第134話家族の秘密

 長浜城の僕の屋敷。そこではると暮らすようになって二ヶ月経つのだけど――


「はるさん。焦げていますよ」

「うん? ああ! すまない……これでいいか?」

「ええ。大丈夫です」


 かすみとはるは打ち解けているようだった。料理を教えているところを見ると、それなりの信頼関係を築けているようだった。

 しかし、晴太郎とはあまり上手くいっていないようだった。


「……なんだ。このめざし、焦げているじゃないですか」

「す、すまない。まだ上手くできなくて……」

「……ふん」


 朝食の際に小言を言うようになったのだ。


「晴太郎。作ってくれたものに対して文句を言うな」

「……はい。父さま」


 よく分からないけど、晴太郎ははるに対して敵意があるらしい。

 昔は優しい子だったのに、捻くれ者になってしまった。


「晴太郎。手馴れていないのは申し訳ないと思っているが、私に対して不満があるのなら、素直に言ってほしい」


 はるがとうとう思いを発露させたのは、この日の朝食のことだった。

 しかし怒っている訳ではなく、不思議そうな表情だった。


「志乃さんを慕っているのは分かるが――」

「軽々しく母の名を呼ばないでいただけませんか?」


 晴太郎も溜まっていた不満、張り詰めていた思いをはるにぶつける。


「俺はあなたを認める気はない。俺にとって、母さまは一人しか居ないのだから」

「しかし歩み寄りは必要だろう。雨竜家に嫁いだ身としては、少しでも仲良くしたい」

「余計なお世話です……」


 うーん。かなり拗れてしまったな。

 かすみはおろおろしながら兄と後妻を交互に見ている。


「止さないか。晴太郎、志乃のことを忘れろとは言わないが、志乃を理由にして意地悪をするのは卑怯だぞ?」

「父さまは――もうすっかりはるさんの味方なんですね」


 晴太郎は食事の途中で立ち上がった。


「どこに行く?」

「長浜城で虎之助さんたちと稽古してきます。かすみ、お前もついて来い」

「兄さま、ちょっと待ってください……」

「なら後から来い」


 晴太郎はそのまま何も言わずに外へ出て行ってしまった。

 晴太郎の御膳には焦げためざしが残された。


「はあ。すっかり嫌われてしまったな」


 悲しげに呟くはるに「あまり気にするな」と優しく言う。


「今日の夜、晴太郎と話してみるよ」

「……すまないな」


 謝ってばかりのはるの肩に手を置く。


「苦労をかけるね。かすみ、晴太郎に僕の部屋に夜来るように伝えてくれ」

「……うん。分かった」


 かすみも最近元気がない。晴太郎とはるの板ばさみになっているからだ。


「かすみも気を使わせてごめんな」

「いいの。なんだか兄さま変だから」

「うん? 何が変なんだ?」


 かすみは言おうか言うまいか迷っていたけど、結局言うことにしたみたいだ。


「最近、うなされているようなの」

「うなされている……?」

「うん。母さま、ごめんなさいって、繰り返し言っている」


 はるは「どういうことだ?」と僕に訊ねる。


「母親の死を目の当たりにしたのは聞いていたが、うなされるほどなのか?」

「…………」


 理由を知っている僕は、何も言えなかった。

 やはり向かい合うしかないのかもしれない。




「あ。雨竜さま。計算が終わったので確認願います」


 長浜城に登城して、仕事場に向かうとすっかり仕事に手馴れた増田長盛くんが、見積もりの紙を僕に提出してきた。

 三白眼で背丈もそれほど大きくない。しかし頭の回転と算術が優れているので、内政官にぴったりだった。


「もうできたのかい? 仕事が早いね」

「ありがとうございます。これも雨竜さまのお引き立てのおかげです」


 媚を売るような言い方だった。そこまで偉い人間ではないのだが。


「雲之介さん。私も計算終わりました」

「私もです」


 佐吉と桂松も仕事に慣れていた。子どもと言えども能力は高いので侮れない。


「おおそうか。浅野くん、確認を手伝ってくれ」

「分かりました。では二人の見積もりは私が確認しましょう」


 この様子だとこの三人も見積もりの確認のほうに回してもいいかもしれない。

 一向宗の門徒の中で算術の才がある者を登用して、内政官が増えてきたのもあるし。


「その前に、浅野くんと増田くん。こっちに来てくれないか?」


 僕は二人を別室へと呼び出した。

 怪訝そうな二人を座らせて「少し聞きたいことがある」と単刀直入に言う。


「一向宗門徒で、今は内政官として働いてる、弥八郎について、どう思う?」


 二人は顔を見合わせて、それから浅野くんが「可もなく不可もない人物だと思います」と答えた。


「私もそう思います。特筆すべき者ではないと思います」

「そうか……ではこれを見てほしい」


 僕はここ二ヶ月の弥八郎の働きをまとめた紙を二人に見せる。


「見積もりと異なるか否かで賞罰を与えているのだけど、どうも彼は意図的に調節しているような気がする」


 そう。合計すると浅野くんが言うとおり『可もなく不可もなく』だった。

 人間、どちらか偏るのだが、まったくの誤差も無い。


「確かに不自然ですなあ。これを計算でやっているとしたら相当な食わせ物ですが、もし真実なら我々の能力を超えています」


 増田くんの言葉に僕は頷いた。


「僕が雇っている忍びに探らせている途中だ。二人とも警戒しといてくれ」

「子飼いの二人には、なんと言いますか?」

「いや、二人には言わないでおく。特に佐吉は隠し事が苦手で疑うような目で見てしまう」


 浅野くんが「雨竜さま、もし弥八郎が何か企んでいるとしたら、どうしますか?」と訊ねる。


「内政官の処遇は僕に一任されているからね。事情によるけど、企んでいたとしたら、最悪は追放させるよ」

「殺さないと? 甘いお方ですね」


 増田くんに笑われたけど、これには意図があった。

 どんな企みでも露見するというのを他国に知らしめる必要があったのだ。




 その日の夜。僕は晴太郎を部屋に呼び出した。

 不満そうな顔で僕の前に座る。


「はるさんのことなら、妥協する気はありません」


 開口一番にそう言われてしまったら、何も言えない。

 僕は深い溜息を吐いた。


「……最近、うなされているようだが、大丈夫なのか?」


 思わぬ言葉だったのだろう。晴太郎は激しく動揺した。


「誰から――くそ、かすみか!」

「志乃の死を思い出しているんだろう?」


 晴太郎は何も言わなくなった。

 僕は優しく話しかける。


「僕はね、晴太郎。お前のことを愛している。もちろん、かすみやはる、そして志乃のことも愛している。守らないといけないと思っている。だから、できる限り仲良くしてほしいんだ」

「…………」

「わだかまりをいきなり無くすのは難しい。だけど少しでも歩み寄ることは必要だと思う」


 すると、晴太郎は顔を伏せながら笑い出した。


「ふふふ。俺は愛される資格なんてないですよ」

「子どもを愛するのに資格など要らない」

「綺麗事です。父さまは――俺がやったことを知らないんだ」


 自らの口で言うのだろうか。僕は思わず身構えた。


「父さまは、母さまが死んだときのことを知らないでしょう? だから簡単に愛するとか言えるんだ――ふざけるのもいい加減にしろよ!」


 唐突に立ち上がり、晴太郎は僕に怒鳴った。


「もしも真実を知れば、そんなことを言えるわけが無い!」

「……僕は、晴太郎、お前が何をしても愛しているよ」

「だから、綺麗事を言うな!」


 晴太郎は、部屋の外まで聞こえるような大声で言った。


「母さまを殺したのは――俺なんだ!」


 ああ、言ってしまった。

 僕は目を閉じて、志乃のことを思い出して、それから言った。


「ああ。知っていたよ」


 僕の言葉に、晴太郎は全身を震わせた。そして衝撃のあまり、二歩ほど後ずさった。


「し、知っていた……? い、いつから――」

「比叡山の焼き討ちの前にね。その証拠に、唆した僧侶からこれを取り戻した」


 僕は懐から、水晶を取り出して、見せた。

 晴太郎はへなへなとその場に座り込んでしまった。


「な、なんで、知っていたのに、こんな俺を、愛せるんだ……?」

「あれは――悪くないだろう、お前は。あの状況では仕方ないことだ――」


 そこまで言った瞬間、がたんと部屋の外で音が鳴った。

 僕は素早く立ち上がって。障子を開いた。


 かすみが蒼白になって、座り込んでいた。


「どういうこと……? 兄さまが、母さまを殺したって……」


 晴太郎はまるで世界が崩れたような絶望の表情になった。


「嘘でしょ……どうして……」

「かすみ、落ち着くんだ。晴太郎は――」

「父さまは黙ってて! ねえ、兄さま、嘘でしょう!?」


 かすみの問いに晴太郎は何も言わず、俯いてしまう。


「否定、しないの……?」

「…………」

「――どうしてなの!?」


 晴太郎に近づいて、胸元を掴んで激しく揺さぶるかすみ。


「なんで母さまを殺したの!? ねえ、どうして――」

「やめろかすみ! 責めるな!」


 思わず怒鳴ってしまった。

 今度はかすみが僕を睨みつける。


「父さまもどうして、知っていたはずなのに、黙ってたの!?」

「それは――」

「もういや! 信じられない!」


 かすみの目から大粒の涙が溢れる。


「父さまも兄さまも嫌い! もう、大嫌い!」


 かすみが部屋から出ようとする――


「――待ちなさい。かすみ」


 それを止めたのは、いつの間にか居たはるだった。

 はるはかすみを抱きしめた。


「放してよ! もうこんな家、居たくない!」

「……二人の話を聞きなさい。そうしなければ、後悔することになる」


 はるは僕を真剣な目で見つめた。


「雲之介殿、言ってあげてください」

「はる……」

「あなたの言葉で、言ってあげて」


 僕は深呼吸して、それから語り始めた。


「志乃が死んだのは――」

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