第239話達人同士の戦い

 僕は雪隆くんに本多忠勝との一騎打ちの許可を出した。

 徳川四天王と称される本多忠勝と不世出の達人である真柄雪隆の勝負――これは一見するとかなり魅力的に思える戦いだが、はっきり言って勝負は着いていた。


 もはや徳川家には戦意は無く、ひたすら城へ逃げるしかない。そんな中、数千の軍勢で数万の敵を食い止めるなどできるわけがない。ましてや大将が先頭に立つなんて、昔の大陸の武将ではないのだから。

 そして雪隆くんが危ういとき――負けそうになれば僕は躊躇無く家来に命じて弓矢や鉄砲で狙い撃ちする。いくら武の才があろうとも、避けようもない攻撃には対処できないだろう。つまり、一騎打ちの勝負に限れば本多忠勝には敗北しかないのだ。


 だけど、相手は百戦錬磨の本多忠勝。

 主君を逃がすという一点に置いては――負けを認めない男だ。

 それだけは決して諦めないだろう。


「お前とこうして向かい合うのは、三方ヶ原のとき以来だな」


 たった一人で自分に挑む雪隆くんを、まるで眩しいものでも見るように、本多忠勝は目を細めた。

 雪隆くんはそれに対して「あのときは俺は負けた」と言って野太刀を抜く。そして――鞘を捨てた。

 二人とも馬に乗って睨み合っている。


「だが俺は負けない。今度こそ勝つ」

「ふん。以前とは目が違うな」


 本多忠勝は感心しているらしい。目の前に居る武将――雪隆くんを高く評価している。


「俺は復讐のために、あんたに挑んだ。でも今は違う。雨竜家家老として、この戦に勝つために戦う。俺の背には我が主君だけじゃなくて、雨竜家全部が預けられている」

「覚悟あり、というわけだな」


 雪隆くんは黙って頷いた。


「それを言うのなら、俺も徳川家を背負っている。その重さは決してひけを取らない」


 そこで本多忠勝はにこりと笑った。

 不敵に笑ったわけではなく、まるで愛おしいものを見るような笑みだった。


「長く生きているが、心躍るような戦いは二度目だ」

「初めてはいつだ?」

「お前の父親と戦ったときだよ」


 本多忠勝は蜻蛉切を構え直した。

 雪隆くんは応じて野太刀を握り直す。


「さあて。始めるとするか」

「ああ、そうだな」


 二人は同時に切り替えた。

 戦闘のみ考える思考に――

 周りの兵は二人が放つ気迫に押されかけていた。


「徳川家家老、本多平八郎忠勝。いざ参る」

「雨竜家家老、真柄雪之丞雪隆。推して参る」


 ほぼ同時に馬を走らせた――双方の得物の間合いはやや雪隆くんが劣るが、その分小回りが利く。最初に仕掛けたのは雪隆くんだった。すれ違った瞬間、喉笛を狙って野太刀を突き出す。しかし本多忠勝は首を横に逸らすことで皮一枚切るだけで済んだ。その際、本多忠勝の鹿の角飾りが特徴的な兜を刀が貫き、持ち主から奪ってしまった。

 後手に回ってしまった本多忠勝だったが首を捻りながらも繰り出した槍は雪隆くんの左脇腹に当たり――鈍い音を立てた。おそらくあばらが折れた音だ。

 それが高速ですれ違った際に起こった出来事だった。本来なら目で追えない速度だったが、何故か一部始終がゆっくりと流れた。第三者の目線だからか、それとも達人同士の気迫がそうさせているのか、判然としない。


「ほう。なかなかやるではないか。俺に傷を負わせたのはお前が初めてだ」


 兜のない本多忠勝は首に手を当てて、傷が浅いことを確認する。

 一方、あばらがやられているはずの雪隆くんは、野太刀から兜を取りつつ「今度は首を取る」と余裕を見せた。

 おそらく興奮状態だから痛みはないはずだけど、深手であることは相違ない。馬首を操りながらもどことなく様子がおかしい。


「さて。次で決めるか」


 本多忠勝は槍を振り回しながら言う。


「……望むところだ」


 雪隆くんも応じるように刀を構えた。

 再び馬を向かい合わせて――二人は突撃した。

 今度は本多忠勝が仕掛けた。突くと見せかけた動き――牽制を入れつつ横薙ぎで雪隆くんの首の骨を折らんとする。

 雪隆くんは読んでいた――いや、初めから攻撃を受けて反撃しようと考えていたのだろう。横薙ぎを刀で受け流して――ふらついたが持ち直した――交差ぎみに本多忠勝の頭を突いた。

 これもまた紙一重で避ける本多忠勝。今回は傷を負っていない。


 馬が駆け抜け終わると、またもや向かい合う。

 周りの兵たちはどよめいた。敵味方関係なく、武の達人同士が繰り出す技に圧倒されていた。


「以前よりも腕が上がっているな。危うく貫かれるところだった」


 手放しに本多忠勝が褒めると雪隆くんは「当たり前だ」と短く答えた。


「あんたに負けてから、毎日、鍛え続けた」

「なるほどな。では今度こそ決めようか」


 本多忠勝はようやく身体が温まったと言わんばかりに言う。


「行くぞ、真柄雪隆!」

「来い、本多忠勝!」


 三度目となる突撃。互いに限界と己の技量を超えた一撃を繰り出そうとする。

 ほぼ同時に攻撃を仕掛けた――牽制や受け流しといった小細工なしの真っ向勝負。

 まさに乾坤一撃! 


「――むう」


 本多忠勝が眉をひそめた――理由は額から血が流れて目に入ったからだ。

 先ほどの雪隆くんの攻撃で切れていたのだろう。それが風を切るほどの速度で動いたものだから、傷口が開いて血が吹き出たのだ。

 それが致命的だった。あるいは致命傷だった。


「だらああああ!」


 雪隆くんが叫びながら、本多忠勝が咄嗟に繰り出した槍の一撃を避け、がら空きになった胴を――斬った。

 本多忠勝は落馬し、そのまま動かなくなる。

 兵たちは歓声を上げた。意味不明の叫び声を上げながら、自分と周りの者と声の大きさを張り合った。中には興奮のあまり失神している者も居た。


「見事! 雪隆くん、見事だ!」


 僕は雪隆くんに近づく。彼は馬から下りて、その場に座り込んでいる。


「大丈夫か? あばらが――」

「ええ、折れています。それより本多忠勝は?」


 雪隆くんが立ち上がろうとするので、僕が肩を貸して支えてあげた。


「野太刀。腰が伸びてしまっていました。おそらく……」

「分かった。雪隆くんには悪いけど、捕虜にする。いいね?」


 雪隆くんは「もう首を取る気力はないですよ」と疲れた笑みを見せた。

 本多忠勝は気絶していた。いくら腰が伸びていたとはいえ、相当な威力のはずなのに。とりあえず動けぬようにして手当を受けさせた。知らない仲ではないし、今後の交渉で有利になるかもしれなかった。


 その後、本多忠勝が率いていた兵たちは潔く降伏した。僕が降伏した者は斬らぬと言ったからだ。行なわれた一騎打ちのおかげでもあるけど。こうして無駄な血を流さずに済んだ。

 徳川家康は戦場からの退却に成功した。三河国ではなく、遠江国の浜松城へと帰還したのだ。つまり篭城を選んだということになる。


 戦が終わって、僕は信吉くんに何度も頭を下げられた。別にあなたのせいではないと繰り返し言ったのだけど。

 それから秀吉と少しだけ話す機会があった。


「おぬしは危険な橋ばかり渡るなあ」


 呆れたような、それでいて面白がっている声だった。

 僕は「秀吉の作戦のせいだろう?」と皮肉を交えて笑った。


「それを言われてしまったら立つ瀬はないが……これより交渉に入る」

「戦に勝ったんだから向こうは要求を飲むかもしれない……そうだね」

「おぬしと三成に任すつもりだ」


 詳しい要求は以下のとおりだった。

 徳川家の従属。

 甲斐国と信濃国の割譲。

 徳川家康は隠居し、世良田二郎三郎が徳川家に復して継ぐこと。

 細々した要求はあるけど、主だったのはこの三つだった。


 さて。徳川家康は要求を飲むか否か。

 これは徳川家の力を削ぐだけではなく、徳川家康が天下を諦めるのかということでもあった。

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