第8話 彼女のマンションへ・・・

僕はまったく状況が呑み込めていなかった。しかたない、かなり泥酔していたんだから。

「だいじょうぶ?歩ける?」彼女の問いかけに、僕は、うん・・・とうなずいた。さっきまで、記憶があった時までは早歩きだった彼女が、今度もまた僕の手を引きながらその目の前の高級マンションに入っていった。僕は彼女に肩を抱かれながら、なんとかエレベーターに乗った。グングン上昇していくエレベーターが僕の空っぽの胃袋をグゥーッ!と刺激して絞めつけていくようだ。でも、もう僕の胃の中はすっかり空っぽなので、もう吐くことはないな、と思って安心した。

エレベーターが上に昇っていくにつれて、僕の意識も回復していった。細い身体の彼女が眉間にしわを寄せて重たい僕の肩を担いでいた。まだ身体中に酔いの余韻が残っていた。

その時、僕の悪いクセがでた。彼女の肩に頭をのせて甘えだした。ほんのりといい香りとホルモンを焼いた煙の臭いがした。そして僕は、彼女のほんのり桃色に染まっている耳にキスをして、彼女の頬に自分の頬をすりよせた。

「もう・・・しょうがないなぁ~・・・」

彼女はまんざら悪い気はしてないようだった。僕の頭を小さなどもをあやすように、いい子いい子、と言ってなでてくれた。僕はこんなことをされると、一発でやられてしまう。(僕の恋愛の「アキレスの腱」だな・・・)でもこの時は酔った悪ふざけって感じで、彼女に少しの「愛」を感じ始めていた頃だった。(この子は僕のことをどう思っているんだろう?ただの親切心で、見知らぬ男を普通ここまで介抱してくれるだろうか?それより僕は「お持ち帰り」されてるのか?)と思ったけど、彼女があまりにも僕の世話を必死にしてくれている。するとチンッ!どうやらエレベーターが目的の階、つまり彼女の住む階についたようだ。(ずいぶん乗っていたけど、ここは何階だ?)すると彼女は重たい僕を担ぐのにかなり疲れたのだろう、額に汗を滲ませながらも、イヤな顔ひとつせずに、


「着いたよ、歩ける?」

「あぁ、もうだいぶ楽になったよ、迷惑かけたね、ごめんね」

「ううん、いいの。元気になったみたいでよかった!」

「重かったでしょ?かなり疲れたんじゃない?」

「うん、もう汗びっしょりだよ、早くシャワー浴びたい」

「僕もシャワー浴びたいな」

「うん、そうしたほうがいいよ、煙の臭いするからね」

「あと、口の中が気持ち悪くて・・・」

「そうだよね?何か飲まないとね!じゃ、いこうか。ここが私の家だよ」そう言うと彼女はバッグからカードキーを取り出して玄関をあけると、また僕の手を引いて、

「さ、入って!入って!今準備するね。ソファーにでも座ってて!」


彼女は忙しそうにあちこち動き回っている。冷蔵庫をバタンと閉める音と、彼女がこっちにくる足音が聞こえた。僕にコップと2Lのミネラルウォーターのペットボトルを手渡すと、僕は枯れる寸前の草花のように一気にミネラルウォーターをラッパ飲みした。乾いてひび割れた土地に突然のスコールが降ったように、そのミネラルウォーターは僕の身体の隅々まで染みわたっていった。

「はぁ~、生き返った・・・」

まだ彼女はバタバタと動き回っている。今度は新品の歯ブラシを持ってきてくれて、洗面所へと、また僕の肩を抱いたまま運んでいった。僕は歯磨き粉をつけて、さっき嘔吐したイヤな味の余韻が残る口の中を掻きむしるように歯ブラシを動かした。そして口をすすぐと、彼女が薄い水色のタオルをくれたので僕はそれに顔をうずめた。もうすっかり僕の体内からすべてのアルコールとともに暗く重い孤独感が抜けた感じがしたけど、今はそれが悪酔いに変わってひどい疲労感が僕の身体を鉛のように重くした。さっき嘔吐したせいで胃がきりきりと痛んでいたから、


「なんかちょっと、胃が痛い・・・」

「ちょっと待ってて」彼女は看護婦のようにてきぱきと動いている。

「これ胃薬だから飲んで」今度は錠剤の胃薬を3錠と水が入ったコップを僕に手渡してくれた。僕はそれをゆっくり飲み込むと、やっと落ち着くことができた。彼女が心配そうな顔をしながら、

「ねぇ、だいじょうぶ?」そう言って、ソファーに横たわる僕の顔を覗き込んだ。

「ちょっとまだ顔色よくないね・・・」彼女は優しく僕の頬をなでてくれている。

「ありがとう・・・やっとラクになれたよ・・・」

「ほんと?よかった!」

「いろいろ迷惑かけてごめんね・・・」

「そんなこと気にしなくていいよ。とにかく落ち着いたみたいでよかった!」

彼女は汗にまみれた優しい微笑みで僕の頭をなでてくれた。僕は木漏れ日にでもあたっているかのように安堵感に包まれていた。

僕が探し求めていた「優しさ」と「安心感」に身を包まれながら・・・それはまるで「聖母マリア」の温かい優しさに包まれているかのような気持ちだった・・・


「どう?気分はもうよくなった?」

彼女が仔猫のように小首をかしげながら聞いてきたので、

「・・・うん、もう大丈夫だよ・・・ありがとうね・・・」

すると彼女は首をゆっくりと左右にふって、

「いいの、気にしないでいいよ?」

と、柔らかい笑顔で微笑んでくれた。僕の頭をなでながら・・・

ちらっと壁にかかっていた時計が目についた。午前2時半を過ぎていた。彼女の顔をみると、さすがに眠たそうだったから、申し訳ないと思い、シャワーを借りることにした。

(でも・・・どうして彼女は初対面の僕にここまで優しくしてくれるのだろう?)

そんなことがとても気になったけど、彼女の眠たそうな顔をみるとかわいそうになってきたので僕はすぐにシャワーを浴びにいった。油にまみれた体を冷たいシャワーが洗い流してくれる。頭に冷水をかけ続けていた。何もかも、忘れてしまいたかったから・・・


(僕のこのイヤな気持ちも、こんな風に簡単に流せたらいいのに・・・)

 

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