第6話 可愛い年下の「お姉さん」

さっき僕が箸を伸ばしてから10秒くらいしか経っていないのに、肉の焼き加減ってそんなに繊細なの?と知らされた。彼女は大きくうなずくと、またさっきの別人のような厳しい顔で肉を焼き始めた。そして、自分の獲物を1秒の狂いも許さないように網の上から摘み上げて、その小さな唇を開いて丹精込めて焼いた至極の肉を頬張ると、言葉にならない!と言ったような顔でガッツポーズをとりながら、歓喜に満ちた最高の笑顔をみせてくれた。そんな笑顔や真剣な表情がくるくると入れ替わる万華鏡のような彼女の顔を見ていたら、僕の心の中にあった、どこかアウェイにいるような感覚と緊迫感に耐えられそうになかった気持ちはすでになくなっていた。

こうして彼女は僕の皿にベストな状態で焼きあがったホルモンをのせてくれたり、油で汚れた僕の口の周りをハンカチでそっと拭いてくれる。なんだろう、この安心感は?彼女が面倒見がいいのは本当のようだし、今夜初めて会ってまともに会話もしていないのに僕は彼女のことをずいぶんわかったような気分になった。普通居酒屋なんかでお酒を飲みながらお喋りを楽しむ「飲みニュケーション」と言う言葉があるけど、それは酔った雰囲気で気持ちよくなって打ち解けるから成り立つコミュニケーションだ。でも、それとは真逆のこんな沈黙のコミュニケーションもあるんだなぁ、と僕は思った。まさに異世界。今夜は意外な収穫というか、まったく文化の違う異国の地にでも来たような不思議な感覚だった。目の前にいるかわいい女の子と、ほどよい酔いと満腹感が僕を上機嫌にさせた。


(生きていればたまにはいいこともあるもんだなぁ・・・)


そう思うようになってから、もう彼女が怪しいキャッチや美人局かもしれない、という疑念は霧が晴れたように無くなっていたし、なによりも僕には彼女が、


かわいい年下の「お姉さん」


と言う、やっと僕に合った女性に出会えたと思った。僕の胸は試合前のリングに上がる時のようにワクワクしていた。僕は彼女が差し出した肉を頬張り、彼女の忙しく変化するその表情に見惚れていた。こんな楽しい時間を過ごすのはいつ以来だろう?僕の中にあった孤独感が、真っ赤に燃える炭火によって灰になっていったようだった。


今までは毎日、地縛霊のような重苦しく禍々しいオーラを放つ「元カノ」と、トラックの積み荷作業で受けたダメージによる、僕の脳を痺れさせる障害が僕の身体中を蝕んでいた。  

そんな辛くて寂しい毎日が続いていたけれど、今は突然現れた見知らぬ不思議な彼女のおかげで、「苦しみ」や「孤独」と言った、僕を苦しめ続けてきた「負」の感情が、僕の意識の根本からごっそりと引き抜かれていった。すっかり気を許した僕は彼女と食事を楽しんだ。

でも・・・この楽しい時間も食事が終われば最終ラウンド終了のゴングが鳴って、僕と彼女は「サヨナラ」するんだろうな・・・そんなのイヤだな・・・連絡先くらいは交換してくれるかな?そしたらまた彼女とこうして楽しい食事ができる。もっと欲を言えば、彼女と付き合えたらいいなと思った。僕はマイナス思考を頭の中から投げ捨てて、彼女とこの後どうやって繋がっていけるかを必死に考えた。楽しいことばかりが頭に浮かぶ。僕は彼女を「モノ」にしたい、そんな気持ちになった。酔っていたからかな?いや、違う!「元カノ」との生活に疲れていたからだ。もう僕は「元カノ」との生活には戻れない。このまま「元カノ」との生活を続けていたら、僕の精神が轟音をたてながら崩壊してしまう。僕はそこまで追い詰められた精神状態にいることを常に自覚していた。だから、目の前にいるかわいくて優しい彼女が、かわいらしく野に咲く小さな花のようにみえて心から癒されているんだ。そう思ったら、僕がいなくなって「元カノ」がどうなろうともう僕には関係ない。そう切り捨てるように、なんの躊躇いもなく思った・・・そう、僕は恩知らずの卑怯者、だ・・・



男女が別れる理由なんてこんなもんだろう?よく、生活のすれ違いとか、性格の不一致とか、「キレイゴト」を平気な顔で口にする奴らや芸能人がいるけど、本当はそんなんじゃない。どちらかに新しい恋人ができたからだ。もちろん僕もそれをイヤというほど経験してきた。結局、「男女関係」なんて、遅かれ早かれ「飽き」がくるんだよ。違うかな?それでも別れずにいるのは「愛」が「情」に変わった時だよ。そう思わないか?あと必要なのは「我慢」や「忍耐」だよ、これに尽きる。だってそうだろう?いくら愛しているとはいえ、元は価値観の違う、まったくの赤の他人同士なんだから。僕は今までの経験上そう思うけどね。

形あるものがいつか壊れてしまうように、「男女の愛」も、いつか壊れてしまう、いや、飽きてしまう。だから今は簡単に離婚したり、サイトで新しく刺激的な出会いを求める「男女」が多いんだろうな。だって、今の僕の胸の中にあった「元カノ」の存在はもうすでに心の消しゴムで綺麗に消されてしまったんだから・・・そう、僕も「普通の男」ってことだよ。

なにか問題あるかい?僕は何もかも忘れて今のこの楽しく幸せなひと時をかみしめるように、彼女が差し出した肉を噛みしめ、それをビールで流し込んでいった・・・

僕は今「自由」と「幸福感」に満ちている。長い牢獄生活を終えた囚人のように・・・

この時間が永遠に続けばいいのに・・・


金は天下の回りもの


と、いうけれど、「男女関係」もまさに回りものだよね?自分の手のひらから離れていき、いつかまた新しいものを手にいれることができる。

「失う人」がいれば「新しく出会う人」がいるように、「去る者」がいれば「来る者」もいる。これを「運命」とかたづけてしまえば答えは簡単だけど、今の僕にはそんな言葉しか頭に思い浮かばない・・・


(この子との出会いもまた、そんな「運命」なのかもなぁ~・・・)


この後彼女とどうなろうとも、それもまた「運命」だ。絶対に逆らえない男女の摂理。陳腐な言葉だけど、本当に今の僕にはこの言葉しか思い浮かばない、情けない・・・自分のボキャブラリーの無さが惨めに僕にのしかかる。暗い顔はやめよう。僕は彼女の顔をみて、また幸せな気分をとりもどした。

僕はテーブルのわきにある灰皿をみつけて、ここは煙草OKなんだな、と勝手に解釈して煙草に火をつけた。ライターを点ける時に、カシャと言う擦れる音がしたけれど、ライターの音で僕を咎める者は誰もいなかった。僕の予想はみごと当たったみたいだ。常連客も店主も、そして目の前にいる彼女も僕に注意をしない。僕は煙を天井に向かってゆっくりと吐いた。その煙は肉を焼く煙に紛れて、油まみれの換気扇に吸い込まれていった・・・


(ご馳走様でした!)


気がつくと彼女は両手を合わせて、親指に箸を挟んで行儀よく上品にそんなアクションをした。すると彼女は(もうおなかいっぱい!)と言いたげな、また違う満足のいった表情で僕に視線を送ってきたから僕も彼女と同じジェスチャーをした。彼女は僕が満足したのが気に入ったようで、出会った時と同じ笑顔を僕にみせたから、僕もつられて微笑みかえした。そして、(もう出ましょう?)というサインをしてきたので、僕も席から立ち上がった。 

彼女はスカートの裾を丁寧に左手で押さえながら立ち上がり、その黒く輝くロングヘアを結わいていた茶色いゴムを外すと、サラリとしたそのロングの黒髪から彼女らしい優しい香りがした。僕の大好きな香りだった。例えるなら・・・薄い石鹸のような清楚な香りかな?そんな彼女のしぐさで、きっとどこかいいとこのお嬢様なんだろうなぁ~、と決めつけてしまっていた。「元カノ」にはないものを、この子は持っている・・・絵に描いたような理想的な女の子だったんだ、そんな異性と出会ったことってある?ないよね?

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