第5話 謎の焼き肉屋・・・

「着いた、ここの2階だよ」ふと我に返った僕はすっと頭を持ち上げて、彼女が指さす方を見てみた。だけど、焼き肉屋らしい看板なんてものはなく、4枚ほどある窓ガラスから灯りが漏れているだけだった。

「ここね、すっごい穴場なんだよ!知ってた?」彼女は得意げにそう言うと、薄暗いこんな路地ではわからないほど古びた木製の扉を開けて、僕らでもかなりきついだろうと思われる急勾配の階段を静かに昇っていった。薄暗く油染みた狭い階段を昇ると、隠れ家的な雰囲気を醸しだす薄汚れた座敷の焼肉屋があった。その狭い店内をのぞくと、全部で4つのテーブルがあって、独りでこっそりと来ている客が3人それぞれ一つのテーブルで肉を焼いているのが見えた。横に顔を向けると、スキンヘッドで頑固そうな大柄の店主が、のそりのそりとマイペースで働いている。「口は禍の元」を信条にでもしているかのように、その口は「への字」に固く閉ざされていて、目つきは普通の客なら尻込みしてしまうような、獲物を威嚇するような大きくてギラついた目つきをしている。その丸太のように太い腕には見惚れてしまうほど綺麗な刺青がしてあり、左手の小指が手の根元からなかった。明らかに元「スジモノ」だった。でも今はこうして店を構えているところをみると「カタギ」に戻ったのだろう。そんなインパクトが強烈な店主だった。

そして、常連客と思われる客たちは、狩人がとらえた獲物を調理して食事をしているかのように、黙々と煙の中で肉を焼いて食べている。こんな店だ、もちろん女性客なんて1人もいなかった。テーブルはたったの4つで、各テーブルに3人の客が誰と目を合わすこともなく、会話することさえもなく、肉の焼き加減に集中している。

まるで囲碁や将棋の棋士のように、じっと箸を持つ手だけを動かしている。0コンマ1秒が命取りになるとでも言いたげな眉間に深いしわをよせた険しい眼差しで、焼き網の肉を突いている。その手つきは熟練した職人のようでとても繊細な動きだった。そして肉がいい塩梅になった頃、獲物を見つけた鷹が急降下して獲物を仕留めるように、その肉に箸を伸ばして自分の口に持っていく。その瞬間の常連客たちの表情は極楽にでも昇ったように至極の表情になっていた。


ゆっくりとその顎を上下左右に動かす。口の中全体に肉汁が染み渡るように何度も噛みしめてはその境地にたどり着いた者しか得ることのできない至福の極みを堪能していた。何とも言えない奇妙な光景だ。何かの宗教団体かカルト教団の儀式でもあるかのようにもみえた。その客たちの肉に対する情熱が、紅く燃える炭火と対決しているようだった。勝負師のようなその鋭いまなざしは、僕たちの存在すら無視していた。

店長がギラリと光る年季の入った包丁を持ちながら、僕たちを帰れと言わんばかりに睨みつけてきた。僕はまるで場違いの場所に来てしまったかのように怯んでしまった。例えるなら、デパートの女性下着売り場に僕一人でいって、女性店員から怪しいオトコとしてみられているような鋭い視線のように・・・

(まさか彼女、店を間違えたか?)そう思ったけど、でも、どうみても焼き肉屋だ。僕は異世界に連れてこられたような錯覚に陥った気がして眩暈にやられた。彼女が連れてきたのは、店主も客も得体の知れない「不気味」な店だった。そう、その薄汚れた店には、炭火が肉を焼く音だけがジリジリと静かに闘争心を燃やしながら聞こえるだけだった。



そんな店の奥にある誰もいないテーブルに僕たちは座った。僕はいろんな店をみてきたけどこんなに空気の重い店は初めてだった。入口からこの席にたどり着くまで、僕は水中の中を歩くような重たい感覚で静かに席に向かった。席に座るころには重苦しい緊張感ですでに疲れきってしまっていた。それほど重い空気、いや、オーラと言った方がわかりやすいかもしれない。僕の額にはイヤな汗が滲んでいた。それは肉を焼く炭火の熱からくる汗ではなく、綱渡りをしているかのような、危険を感じて出てきた汗だった。焼き肉屋に入るのにこんな緊張感がいるだろうか?これじゃ「普通」の客は来ないよ?僕はこんな異様な空間を味わったことがなかった。店主には余計なお世話だけど、よくこれで経営がなりたっているなぁ、そう感じずにはいられなかった。その店の奥の隅っこに運よく空いていた席に彼女は座るやいなや、バッグから手帳とペンを取り出すと、静かに何かを書き出して僕にそっと手渡した。


(ここは雑音や私語厳禁なの。暗黙のルールみたいなやつ?で、この注文用紙に注文したいものを書いて店長に渡すの。すると店長が作ってくれるから、それを受け取ってね!)


彼女は(わかった?)とでも言いたげな眼差しで僕をみつめた。彼女のその目はもう他の客と同じように「臨戦態勢」に入っている戦士のようだ。僕が、こくりと頷くと彼女は静かに席を立ち、ついて来いと言わんばかりに僕に合図した。いつのまに注文用紙にオーダーを書いていたのだろう?また地雷を踏まないように店内の床を歩く感覚で店主がいる小さな古い木製のカウンターに無事たどり着くと、彼女は店主に軽く会釈をして注文用紙を差し出した。すると店主はその大きく見開いた頑固そうな鋭い目つきで、ぎろっと彼女を見てから注文用紙を受け取ると、小さくうなずき、何の肉かわからないものを取り出して、いかにも慣れた手つきでそれらを捌いていった。


一見頑固そうで不器用そうな大柄の店主は、見た目とは裏腹に器用に肉を食べやすい小さなサイズに切り分けていき、色鮮やかに皿の上にのせていった。店主はそれをアゴでしゃくって彼女に手渡すと、すぐに背中を向けて調理場に戻っていった。彼女はそのこぎれいに刻まれた肉がのった皿を両手で大事そうにテーブルまで静かに運んでいくと、黒髪のロングヘアをゴムで結わいて、割りばしを音も立てずに割って見せた。僕も彼女の真似をして音を出さないように割ったつもりだったが、それが意外と難しいことだと身をもって知らされた!「バキッ!」と店内にその音が鳴り響いた瞬間、僕は殺気に満ちた視線を感じた!恐る恐る振り返ってみると、店内にいた常連らしき客3人と厳つい顔をした店主が僕を「殺気」を込めて睨んでいる!

僕の身体中を突き刺すようなその視線は、聖地に土足で上がり込んだ「よそ者」を威嚇するようなギラついた目つきだった。僕はボクサー時代、プロのリングで対戦相手の刺すような鋭い殺気に満ちた視線なんてものは何度も味わってきたけど、常連たちの「それ」はまるで異質なものだった。彼女も騒ぐ子供を叱る母親のように、シッ!と人差し指を唇に当てている。僕は一瞬で居場所を失くしてしまって、早くこの店から出ていきたい気持ちになった。僕はなぜか申し訳ない気持ちでいっぱいになって食に対して戦意喪失してしまった。


すると、僕が初めて感じた「殺気」は魔法が解けたかのように消えてしまった。みると常連客は、再び肉を焼くことに集中し始めていた。きっと僕なんかを睨んでいるよりも、大事に育てた肉が台無しになることを恐れたからに違いない。さっきまで殺気立っていた店内は再び獲物を狙うハンターが息を潜めているような緊張感に戻った。僕は緊張感から解放されたせいか、急に喉が渇き、肉と一緒に持ってきたビールを静かに飲み干した。彼女を見てみると、出会った時のまだあどけなさが残った無邪気な笑顔はどこかに消え失せ、箸を持ち、ホルモンと思われる肉を何個か焼き網の上で転がしながら焼いている。その彼女の表情も他の客と同じように、どこか動物的というか、野性的で、もの凄い集中力が僕の肌を刺すように伝わってきた。街中でもし下手に彼女をナンパしてこの鋭い目つきで睨まれたら普通の男どもはきっと逃げてしまうだろうな・・・そう思うと怖い顔をした彼女も、どことなくかわいく見えた。彼女はまだ肉をとろうとはせず、その来るべきベストタイミングを一瞬たりとも見逃すまい!という鬼気迫った顔で焼いているけど、僕の存在、忘れてないよね?

ジュージューと肉が焼きあがり始めてきた。ホルモン系が嫌いな僕でもうまそうに見えたから不思議だった。この店は一見、油と煙の煤だらけで汚くみえたけれど、古いわりにはテーブルや椅子はこぎれいで、床も油交じりで少しべとついているが、掃除がきちんと隅々まで行き届いているのがわかった。見かけによらず清潔な店だ。僕の部屋よりも綺麗かもしれない。肉がだいぶいい匂いになってきたので、僕は網の上にのっている小さな肉に箸をつけようとしたら、彼女の箸が僕の箸の行く手を阻んだ。彼女は軽く首をふっている。その表情は(まだ早いよ!)と言わんばかりの表情だったので、僕は大人しく箸をひっこめた。

(うわぁあ~、この緊迫感、キッツいなぁ~・・・)


すると僕の皿によく焼けた一口ほどの肉がのせられた。彼女が(食べてごらん?)と言いたげな視線で促してきたので、僕は箸でそれをつまむと、口の中に入れてしっかりと味わいながら噛んでいった。(あっ!うまいっ!)僕は彼女にそう目でサインを送ると、彼女の厳しい顔が溶けていって、あの無邪気な笑顔になっていった。(ね!おいしいでしょ!)彼女も僕にそんな視線を送ってきた。


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