第186話穏やかな最期

「松寿丸は――いい奴でした」


 長浜城にある、僕の屋敷。

 暗い表情でそう語るのは、息子の晴太郎。

 傍には妻のはる、浅井家に嫁入りした娘のかすみ、そして少し歩けるようになった雹。

 僕の家族が勢揃いしていた。


「短い間に――随分と仲良くなったんだな」

「ええ。あいつが人質だと思えないほど、明るくて優しくて、向学心も向上心もあって、黒田家の当主に相応しくなろうと努力する、いい奴でした」


 過去形なのが、悲しかった。

 もはや会えないと分かっているのだから、仕方ないけど。


「……竹中さまは、どこに居るんですか?」


 俯いていた顔をすっと上げる。

 澱んだ瞳が僕を見つめる。


「どうしてそんなことを訊く?」


 察しはつく。おそらく半兵衛さんを殺すつもりだろう。

 悲壮に満ちた覚悟を、晴太郎の中に僕は見出す。


「お答えできないのですか?」


 噛み合わない問答。

 だから頷いた。それしかできなかったから。


「兄さま。馬鹿なことを考えないでよ」


 我慢し切れなかったのか、かすみは口を出してしまう。


「松寿丸が死んだのは、悲しいけど……上様の命じたことなんだから」

「じゃあ上様が悪いのか?」

「そ、そうは言わないけど……」


 僕は「責任を問えばきりがない」と二人を制した。


「黒田殿を捕らえたか殺したか分からないけど、そんな目に合わした荒木にも責任がある。黒田殿を裏切った小寺家も悪い。そもそも人質を差し出した黒田殿自身にも責任がないことはない」

「では、父さまは、誰が悪いと思いますか?」


 蒼白な顔で晴太郎は僕に問う。

 僕は何の感情を込めずに言う。


「誰も悪くないさ。強いて言うのなら、子どもを人質にして、叛けば殺すような戦国乱世という時代が悪いんだ」


 晴太郎もかすみも、僕のあまりに酷い言葉に絶句した。

 代わりに雹をあやしていたはるが問う。


「ではお前さまは誰も悪くないと言うのか?」

「そう言っている。半兵衛さんは上様を説得して、できなかったから松寿丸を殺したんだ。実らなかったけど努力はしている」

「では竹中殿に松寿丸の死の責任は無いと?」


 僕は「そもそも、みんなは勘違いしているな」と言う。


「松寿丸は見事に切腹して果てたという。武士としてこれ以上ない死に方をした。名誉に思うこそすれ、恥辱に塗れた死ではない」

「……父さま、それはあまりに」

「あまりに身勝手と言うのか? 晴太郎、松寿丸を悼む気持ちがよく分かる。喪失感も重々承知している。だから――これ以上、松寿丸の死を汚すな」


 厳しい言い方だけど、そうでも言わないと美濃国の半兵衛さんの居城、菩提山城で静養している彼に迷惑がかかる。


「……分かりました」


 納得していない様子だったけど、無理矢理飲み込んだ晴太郎。

 かすみは静かに涙を流す。まあそのくらいは許そう。


「それで、お前さまは晴太郎殿を説得するために、戦場を離れたのか?」


 はるがぐずり出した雹を抱っこしながら訊いてくる。

 僕は「もちろん他にも用がある」と言った。


「実はこっちが主要な用事だ。はっきり言って避けたい用事だが……」

「どんな用事ですか?」


 晴太郎が催促してくるので、僕はなるべく早口で言う。


「京で僕の祖父に会いに行く」

「……はあ?」

「会わなくちゃいけないんだ」


 僕は目を伏せて、呟く。


「僕の祖父、山科言継さまは、もう永くないらしい」




 家族から総反対されると思ったが、案外すんなり同意してくれた。


「一度会ってみたいと思っていた。いろんな意味で」


 晴太郎は暗い顔をしていた。


「うん。母さまの代わりに文句言いたいしね」


 かすみは意外と根に持つ性格のようだ。


「山科殿なら知っている。父と親しかったから」


 はるも異存ないようだった。

 ということで数日かけて京へと向かう。

 着くなり山科家の使いの者と合流し、静養しているという屋敷に招かれた。


 僕はどんな顔をして会えばいいのだろう。

 晴太郎とかすみは、まだ見ぬ曽祖父に敵意を持っているようだ。

 はるはさほど憎く思っていないようだけど、良い印象はないだろう。


 翻って僕は何を思えばいい?

 娘のために孫を殺そうとした祖父に何を思えばいい?

 実際に会って見ないと、分からないな……


 案内された屋敷の門をくぐると、言継さまによく似た中年の男が立っていた。

 公家の普段着である狩衣を着ていることから、それなりの地位に居ることは分かる。


「ようこそ。歓迎するよ」

「あなたは……?」

「ああ。紹介が遅れたね。私は山科言経。君の伯父だ」


 一言一言区切るように喋る、変わった人だなというのが第一印象だった。

 この人が書状を出したのだな。


「父上は奥の間に居る。さっそく会ってくれ」


 こちらの紹介もまだなのに、さっさと終わらせてくれと言わんばかりに、くるりと後ろを向いて、歩き出す言経さん。

 晴太郎が少しだけ不機嫌になるのが分かった。


「言継さまの病態は、いかがですか?」


 廊下を歩きながら問うと「かなり悪い」と短く言われた。


「年を越えられたら御の字だ」

「そうですか……」

「あらかじめ言っておくが。父上にあまり同情しないでほしい」


 奥の襖の前に立つ言経さま。

 訳が分からない……


「同情、ですか?」

「ああ。ああなったのは自業自得だ。私は妹の巴が嫌いではなかった」


 思わぬ言葉に僕たちは何も言えなくなった。

 そして続けて言経さまは言う。


「あの様になったのは。因果応報だ。廻り巡ってああなったんだ」

「…………」

「中に入ってくれ」


 襖が開かれた。

 言継さまは高価と思われる寝具と布団の上に居た。


「……言継さま」


 上半身だけを起こして、ゆっくりと僕を見る言継さま。

 口元が涎で汚れている――


「……あんたは、誰?」


 思わず、足を止める。


「新しい使用人か? いや武士っぽいな……」

「……雨竜雲之介秀昭です」


 名乗れば分かるだろうと思ったけどますます首を傾げた。


「はて。誰じゃったかの?」


 晴太郎が、言経さまに訊ねる。


「……呆けているんですか?」

「ああ。私の顔すら思い出せない」


 僕はゆっくりと言継さまに近づく――


「うん? 何か変なこと言ったかの?」

「僕は、あなたの孫です」

「おおそうか。武田殿がお会いになると?」

「……巴の息子です」

「尾張の大うつけ殿がここまで領土を広げるとはな! こうしては居れん! さっそく会わねば!」


 ああ、この人はもう駄目だ。

 今と昔が混在して、何も分かっていない。


 僕は身振り手振りをする言継さまの手を取った。


「もう、良いんですよ。少し休まれてください」

「……? そうか、もうわしは休んでいいのか」


 通じたようで、ゆっくりと布団に横たわる。

 手は離さなかった。


「なあ、聞いてくれるか?」

「何をですか?」

「わしの孫のことだ」


 僕が誰だか分からないのに、突然話題に出してきた。


「可哀想なことをした。毎日後悔している。わしは鬼だ。娘のために孫を殺したのだ」

「…………」

「許されないだろう。地獄に落ちるだろう。ああ、巴、すまなかった」


 口から涎を流し、目からも涙を零す言継さま。

 必死になって僕に言い続ける。


「わしは救われなくていい。でもあの孫が幸せであってほしいのだ……」


 僕は握る手を強くした。


「大丈夫。あなたの孫はきっと幸せになりますよ」


 口に出たのは、気遣いの言葉だった。


「それにあなたのことは恨んでなんかいません。そりゃあ知ったときは怒りましたけどね。もう何とも思っていませんよ」

「……本当か?」

「ええ。見てください。その孫の家族です」


 後ろに立っている僕の家族を見せる。

 晴太郎は真顔で立っていて。

 かすみは少し泣いていて。

 はるは雹を抱いていて。

 雹は無邪気にはしゃいでいた。


「そうか。孫は、幸せなんだな」


 満足そうに笑う言継さま。


「ええ。ですから、もうお休みになってください」


 言継さまは、そのまま目を閉じた。


「君は、優しいな……」

「…………」

「ありがとう」


 そして眠ってしまった言継さま。

 ゆっくり手を離した。


「意外だな。君は父上を恨んでいると思っていたが」


 言経さまが何の感情を込めずに言う。


「こんな様子を見せられて、恨み言を言えるのは、もはや人ではなく、鬼ですよ」

「君はそれだけの理由があると思うがな」


 言経さまは最後にこう言った。


「君は嫌がるだろうが私と山科家は君を支持する。公家関係で何かあればすぐに頼ってほしい。君が望むかどうかは知らないが。頭の片隅にでも置いてくれ」


 そして正座をして、僕に頭を下げた。


「父上に代わって謝罪する。すまなかった。そして父上に代わって感謝する。ありがとう。これで穏やかに父上は死ねるだろう」


 これで良かったのだと思う。

 そう信じたい。

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