第148話子飼いの元服

「いやあ。めでたいわね。かすみちゃんの婚姻とはるちゃんの懐妊だなんて」

「ああ。兄弟は幸せ者だな」

「然り。幸せは次々と来るものだな」


 半兵衛さん、正勝、長政に教えたその日のうちに宴会が開かれた。宴会と言っても参加しているのは僕を含めて四人だけだ。秀吉は石松丸の様子を見に、秀長さんは仕事のため行かれないということだった。ま、二人からは祝福の言葉を貰ったけど。


「まさか嫁入りして一年で子どもを授かるなんて。手が早いわね意外と」

「半兵衛さん、そんな言い方しないでくれよ……僕も驚いている」

「はる殿はどんな様子だ? 不安とか無いのか?」


 流石に一男三女を産ませている長政らしく、気遣ってくれた。


「ああ。気丈に振舞っているけど、ちょっと怖いみたいだよ。慰めてあげたけどね」

「そりゃあ、初めての出産だもんなあ」


 正勝が僕の杯に酒を注ぐ。


「嫁さんを気遣ってやれよ」

「分かっているよ。それより……少し気がかりなことがある」


 その言葉に三人は僕を見た。


「何よ。気がかりなことって」

「もし男の子だったら。家督をどうするか……」

「ああ……そうだな……」


 元大名の長政には僕の言わんとすることが分かったのだろう。

 はるは織田家の娘、つまり主家の娘だ。当然ながら雨竜家の跡目を継ぐのはその男子になるのだが……僕としては晴太郎に継いで欲しい気持ちがある。


「はあ? 男が産まれようが晴太郎が跡継ぎになるべきだろ」


 正勝があっさりと言ってくれた。そう単純に考えられたらいいのだが……


「正勝ちゃん。そんな単純な話じゃ――」

「単純に決まっているだろ。志乃さんとはるさん、どちらも正室だ。だったら先に産まれた子を跡継ぎにするのが、筋ってもんだろ」


 正勝は少し酔っているみたいだった。

 僕に向かって説教し始めた。


「いいか? 雨竜家の当主はお前なんだぜ? 兄弟よ。そんなお前が決めたことに織田家は口出しできねえ。理屈だとそうだろ?」

「いや。前田さまの例もあるし……」


 前田利家さまは上様に頼んで前田家を継がせてもらったのだ。


「そんなの関係ねえよ。嫌なもんは嫌って言えばいいんだよ。お前はそれだけの働きを伊勢長島でしたんだろうが」

「正勝殿……だいぶ酔っているな……」


 長政が困った表情をしている。

 でも僕は――嬉しかった。


「ありがとう。正勝の兄さん」

「ああ? 何がだ?」

「雨竜家の当主は晴太郎だ。絶対に覆させない」


 心のつっかえが無くなった。

 実に晴れ晴れとした気分だ。


「それじゃあ思う存分吞もう! 途中退席は駄目だぞ!」

「おお! それでこそ兄弟だ!」


 僕は正勝と杯を合わせた。


「まったく。明日は二日酔いだわね」

「……拙者も覚悟を決めないとな」


 半兵衛さんも長政も合わせてくれた。


「それじゃ、かすみと万福丸の婚姻とはるの懐妊を祝して――」


 乾杯! と僕たちは杯の音を鳴らした。




 翌日。長浜城の僕の私室。

 僕は秀長さんに叱られていた。


「雲之介くん。半兵衛と長政の顔色が悪いけど、吞ませ過ぎじゃないか?」

「……すみません」


 見事に二人とも二日酔いしてしまった。

 正勝はけろりとしていて、兵の訓練をしている。


「半兵衛の言葉によると、君が一番吞んだらしいけど……」

「はい……」

「よくもまあ普通で居られるね。ちょっと恐怖を感じているよ」


 秀長さんが少し引いている……まあ二十升吞んで平気だったのは、自分でもおかしいなと思ったけど……


「それで、兄者に提案した合同の元服だけど、烏帽子親は全員君で構わないね」

「ええ。構いません」

「まあ佐吉や桂松は文官として働いているから良いけど、虎之助や市松は大丈夫なのかい? 万福丸も怪しいところだ」

「もう十分働けますよ。僕が保証します」

「自信満々だね……まあいい。保証できるのなら、元服を執り行おう」


 僕は「ありがとうございます」と頭を下げた。


「兄者も見に行くらしい。可愛い子飼いの元服だからね」

「そうですか。じゃあ派手にやらないといけませんね」

「元服か。昔を思い出すね」


 秀長さんは遠くを見るような表情をした。


「雲之介くんが元服して、もう十五年ぐらい経つんだね」

「ええ。あの頃は秀吉が城持ち大名になるとは思いませんでした」

「そうだね。私も羽柴家筆頭家老になって、雲之介くんが猿の内政官と呼ばれるほどになるとは思わなかったよ」


 本当にそうだ。いつの間にか遠くへ来てしまった。


「感慨深いというか感無量というか。でもまだまだ行きますよ」

「そうだな。太平の世を実現させるために、私も頑張らないとな」

「いつも苦労をかけますね……」


 秀長さんは「兄者の補佐に比べたら苦労じゃないよ」と笑った。


「この後、子飼いを集めて、何か話すんだろう?」

「うん。心構えとかそういうのを話そうと思います」


 そう。話さないといけない。

 羽柴家のためにも。

 そして彼らのためにも。




 子飼いが集まっている部屋に入ると。全員が正座をして僕を待っていた。

 虎之助、市松、佐吉、桂松、万福丸。

 僕は彼らの前に座って話し始めた。


「いよいよ元服間近だ。これ以上、僕が教えることはないと思う。だけどたった一つだけ教えなければいけないことがある」


 誰も言葉を挟まず、僕の言葉を聞いている。


「一言で言い表すのなら『和』だ。つまり協調すること、協力することが大切だ。古の摂政、厩戸皇子は十七条の憲法で『和を大切にし人と争いをせぬようにせよ』と言っている」


 子飼いは僕が何を言わんとするのか分かっていないみたいで、顔を見合わせている。


「いつの日か、君たちは仲違いしてしまう寸前まで争ってしまうかもしれない。そんなことはないと僕は信じたいが、それでも人は争うものだ。どうしてか分かるかい?」


 僕の言葉に虎之助が答えた。


「互いの嫌なところを知ってしまうからですか?」


 市松も答える。


「互いが気に入らないからですか?」


 佐吉も答える。


「互いが譲れないものを持っているからですか?」


 桂松も答える。


「互いの真意が分からないからですか?」


 最後に万福丸が答える。


「互いのことを尊重しないからですか?」


 全員の回答を聞いて「全て正しい」と僕は頷いた。


「だけど一番の争いの元は、互いの役割を理解しないことだ」


 よく分からない子飼いに丁寧に説明をする。


「人には人の役割がある。戦が得意な者。算術に優れている者。力が強い者。頭が賢い者。様々な人間が居ることで日の本は成り立っている。それを忘れてはいけない。自分が優れていると過信して、大柄な態度を取るのは間違っている。自分が不得意なことを得意とする者が居ることを忘れないでほしい」


 子飼いはどうして僕がこんなことを言うのだろうかと不思議に思っているだろう。

 でもいつの日か、僕の言葉を思い出してほしい。


「僕は君たちが『和』を以って羽柴家、ひいては織田家を太平の世に導くために努めてほしいんだ。同じ仲間として。もしも仲違いしてしまいそうになったら、互いの立場になって考えてほしい。一回立ち止まって、相手のことを慮って、歩み寄ってくれれば、きっと仲直りできると思うから」


 できるかぎり分かりやすく言ったつもりだったけど、子飼いには難しかったみたいだ。

 伝わってくれるだろうか……


「俺は――佐吉が嫌いだ」


 市松が唐突に言い出した。


「非力のくせに生意気だし、ちょっと賢いぐらいで偉そうだ。でも、俺が課題で苦しんでいたとき、助けてくれた。分からない問題を分かりやすく教えてくれた」


 そして最後は笑顔になった。


「だから戦とかで困っているときは助けてやろうと思う。そういうことか? 雲之介さん」


 僕は黙って頷いた。


「ふん。猪武者のくせに……」


 今度は佐吉が言い出した。

 なんだか照れくさそうだった。


「そういう暑苦しいのは嫌いですけど……真っ直ぐな性根は尊敬できますよ」

「お! 言うじゃねえか!」


 どうやら杞憂みたいだったな。

 子飼いの間では確かな『和』以上の『絆』が生まれていたんだ。


「ふふふ……いつも厳しい課題を出してた甲斐があったものだね」

「良いこと言っている風だけど、あんたの課題は鬼のような量だったからな」


 虎之助の言葉にみんなが笑った。

 願わくばこの光景のまま、育ってほしい。




 こうして、子飼いは元服を迎えた。

 虎之助は加藤清正。

 市松は福島正則。

 佐吉は石田三成。

 桂松は大谷吉継。

 万福丸は浅井昭政と改名した。


 皆立派になったなあとこれこそ感無量になった。

 後は――かすみの輿入れだった。

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