第17話 別れの置手紙・・・

紗和の闇の「告白」は僕にとって青天の霹靂以外のなにものでもなかった。血液が体内を逆流していくようだ。紗和の男性歴なんてものはどうでもいい。

ただ僕が紗和に抱いていた、紗和の言葉を借りて言うなら、僕が勝手に持っていた紗和のイメージである綺麗なガラスでできたその偶像「純粋無垢な女の子」が巨大なハンマーで打ち砕かれてしまったように、一瞬で跡形もなく粉々に飛び散ってしまった・・・

『AV女優』を差別するつもりはないけれど、そう言う職業は紗和の絶対的に対極するものだと思っていたから。たしかに紗和の言う通り、人は見かけによらないものだ。そんな言葉は頭の中ではわかっていたけれど、今までこれほどまでのギャップをもつ人を僕は見たことがなかった。

僕と紗和はお互いに自ら衣装を脱ぎ捨て、産まれたままの姿になってすべてを見せあった。マジシャンが自ら種明かしをするように。これでお互いの「秘密」や「隠し事」はなくなった。文字通り、「丸裸」になったのだから・・・どこにも何も隠さない。これを人は腹を割って話した、と言うのだろうけど、そんな言葉では生ぬるい。僕らにはそんな言葉よりもっと深く、さらに奥底にあるものまで「告白」したんだから・・・

紗和はもう一度、今にも泣きだしてしまいそうな、震えた声で呟いた。

「どう・・・?私のこと、キライになったでしょ?」

紗和のその言葉には、僕にすべてを「告白」してすっきりした気持ちと、僕を諦める覚悟を決めた声が矛盾する色彩のような音色で僕の心に響き渡っていった。僕は紗和の胸の中で首を振った。


「ほんとに、私でいいの・・・?」

「うん・・・僕もこのまま、紗和と一緒にいたい」

「嬉しい!よかった!ほんとはね、すごく怖かったんだ・・・」

「何が怖かったの?」

「一馬クンを失うこと・・・そして『独り』になること・・・」

「僕も紗和を失いたくないよ、僕だって寂しくなる」

「ありがとう、嬉しい・・・それなら今日から一緒にここで暮らそう?」

「いいの?僕はなにもできないよ?」

「それでいいの。一馬クンはウチにいて私のそばで笑っていてくれるだけでいいの」


紗和は僕をさらに強く抱きしめたあと僕の頬に両手を添えて、その純粋で黒く輝く真珠のような瞳で僕をみつめると、優しく微笑みながらキスをしてくれた。『AV女優』とは思えないほど清楚で可憐なキスだった。これで僕と紗和は「恋人」としてのスタートラインに立つことができた。僕たち、人は「独り」では生きていけないんだ。人は、愛し愛され、そして愛する者、愛すべき者達とともに生きていくことができるんだ。僕は紗和とならこの先ずっと仲良くうまくやっていけるような夢を見た。それは紗和と「聖母マリア」が重なって見えた瞬間だった。たとえ紗和が『AV女優』だろうと何だろうと僕も紗和を絶対に放したくなかった。いつも僕のそばにいてその可愛い笑顔でいてくれるだけでよかった。僕たちは互いに愛し合い、支え合う関係になる事が出来た。僕たちはもう「独り」じゃないんだ。

「仕事」で紗和はいろんな男優に抱かれ、弄ばれ、オモチャのように扱われるだろう。そう思った時だった。僕の心を見透かしたように紗和が言った。


「カラダ」は売っても、「ココロ」だけは絶対に売らないから安心してね


そう約束してくれたから、僕は安心することができた。僕は救われたように紗和にしがみついていた。紗和はそんな僕の頭を優しくなでてくれている。学生の頃、キャンパスにあった教会で生まれたてのキリストを抱いている「聖母マリア」の肖像画をみたことがあった。 

その時初めて見た「聖母マリア」はふくよかで、僕に優しさと博愛を強く印象づけた。僕のそんな「聖母マリア」と紗和が、たった今、重なった。僕が大学の教会で観た「聖母マリア」と紗和のルックスは全く異なるけれど、もし「聖母マリア」が普遍的な存在でこの世に存在するなら、それはきっと紗和のような女性なのかもしれない。僕はそう思わずにはいられなかった。僕は紗和に確かめるように聞いた。


「ほんとに僕はここに住んでいいの?」

「うん、もちろん。ずっと一緒にいてくれる?」

「うん、ありがとう・・・」

「引っ越しは、いつにする?引っ越し屋さんに予約いれないと」

「それは必要ないよ」

「え?どうして?」

「荷物、あんまりないから。パソコンとステレオくらいかな」

「それなら私が全部買ってあげるよ?」

「ステレオはまた買えばいいんだけど、パソコンにいろんなデータがはいってるんだ」

「それって大事なものなの?」

「うん、だからパソコンとちょっとした服をもってくるだけでいいよ?」

「それなら私の車でじゅうぶんだね」

「うん、あとは・・・いらないかな」

「じゃ、いつにしようか?」

「今がいい」

「元カノさん、今おウチにいないの?お仕事?」

「うん、今日は遅番で夜までいないはずだよ」

「そっか、わかった。すぐに行こう!着替えてくるね!」


そう言った紗和の行動は素早かった。僕たちは着替えを済ませるとマンション地下の立体駐車場に行き、紗和が駐車場のキーを射し込むと、観覧者のように立体駐車場が動きだした。そしてその動きが止まると、

「これに乗って」

僕は紗和の真っ白なアウディに乗り込んだ。綺麗に磨きこまれた「純白」のアウディ。紗和には「純白」がよく似合う。これほど「純白」が似合う女性は芸能人の女優でもなかなかいないだろう。紗和は慣れたハンドルさばきで駐車場からアウディを出し終えると、

「どこにいけばいいの?ナビしてくれる?」

「とりあえず和田町駅に向かってくれる?」

「OK!和田町なら簡単だね」

「純白」のアウディが薄暗い地下駐車場からでて陽射しを浴びるとさらに輝きを増していった。僕は自分の車じゃないのに優越感を感じていた。車内も紗和の優しい香りに満ちていた。僕はこの香りの余韻に浸りたかったから煙草は吸わなかった。

目的地の「牢獄」まではすぐだから、ちょっと我慢すればいいだけだから。

出発して赤信号に引っかかった時、紗和が独り言のように微笑みながら言った。


「あのね、私にはね、もう一つ『夢』があるんだ」

「夢?どんなこと?」

「お花屋さんになること!」

「お花屋さんかぁ・・・紗和に似合うな。いつお店開くの?お店の場所はどこにするの?」

「AV界で1位になったら『引退』するから・・・それから開くつもり」

「なら、すぐにお店開けるね!僕も手伝うよ」

「ありがとう!私も女優として稼げるのはせいぜいあと1~2年くらいだからね」

「うん。そうした方がいい。僕も花の勉強しなくちゃ」

「あはは!そこまでがんばらなくてもいいよ」


紗和はもう「引退」のことと、その先の「夢」のことまで考えていたんだ・・・そんなことを楽しそうに話す紗和の横顔に見惚れながら、僕は紗和の話を聞いていた。

やがて16号にでると、いつもの見慣れた景色が目に飛び込んできた。ついにここともオサラバかぁ・・・僕はあの重く苦しい「牢獄」から救い出されるんだ。これから紗和との新しい生活が始まるんだ!僕はドアウィンドウを全開に開けて見慣れた風景を目に焼きつけておいた。車はマンションの前で停めてもらった。

僕は「すぐに戻るから」と、そう言い残して、あの空気が重い「牢獄」へと向かった。「あの人」がいないことがわかっていても、変貌してからの「あの人」の顔を思い出すたびに重たい足枷をつけられたように足が自分の足でないように重かった。

まだ返していなかったキーを取り出して暗証番号を入力すると、僕を待ち構えていたかのようにドアが開いた。そしてエレベーターにのりこみ、「6」のボタンを押した。エレベーターのスピードは僕のカラダにしみついていて心地よかった。エレベーターをおりて、角を曲がると来たくはない場所に着いてしまった。僕は勇気をだして、「牢獄」の扉を開けた。 

その扉は石の扉のように重く冷たく感じた。中から重く淀んだ空気が流れてきて、僕の身体を絞めつける。僕は眩暈に襲われ身体中に変な汗を滲ませていた。たった1日留守にしただけなのに、ずいぶん長い間留守にしていたような錯覚がした。一刻も早くここを立ち去らないと!僕は意を決して部屋の中に入っていった。真っ直ぐ自分の部屋に向かうと、僕はパソコンとお気に入りの衣類を持ち運ぶ前に、「あの人」に別れのメッセージを書き始めた。


長い間お世話になりました。さようなら  一馬


そしてメモの上に「あの人」から貰っていたカードキーを置いた。これで僕のやるべきことは終わった。今ここで男女の1つの「愛」が砕け散って、「別れ」が産声をあげた。

これは僕が居候してきた「彼女」たちとの別れ方だった。当然電話がかかってきて理由を聞かれる。そして、こんな別れ方は卑怯だ!と責められる・・・怖かったんだ・・・

僕は「彼女」たちの泣き顔をみるのがとても怖くて辛いから、それから逃げるためにこんな「卑怯」な方法でしか別れることができなかった。きっと、「あの人」からも電話がかかってくるかもしれない・・・いや、今回はきっと電話なんてこないだろう・・・プライドが高くて気の強いあの人のことだから、きっとこう怒鳴るに違いない。


てめぇなんか早く消えろよっ!


くらいにしか思わないだろう。そう確信したらなんか安心した。ここでの生活はもちろん楽しいこともたくさんあったけど、「あの人」が急変してからの生活の重苦しい空気が強すぎてもう耐えるにも限界に達していたから・・・僕が壊れてしまいそうだったから・・・

だけど、申し訳ないっていう気持ちも心の隅にひっかかっている。でももう後戻りはできない。僕には新たな道がひらかれたのだから・・・そう、賽は投げられたのだから。

もう僕はここにも、「あの人」にも未練も躊躇いも、その類の一片の破片も残っていなかった。僕はこれから前に進むんだ。また「卑怯者」と罵られるかもしれない。僕は弱くて卑怯なオトコだ。いくらでも罵ってくれ、それであなたの気が済むのなら・・・もしあなたに殺されても僕は恨み言一つ言うつもりはないよ・・・ただ、ありがとう、と一言だけ笑顔でささやくと思う。今までほんとうにありがとう・・・さようなら・・・

僕はパソコンと衣類だけを持って、4年間住んでいた「牢獄」から脱出して紗和のもとへと戻っていった。

安らぎに満ち溢れた新天地へと向かうかのように・・・


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