽しもう」
弓香が頷いた。『天国』から出て弓香とは別れる。
10時だ。アンに会いに行く。
弓香とは全く違う、洗練された姿に立ち振る舞い。数か月前までは、俺には絶対に手の届かない存在だった。何日かぶりに会うと、いつもそう思う。
隣りに座って、アンが俺の膝に手を置くだけで震えるような快感が走る。この女を俺は自由に抱ける。それだけで地球が自分を中心に周っているような気になる。
シャンパンは白。今は白だけだ。アンの希望。今日はアフターの約束が有ると言う。ママの3人連れの客だ。ママとアンともう1人が付き合う。客の連れの1人がアンを気に入っていると言う。
「俺っていう自分の客が来たんだから、ヘルプのアフターなんか断れるだろ」
「そうなんだけど、普通の客じゃないから面倒かも」
「何だ、普通の客じゃないって」
頬を指でなぞって見せる。
「たぶん」
「ヤクザか・・・断れ断れ。そんなのに付き合う必要ない」
アンがボーイを呼び、ママとカウンターで話をする。
アンが戻って来る。
「大丈夫かも・・・多分」
アンが俺の水割りをつくる。美しい横顔。
急にテーブルが暗くなる。見上げると赤ら顔の男。
縦じまのジャケットにゴッツイ金の指輪。ママの客の連れだ。
「おい!お前が邪魔したのか!」
男の後ろにさらに2人の男が来る。ママも慌てて付いてくる。
面倒くさい連中だ。顔も見ずに言ってやる。
「暗いからドケ」
後ろの男が出て来る。俺と同年代か少し上。
「こら・・・だれに物言ってんだ?」
「有名人だったら大体知ってるけど、あんたらは知らないな」
ママがおろおろしている。自分の客の腕を掴んで言う。
「ごめんなさい、社長。みんな酔ってるから・・・席に戻りましょ」
初めに来た男は、ママに何を言われても引き下がらない。
「おいこら・・・殺すぞ」
引っ込みがつかないのだ。
後ろにいる、もう一人の男は若い。手を上着の中に入れるのを見逃さない。
水割りを飲みながら言った。
「みっともないから、席に戻れよ。オッサン」
若い男がドスを抜いて突っ込んで来る。持っていたグラスを、突っ込んで来る男の顔に叩きつける。男がソファーの前に崩れ落ちるがすぐに起き上がる。眉間から血。手からはドスを離さない。もう一度突っ込んで来る。テーブルに有ったグラスを男の顔を目がけて投げるように見せかけ、念力で飛ばした。グラスの厚い底が再び眉間に命中し、男は昏倒する。ママの客が若い男の様子を見るが、そのまま寝かせておく。
そして俺のボックス席に座る。怒鳴り込んできた男もスツールを引き寄せ俺の正面に座った。暴力でなく、言葉で脅す気か。アンは成り行きを黙って見ている。ママの客が俺に言う。
「ダンナ・・・喧嘩慣れしてるようだけど、相手見てやらねーとな・・・銀座の『高木組』だ。聞いたこと位あるだろ」
銀座の飲み屋から徴収する『みかじめ料』で生きながらえている、小さな二つの組の内の一つだ。関西からの勢力に押され、最近では殆ど飲み込まれている。
連れの方の男が言う。
「ワビいれんなら今だぜ。絨毯が厚いから土下座も快適だろ」
テーブルに肘をつき、俺に顔を寄せる。無性に怒らせたくなってくる。
「あんたなぁ、女にアフター断られた位で『殺すぞ』なんて叫ぶなよ。みっともねえ」
ママの客の方にも言う。
「それからあんた。簡単に組の看板出すんじゃねーよ。こっちが、もっとデケエ看板出したらどうすんだよ・・・」
男二人が凍り付く。東京に進出してきている関西系の組だと思ったのか。ママの客が言葉を濁す。
「まあな・・・下らねえ事で喧嘩してもしょうがねえからな・・・・ダンナ、騒がせて悪かったな。うちらの席で一緒に飲みませんか」
急変する態度。弱者には強く、強者には弱い・・・・ヤクザ。
「いや。俺はこの子と飲みたいから、やめとくよ」
「そうかい・・・じゃあ、今度会ったら一杯ご馳走させてもらうよ」
ボーイの手を借り、倒れている若い男を連れて行く。
アンが冗談めかして俺に聞く。
「トオルは何組なの?」
「幼稚園では『ひまわり組』・・・」
俺の腕にしがみつく。
「知らなかった・・・そんな怖い人だったの? 泣く子も黙る『ひまわり組の中本だ』って叫べば、みんな道を開けてくれそう。」
「怖いんだぞぅ・・・スカートめくりの前科5犯。実刑を食らって廊下に立つこと3回」
アンが笑い転げる・・・こいつは俺の女。
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