第29話 「希望」と言う名の光・・・

マンション近くの公園、人が集まるファミレスと喫茶店、煌々と光る看板のTUTAYA、私は歯を食いしばりながら、メロスが親友を助けるための約束を果たしたように、ただ何も見えないマンションの近辺をひたすら走り続けた。ゲリラ豪雨のせいで今自分が泣いているのかさえわからなかった。あまりの強風で何度も何度も転んでは立ち上がった。


ゲリラ豪雨が去っていった。月灯りさえない夜の出来事だった。私は全てを失った。いつのまにか履いていたヒールが脱げていて裸足になっていた。私は、大事な人も、夢も希望も、生きる意味さえも、何もかもを失った・・・

まさに一瞬で頂点から奈落の底に突き落とされた気分だった・・・

彼が行きそうな場所は全部探した。まだウチに来てから1週間も経っていないから、この辺の土地勘は持っていないはずなのに・・・だからそう遠くへはいけないはず。そうだとしたら、まさかとは思ったけれど「元カノ」さんのところにでも戻ってしまったのかもしれない・・・

もう私の思考能力はその活動を停止していた。まるでカラダを真っ二つに引き裂かれたみたいに心だけでなく身体全身までもが悲しくて痛みだした・・・

もう今さら誰もいないウチに戻る気がしなかった私は、無意識のうちにマンションの隣にある公園の前へと来ていた。私を叩きつけてびしょ濡れになった服と髪の毛が、よりいっそう私の心を惨めにさせていく・・・涙が・・・とまらない・・・


・・・もう、死にたい・・・たった一人の「大切な人」を失ってしまったから・・・


生まれて初めて私はそう思った。マンションのすぐ隣にある公園の奥のベンチに私と同じように傘もささずにずぶ濡れになって座り、うなだれている薄暗い人影が見えた。さっきは暴風雨のせいで見えなかったのかもしれない。


・・・変な人・・・


その人影をみて、私はつい嗤ってしまった。なんか変な「仲間意識」が産まれていた。「類は友を呼ぶ」っていうけど、きっとこう言うことを言うのかもね・・・

その人もベンチに座りながら、傘もささずに痛いほどの暴風雨に全身ずぶ濡れになっていて、私と同じようにすべてを失ったかのように無気力でうつむいたまま、ぴくりとも動かない。死んでいるのかしら?ちがう、私もあの人と同じ・・・「何か大事なモノ」を失くした人。そんな赤の他人の悲しみが私の胸に伝わってきた。

すべてを失ったもの同士が引き寄せられるんだわ・・・不思議・・・他人のような気がしないのは・・・なぜ?


人は淋しい時や悲しい時は、同じような人に出会うものなのね・・・


そう思いながら、私はふらふらと夢遊病者のようにその人に近づいていった。公園の中央に立つ、たったひとつの電灯がその人のシルエットを徐々に映し出していく・・・

私はなんの抵抗も躊躇いもなく、ずぶ濡れでうつむいているその人の肩にそっと手を置くと、その人はゆっくりとその顔を上げた・・・

ハッ!と心臓が止まったかと思った!その人は一馬クンだったから!こんなところでなにやってるのよっ!なんでこんなところにずぶ濡れでいるのよっ!やっと、やっとみつけた私だけの「宝物」!私は彼に飛びかかるような勢いでしがみついて、力いっぱい抱きしめた!


「こんなところでなにしてんのよっ!一馬クンのバカッ!急にいなくなるなんてヒドイよ!私・・・私、苦しくてしかたなかったんだからっ!」


 

誰もいないと思っていたマンション近くの公園で、僕は紗和に出会った。僕を泣きながら抱きしめる紗和は、激情しているのか?興奮しているのか?僕の冷えきった身体にその熱情を注ぎ込むように僕にしがみつきながら泣いている・・・


「紗和・・・どうしてここに?」

「どうしてじゃないわよ!一馬クンこそウチにいないで、こんなところでずぶ濡れになって・・・身体もこんなに冷えてるじゃないの!なんでこんなところにいるのよっ!」

紗和の悲鳴にも似たその泣き声が僕を冷静にさせた。

「・・・いや・・・ただ、煙草を買いにきて・・・」

「ウソッ!私のDVDみたんでしょ?それでショックを受けたんでしょっ?だからウチにいないでこんなところでずぶ濡れになっているんでしょ?私のことキライになったんでしょ?私に幻滅したんでしょ?もう私になんか会いたくなかったんでしょ?だからこんなところにいるんでしょっ?」


そんな紗和の悲痛に満ちた叫びに、僕は正直返す言葉がみつからなかった。紗和のことを嫌いになったわけじゃない、これから先どうやって紗和と接していけばいいのかわからなくなっていたから。今の僕には、目の前にいる紗和がとても遠くに感じる・・・

頭の中が狼狽と困惑で、僕の思考能力は電源を落とされたパソコンのようにフリーズしてしまっていて判断が不可能になっていた。でも、紗和がこうして今、僕の目の前にいる。紗和もこの大雨でびしょ濡れになっている。かわいそうに・・・僕が家出したと思ってそこら中を探し回ったんだろう・・・

紗和は傘もささずにバケツで水をかけられたように全身ずぶ濡れになっている。紗和は真夜中の公園で叫んだ!


「お願いだから!私のことキライになんかならないでっ!」


紗和の悲痛な叫びが僕の心臓を貫いた。僕は紗和をこの冷たさから守るように抱きしめた。僕は紗和を悲しみと苦しみで泣かせてしまった・・・でも、僕も辛かったんだ・・・

だからと言って僕は紗和になんてひどいことをさせてしまったんだ・・・

あのゲスな男優でさえ、紗和を泣かせることなんかしなかったのに・・・

それなのに、僕は、僕は大事な紗和をこんなにも泣かせてしまった・・・

痛みで胸が張り裂けそうだ・・・

息ができないほどの罪悪感に胸が圧し潰されてしまいそうなほど苦しい・・・

だけど、紗和のその小さな胸は、僕の何倍も痛くて苦しくて悲しみでいっぱいだろう。

僕は・・・最低だ・・・こんなに温かくて優しい女性に会ったことがないだろ?僕のためにこんなにも泣いてくれる人なんていなかっただろ?僕はいったい何が不満でここにいるんだろう?たしかに紗和のDVDを観た時には、筆舌しがたい、今まで経験したことのないどん底に叩き落とされた気分になった。あまりのショックで目の前が真っ暗になった。紗和が僕の胸の中で泣き続けている。紗和を悲しませて泣かせたことに怒るかのように、どす黒い空から大きな音をたてて雷が鳴り響いた。


「・・・紗和・・・ごめんね・・・」


 僕は紗和の雨に濡れた頭を撫でながらそう呟いた。すると紗和は激しく首をふり、


「私のこと・・・キライになったの・・・?」


 その純粋無垢な瞳は、「聖母マリア」が、信者たちの祈りが込められた聖なる魔法で元通りに復活させられて神々しく輝いているかのように見えた。そう、僕にとって、紗和こそ探し求めていた「聖母マリア」だったんだから。それがたまたま男たちのオモチャとなり、弄ばれ、凌辱される「仕事」をしていただけだったんだ・・・紗和は何も悪い事なんてしてないじゃないか!僕は紗和の問いかけに、激しく首をふった。


「紗和、心配かけてごめんね・・・僕はちゃんと紗和のことを愛しているから。ただちょっとあの酷いDVDをみてショックを受けて何が何だかわからなくなってしまったんだ・・・でも、もう大丈夫だよ。心配かけて、本当にごめんね・・・」

「・・・ほ、ほんとに・・・?」

「あぁ、あの駄作のDVDをみて、ショックを受けて・・・これからどうやって紗和と暮らしていけばいいのかわからなくなってたんだ・・・頭が混乱してしまったんだ・・・」

「・・・そうだよね・・・アレ見たらショック受けるよね・・・」

「ショックは受けたけど、紗和のこと、キライになったわけじゃないから・・・」

「・・・うん・・・」

「僕は、紗和のことが大好きだよ。だからもう泣かないで?」


 僕がそう言うと、紗和の涙でくちゃくちゃになった顔が月明かりに照らされていた。あれだけ激しく降っていた雨が嘘のようにやんで、空には美しいし星空がひろがっていた。激しい雨が僕の苦しみや悲しみをすべてきれいさっぱりと洗い流してくれたようだ。胸に突き刺さっていた痛みという痛みすべてが消え去ったように、紗和を抱きしめている今の気分はやっぱり安心できて、しかも心地いい。


そう言えば「パンドラの箱」の伝説の結末は・・・

最後に残ったのは「希望」だった。僕は今、紗和と言う「希望」をこの腕の中で抱きしめている。柔らかな月明かりが優しく僕たちを照らしている。


・・・「希望」の光・・・・


僕にとってそれは紗和の笑顔だ。月明かりに照らされている紗和の笑顔・・・僕に手を差し伸べて、優しい温もりで包み込んでくれる「聖母マリア」のような紗和・・・


紗和、キミだったんだね・・・


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