第3話 世界の終わり

 

 三



「ガルルルルルルルゥッ! ウオォォォーン!!」



 俺たち家族や他の客達が見詰める中、その男はコボルトへと変貌した。だが、コボルトに変貌したのはそいつだけじゃ無かった。

 遊園地内のあちこちから、遊園地を訪れていた連中の悲鳴が聞こえ始め、やがて俺たちの近くでも二人目が変化を始めていた。



「な、何だ!? 何が起こってる!? 美代、小桜、大和! 俺の傍から離れるなよ!?」


「分かってるわ、あなた! ほら! パパとママの間に来なさい!」


「う、うん……」


「分かった!」



 子供達は美代の言葉で、その美代と俺の背中との間にピッタリとくっつき、そして本来なら有り得ない現象に震えていた。

 震える子供達や美代を守る様に両腕を後方へ軽く広げながら、俺は更に辺りの様子を窺った。人間がコボルトに変わると言うなら、何か切っ掛けがある筈だ。もしもその切っ掛けが分かるんだったら、それから守れば良いし、その行動を取らなければ良い。

 何か、分かれば……。


 切っ掛けを注意深く探る俺をよそに、最初に変貌したコボルトが人間を襲い始めた。最初の犠牲者は、おそらくコボルトが人間だった時の彼女だった女。頭から血を流す怪我のダメージは深刻の様で、逃げたくても体が動かないみたいだ。

 その女へとコボルトはゆっくり近付き、大きく裂けた口を更に歪め、そして右腕を振り上げた。その顔は、獲物を前にした肉食獣そのものだ。



「たす、助けてっ!! あ、あたし、たけしの事愛してるから! だから、助け――」


「ワオォォォォンッ!! ハッハッハッハッ! ガルルルルルル」



 命乞いをする女に、コボルトは容赦無くその腕を振り下ろし、女の頭部は首から上が無くなった。その後コボルトは、無くなった首から吹き出る血を浴びる様にゴクゴクと飲み、そしてそこに噛み付き、女の肉を喰らい始めた。



「お前ら! 見るんじゃねぇ!!」


「私……見ちゃ……た……」


「何!? 何が起きたの!?」


「姉ちゃん、僕も見てないから分かんないよ!」



 俺の見るなという指示に、咄嗟に美代が子供達の目を塞いだみたいだ。その代わり自分が見ちまったもんだから、見る見る内に美代の顔が青ざめてきた。……俺も、だが。

 あのコボルトが食事をしてる内にこの場から逃げ出したいが、周りを見ると、既に複数のコボルトが誕生しようとしていた。

 男も女も関係無しに変化をしている所を見ると、どうやら変化する切っ掛けに性別は関係ない様だ。だったら何が原因だ?

 何とか逃げようと辺りを警戒しながら、注意深く原因を探っていると……ふと、視界の端に違和感を感じた。そっちをチラッと横目で見ると、ソフトボールくらいの半透明の黒っぽい物が浮かんでいた。



(何だ、あれ……? 何かに吸い寄せられる様に動いてやがる)



 その不思議な物体はふよふよと宙を漂い、やがて直ぐ近くで地面に蹲って震えていた一人の女の中に吸い込まれていった。



(吸い込まれたぞ!? 何なんだ、全く!)



 そう思った矢先、その女に異変が起きた。そう、コボルトになった連中の様に突然苦しみ出したんだ。



「お、おい! 大丈夫かっ!! しっかりしろ!」


「きゃぁぁぁぁぁ! 熱い……熱い……! 体が、あ、熱ぅぅぅいっ!!」



 俺の呼び掛けにも応えず、その女は熱いと苦しみだし、身に付けてる物を全て脱いだ。こんな時じゃ無ければ喜ぶ状況だが、状況が状況だ。こんなに直ぐ近くでコボルトになられたら、美代達が危ない。

 そう思い何とかして逃げ道を探したが、既に周りはコボルトだらけ。逃げ道なんてどこにも無かった。



(くそっ!! どうすりゃいい!? このままだと、コボルトになったこの女も含めて周りのヤツらに殺されちまう! 考えろ! 考えるんだ! 何とかして助かる方法を!!)



 焦れば焦るほど、考えれば考える程、何も思い浮かばず、状況は刻一刻と悪くなっていった。

 そんな中、近くの女の変化は終わりを迎えた。コボルトになるとばかり思っていたその女は、何とそのままだった。いや、そのままじゃ無い。確かに変化を遂げている。

 体から余分な脂肪が無くなり、スレンダーな体型に。服を脱ぎ捨てて全裸だからか、目のやり場に困る。

 それはともかく、その女の変化は他にもある。先ず、日本人などアジア系の人間のほとんどが黒髪だが、その黒髪が銀髪……いや、限りなく銀に近いが、金髪だ。そう、プラチナブロンドへと髪の色が変わり、そのプラチナブロンドを掻き分ける様に主張するのが大きな耳。よく見ると、その耳の先が軽く尖って見える。

 そして顔だ。日本人そのものだった顔が、ミス・ユニバースで優勝出来る程の美女へと変わっていたんだ!

 絶世の美女にスレンダーな体。そして尖った耳と言えば、俺に思い付くのはアレしか無かった。

 アレとは、”エルフ”。つまりこの女はエルフへと変貌を遂げたって事だ!


 周りはコボルトだらけの地獄絵図。その中に現れた天使だと俺には思えた。しかし、周りをよく見ると……そこかしこにエルフに変化した人間の姿も確認出来、中にはずんぐりむっくりとした人間へと変わった者もいた。



(エルフにドワーフ……だと!? それにコボルトも! 知らねぇ間に映画の撮影にでも紛れ込んじまったのか!?)



 コボルトはともかく、何故俺がエルフやドワーフなどを知ってるのかと言うと……中学時代、俺は喧嘩に明け暮れていたが、実は厨二病を患っていた。人に隠れて、こっそりとそういう本を熟読してたって訳だ! だから詳しいのさ!

 ともあれ、全員が全員コボルトに変わるって訳じゃないなら、ここから逃げ出せる。……そう、希望を持ってたんだ、この時は。



 ――いよいよだ。いよいよ、時が来た。時は来た。我らの雌雄を決する時が。いにしえの盟約に定められし通り、我ら……今、ここに……世界を、重ね合わせん――



 逃げられる、美代達を守る事が出来るって思った瞬間、甲高い様な重低音の様な、空からの様な地底深くからの様な、耳からの様な体の内部からの様な。とにかく、気味の悪い恐ろしい声が響き渡ったんだ。

 その声は俺だけじゃ無く、どうやら美代達にも聞こえたみたいで、声の出処を探してキョロキョロしていた。


 だけど次の瞬間……それは始まった。

 辺り一面を埋め尽くす半透明のソフトボール大の影が出現し、それと同時に立っていられない程の揺れ……いや、巨大な地震が発生した。更に空は、まるで血の色の様にどす黒く紅く染まり、景色が、そして空間が歪み始めた。



(何だ!? 何なんだよ、いったい! 誰か説明しろよ! っ!? そんな事を考えてる場合じゃねぇ!!)


「美代! 小桜! 大和! 絶対に俺から離れるんじゃねぇ!! 必ず守ってやるから、安心しろ!!」



 美代達を必ず守ると怒鳴り散らした俺だったが、事態は既にそんなレベルを超えていた。

 地震により、地べたに這いつくばりながらも美代達の方を振り返った俺の目には、美代達に吸い込まれていく謎の光が映っていた。



「あなた……! あなた! か、身体が……頭が、熱い……!」


「きゃぁぁぁぁぁ! コハの身体に入って来ないでぇ!!」


「僕のお腹……何か、何かが動いてる……! 助けてぇ、パパ……!」


「しっかりしろ!! 気を強く持て! 諦めるな! 今パパが何とかしてやるからっ!!」


(くそっ!! 何とかするって、どうすりゃ良いんだよ!? このままだと美代達まで変わっちまう! 美代達じゃなくて、俺の中に入って来やがれぇ!!)



 そう思っても、何も出来ず。美代達が苦しむ様を見詰めるしか出来なかった。

 悔しかった。悲しかった。苦しんでるのに……助ける事が出来なかった。



「クッソヤロォォォォォォォォォッ!!!!」



 叫ぶ事しか出来ない俺の目の前で苦しむ美代達の姿は、いつの間にか消えていた。

 世界を揺るがす様な揺れはより一層酷くなり、空の赤黒さは不気味に輝いて見えた。

 埋め尽くす程に存在していた謎の影はその宿主を見付けたのか、見える範囲には無くなっていた。



「クッソ……ヤロォ…………うあああああああああっ!!!」


「ようやく用意が出来たでしゅ♪」


「……は?」



 家族を失い、絶望の淵に追い込まれた俺の前に、そいつが現れた。……夢で見て、遊園地でも見た、例の幼女だ。

 その幼女は俺に、まるで鈴の様な優しく美しい声で話し掛けて来たが、絶望に支配された俺の心にはその優しい声でさえ怒りを感じた。



「糞ガキ! てめぇはいったい何だ! 俺に絶望を与えに来た悪魔か!? てめぇを夢に見てからこうなった……。だったら! てめぇが俺を不幸に落とした張本人だろぅがぁ!!」


「……!? ち、違うでしゅ! ぼ、ボクは、君の半身――」


「ふざけるなぁ!! 何もかもがてめぇのせいだ……。犬人間が現れたのも、地震が起きたのも、空が赤黒いのも、みんなてめぇのせいだ!! 美代達も……。返せよ。なぁ。返してくれよ。俺の大事な家族だったんだよ……! さっきまで、あんなに笑ってたのに! 返しやがれぇぇぇえ!!!!」



 分かってる。分かってたんだよ、俺は。この幼女は何も悪く無いって。でもよぉ。仕方ねぇだろ? こうして何かに怒りをぶつけねぇと、頭がおかしくなりそうなんだからよぉ……!


 怒りのままに叫び、怒りのままに震え、怒りのままに涙する俺を、この幼女は優しく微笑みながら近付き、そして俺の頭を優しく抱き締めた。

 暖かかった。柔らかかった。良い匂いがした。そして、意識を失った。

 意識を失う寸前、俺は世界の終わりを見ていた。

 大地は崩れ去り、空は堕ちた。漆黒の虚無が広がり、音も失った。色も形も、何もかもが……虚無の中へと吸い込まれていった――。




 ☆☆☆




 どれくらい眠ってたんだろうか。……いや、それとも死んだのだろうか。身体が何も感じない。呼吸をしてる事さえも分からない。心臓は? その音も、何も聞こえない。地面に寝ている様だし、宙に浮いてる気もする。……だったら目は?


 目だけは動いた。いや、動かす事が出来た。瞼を上げ、何かを見ようと意識を集中する。

 しかし、どれだけ集中しようとも、目の前に広がるのは漆黒の闇。俺は再び目を閉じ、そして意識を失った。



 声が聞こえる。優しい声だ。良く、知ってる。愛する美代の声だ。若いな。出会った頃の美代の声に聞こえる。

 楽しかったなぁ……毎日笑い合って。今朝まで笑い合って過ごしたっけ。

 あぁ、小桜の声だ。やっぱり笑ってるな。何だって!? パパのバカだと!? はははは。俺はバカだ! 何が悪い!

 大和、お前もか!? そんなに怒るな。ポテチならまた買ってやるから! 悪かったって! 仕方ねぇだろ? そこにあったんだから!


 声から始まったそれは、いつの間にか実像を伴い、楽しく笑いながら送った生活を、俺に見せてくれた。その光景は、まるで暖かな光に包まれている様だった。

 その暖かな生活も夜は眠る。今日も楽しかったなぁ。明日も楽しいだろうなぁ。おやすみ、みんな。

 再び俺は、意識を失った。




 ☆☆☆




 どれだけ眠ったのか。一分なのか、一時間なのか。一日なのか、永久の眠りなのか。

 考えるだけ無駄だな。いつもそうだった。考えれば考えるだけ美代達は現れて、必ず最後は眠って終わる。見るのは必ず同じ夢。

 何故だ? 何故、毎回同じ夢を俺に見せる!? せめてもの罪滅ぼしなのか……?

 そんな事を考え始めた俺は、それでも瞼を上げて意識を集中した。

 だけど、今回は違った。いつもと同じならば、若い頃の美代の声から始まり、やがて暖かな家族団欒へと続き、最後は眠りに就く所でそれを見てる俺自身の意識が失くなる。

 だが、今俺の前には別の物が見えている。今の状態が寝てるのか立ってるのかは分からないが、感覚的には立ってる事になるのだろう。目の前に見えているのは、立っている様に見える、あの幼女だった。



(なんでこいつが現れるんだよ。夢だっていい。いつものヤツを見せろよ!)


「ボクの半身のユーリしゃん。あなたは夢の方達が死んだと思ってる様でしゅが、あの方達は生きてましゅ。幾つもの世界が重なりあって、新しく誕生したこの世界のどこかに居ましゅ」


(……ちょっと待て。何だ、今の。こいつ、俺の心を読みやがったのか?)


「ユーリしゃん。ここが何処だか分かってないみたいでしゅので説明するでしゅけど、ここはユーリしゃんの精神世界でしゅ。だから、ユーリしゃんの考えてる事は、全てボクに筒抜けでしゅ」



 この幼女が何を言ってるのかは、この時は全く分からなかった。しかも、ここが俺の精神世界だと言うならば、その中に何でこの幼女が居るのか。

 幼女を見詰めながらその事を考えてる内に、いつしかあの出来事や幼女に対する怒りは消えていった。それが何故だかは分かる。こいつはどこから見ても幼女……それもとんでもなく可愛い美幼女だ。

 そんな事を言うと誤解されそうだが、肝心なのはそこじゃない。つまり、俺の子供達の幼い頃の姿を、この幼女に重ねて見てるんだろうな、俺は。だから怒りが消えたんだ。


 何故かは分からんが、俺は自然にこの幼女の事を受け入れ始めていた……

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