第208話それぞれの覚悟

 商人の女中姿のなつめ。彼女は「この場から移動したほうが良いと思うけど?」と蓮っ葉に提案する。


「ここは毛利家の勢力圏内だしね。安全な場所へ行きましょう」

「安全な場所? どこだい?」

「九鬼水軍の軍船よ。流石に大安宅船ではないけど」


 九鬼水軍? どうして彼らの名前が出る?

 不思議に思いつつ、僕は一歩踏み出そうとして――倒れてしまう。


「殿! 大丈夫か!?」


 同じように傷だらけなはずなのに、島が駆け寄って僕を起こした。


「ははは……気が抜けてしまった。駄目だね僕は」

「そんなこと……! 仕えて光栄だと思っているぞ!」


 島の言葉に呼応するように、雪隆くんが島の反対側を支えてくれた。


「しんがりを成功させたんだ。これ以上の戦果はない」

「雪隆くん……」


 なつめは「まったく、少し離れていても変わらないわね」と笑った。


「そういえば、頼廉はどこよ?」


 その言葉に胸が締め付けられる――


「おおそうだった。あの野郎、どっかで休んでいるのか?」


 孫市も不思議そうに周りを見渡す。そういえば顔見知りだったな。


「頼廉は、死んだ……」


 何の感情を込めずに言おうとしたけど、悲しみが混じってしまったのは否めない。

 小さく呟いたつもりだった。でもなつめと孫市は動きを止めた。


「……そう。良い人だったのにね」


 なつめは残念そうに呟いた。


「あの馬鹿。勝手に死んでんじゃねえよ」


 孫市は淋しそうに愚痴る。


「僕の采配のせいだ。ごめん」

「謝るなよ。どうせあいつが危ない橋を渡っただけだろ」


 孫市は近づいて僕の肩に手を置いた。


「気にすんな。お前が生き残ったことであいつも報われるだろ」

「…………」

「だから、悔やむなよ」


 今まで必死に戦ってきて、思い返すことはなかったけど。

 頼廉と山中殿が死んだことをようやく受け入れられることができて――つらかった。


 僕と雪隆くん、島と丈吉たち、そして生き残った百八十七人の兵はしばし休息を取って、雑賀衆に守られながら、ゆっくりと南下する。九鬼水軍が停泊している備讃瀬戸の港に行くためだ。正直、どうして雑賀衆や九鬼水軍が居るのか。なつめがどうして居るのか。よく分からないことだらけだけど、いろいろこちらから聞けないし、向こうから話すのを待つしかなかった。


 港町に着くと多くの軍船があり、その中の一隻に乗り込む。そこで食事が出されて僕たち三人と兵は貪るように食べた。

 一息つくと、なつめが「顔色良くなったわね」と笑いかけてくれた。


「ああ。物凄く美味しい。助かったよ」

「良かったわ。あ、九鬼嘉隆さまがこちらに来るわよ」


 その言葉に姿勢を正す。雪隆くんと島も同じように正した。

 九鬼嘉隆は伊勢国の水軍大名と聞く。孫市と同じ豪放磊落な人物だと思っていたが、意外と細身で、日焼けこそしているものの、普通の武将と変わりなかった。


「九鬼嘉隆と申します。あなたが雨竜殿か?」


 典雅な声。人を圧する感じは無く、波風の立たない穏やかなものだった。


「雨竜秀昭と申します。こたびはなんと礼を言えば――」

「いえいえ。私は何もしていないに等しい。礼を言うのであれば、孫市殿やなつめ殿に」


 その言葉に雪隆くんが「そもそも、どうしてここに?」と訊ねた。


「上様が討たれたのが五日前か六日前と聞く。しかしこれだけの軍勢をどうやって用意できた?」


 そのとおり。軍勢を準備するとなれば五日か六日では間に合わない。

 その場に居た孫市が「確かに普通なら間に合わねえよな」と笑った。


「でもよ。上様が亡くなる前に準備してたら、間に合うだろう?」

「……意味が分からないが?」


 島が訝しげな表情になった。

 でも僕はそれを聞いて腑に落ちた。


「そうか。四国攻めか!」

「おお。正解だ。俺たち雑賀衆は四国攻めで大坂に徴集されていた。まあ九鬼殿は堺に駐留していたがな」


 孫市があっさりと言う。

 でもますます分からなくなった。


「でも雑賀衆は紀州攻め以降、最大で三千人の兵力しか持たないはずだ。五千の兵はどうやって集めた?」


 僕の疑問に「そこからは私が話したほうがいいわね」となつめが引き継いだ。


「話はあの日に遡るわ……京で変事が起こった、あの日のことよ」




 上様が明智に討たれた夜。周囲が騒がしくなったのに違和感を覚えたなつめは、寝巻きのまま、外の様子を窺った。

 すぐに軍勢が攻め込んだという町衆の話が聞こえた。しかも上様は討たれて明智が首謀者であることも分かったらしい。

 なつめはすぐに主である角倉了以に報告した。彼も異変に気づいていた。


『ふむ。これは不味いですね』


 角倉は顎を撫でながら困ったように言った。


『なつめさん。あなた、雨竜さまを助けたいと思いますか?』


 何の脈絡もなく問われたらしい。でもなつめはすぐにこう答えた。


『まあ、死んでいい人じゃないとは思うわ』

『手前もそう思います。しかし情勢を鑑みると危ういですね』


 角倉は昨今の情勢に精通していた。羽柴家が毛利家と備中国で戦っていることも知っていた。


『毛利家が変事を知れば、羽柴家と戦うことになるでしょう。もしかすると合戦が起こるかもしれません』


 角倉は秀吉が毛利家と合戦してから撤退すると予想したようだ。実際には僕がしんがりとして残ったので外れだが、それでも羽柴家が危ういことは予想できたみたいだ。


『確か、雨竜さまは雑賀衆と親しいご様子。そして今、四国攻めで大坂に居るらしいです。なつめさん、あなたなら手前の言いたいことは分かりますね?』


 なつめは頷いた。要は雑賀衆に援軍に向かわせることを提案しているのだ。


『才蔵くんのことは、任せてください』


 なつめはその言葉を信じて、女中姿のまま大坂へと向かった。

 既に白み始めていたがそれでも走り続けた。


 到着したのは変事が起こってから半日後だった。

 大坂の城には雑賀衆二千の兵が居た。

 その頃、孫市は津田信澄さまのところに居た。何でも僕を知っていることが互いに分かったらしく、それで話をしていたらしい。まあそれは口実で四国攻めの副将として、将を知ろうとしていたのだろう。

 その場には孫市だけではなく、頭領の小雀くんも居た。話せない小雀くんを補佐するために居たと孫市は言うが、本当は心配だったみたいだ。


 なつめは変事を三人に伝えた。小雀くんは目を丸くし、孫市は声を無くした。

 一方、信澄さまは『……そうか』と小さく呟いた。


『羽柴家が窮地に立たされています。援軍をください』


 なつめは額を床に擦り付けて懇願した。


『……孫市殿。俺の兵六千を預けます。羽柴殿と雨竜殿を助けてやってください』

『そ、そりゃあ構わねえが、あんたはどうするつもりなんだ?』


 信澄さまの意外な言葉に孫市が問うと、彼は淋しそうに笑った。


『俺は多分、殺されるだろう』

『……どういうことだ?』


 孫市が訊ねると『謀反を起こしたのは俺の舅だ』と説明し出す。


『しかも俺の父は謀反を起こしている。それを鑑みれば、明智に味方するかもしれない――いや、したかもしれないと思い込む武将が居るかもしれない』

『だったら、あんたも城を出たらいいじゃねえか』

『それはできない。それだけはできない』


 信澄さまは笑いながら――泣いていた。


『城を守ることが上様の――父を許してくれた伯父の命令だ。それには背けない。たとえ死んだとしても、守らなければならない』

『でもよ……』

『この城を捨てて逃げたら、労せずに明智の軍勢が占拠してしまうかもしれない。もしかしたら摂津国の武将がここを拠点として明智を討つために集まるかもしれない』


 信澄さまは『だから、逃げるわけにはいかないんだ』と言う。


『……あんた死ぬぜ?』

『ああ。多分な。でもさ、それが武士ってもんだろ?』


 涙を拭って、信澄さまは笑った。


『さあ行け。俺の気が変わらないうちに! さっさと行ってくれ!』


 孫市はしばらく黙って、懐から煙草を取り出した。


『南蛮渡来の品で煙草と言うんだ。吸えば落ち着くぜ』

『いいのか?』

『うるせえ。良いに決まってるだろ。じゃあな。あんたと話せて楽しかったぜ』


 孫市はなつめを連れて、その場を去った。

 小雀くんはしばらく信澄さまを見て、一礼してから去っていった。




『変事のことは聞いております。しかし船を出すのは……』


 堺に向かったなつめたち。さっそく交渉しようしたが、九鬼殿は初めそう言って断ったようだ。


『理由を聞こうか』

『上様亡き後、天下がどうなるか分からないのに、そんな博打は打てません』


 孫市の恫喝に静かに答える九鬼殿。


『博打だと? 逆賊を討つのが、賭け事だって言いてえのか!』

『既に畿内を制圧しつつあり、各周辺の武将は明智さまの縁戚と組下です。今更羽柴殿がきたところで……』


 その後は平行線になってしまったようだ。


『口も利けない頭領と隠居した元頭領。言葉が届くと思いますか?』

『なんだとこの野郎!』


 孫市が怒ったのは、自分ではなく小雀くんが侮辱されたからだ。

 その場で乱闘が起ころうとした寸前――


『お、おね、がい、します』


 しゃがれた声が静かだけどその場に広がったらしい。


『くもの、すけ、さんを、たすけたい』


 小雀くんが、あの小雀くんが、身体を震わせて、心を奮わせて、声を発した。


『こ、小雀……』

『あのひと、しなせたくない……』


 血を吐きながら、言葉を紡ぐ小雀くんに、流石の九鬼嘉隆も心を動かされたらしい。


『……喋れない人間が、血を吐きながら懇願する。ここで断ったら野暮の極みですね』

『だったら――』

『孫市殿。どうか私を脅してください』


 なるほど。要は脅されたから協力したという名分が必要だったのか。

 孫市も気づいたらしい。そういうわけで九鬼水軍も協力することになった。




「これが経緯よ。今、頭領の小雀さまは高熱が出て、堺で休養を取っているわ」


 全てを聞いた僕は――どんな感情を覚えればいいのか分からなかった。

 角倉への感謝か。信澄さまへの感謝か。小雀くんへの感謝か。

 それともなつめへの感謝か。


 なんと評せば良いのか、僕には分からなかった。


「それで、この後どうする気?」

「どうするって――」

「行くんでしょ。羽柴さまを助けるために」


 なつめが平然と言う。


「そうだな。殿ならそう言うだろう」


 島がうんうんと唸っている。


「ここで行かなくちゃ、雲之介さんじゃないな」


 雪隆くんも頷いた。


「みんな……いいのか?」


 僕の我が侭だと思う。しんがりをやり遂げたのだから、もう動かなくてもいいはずだ。


「俺たちはあんたについて行くって決めたんだよ」


 雪隆くんの言葉に島もなつめも、丈吉たちも頷いた。


「……分かった。孫市。九鬼殿。手伝ってくれ。その分の銭も出す」


 孫市は「銭くれるんなら、働いてもいいぜ」と笑った。

 九鬼殿は「乗りかかった船ですからな」と頬を掻いた。


 僕は皆に宣言した。


「行こう。秀吉の元へ――」

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