第131話内政官の戦

 上様から伊勢長島を降伏させるように命じられてから三ヶ月後。

 僕と雪隆くんは船に乗っていた。

 主要の城である長島城に向かうためだ。

 そこには――願証寺寺主、顕忍と下間頼旦が居る。

 船でしか行き来できないところに長島城はある。天然の水堀というべき要塞だ。

 今まで長島城を攻め立てたけど、二度失敗している。

 多くの織田家の武将が亡くなっているのだ。


「交渉に失敗したら、俺たちはどうなるんだ?」

「殺されることはないだろう。そこは安心していい」


 ひそひそ声で雪隆くんは僕に訊ねたので安心するように答える。

 ま、今回はかなり根回ししたし、大丈夫だろう。

 僕は空を見上げながら、秀吉との会話を思い出していた――


『まず重要なのはどれだけ自分が有利なのかを相手に伝えることだ』


 下準備をする前に、一度長浜城に戻って僕は秀吉に助言をもらった。

 一応、降伏させるための策はあったけど、秀吉に報告して効果的か考えてもらおうと思ったからだ。

 それともう一つ、秀吉に頼みたいこともあった。

 策自体は太鼓判を押されたけど、秀吉はその際に交渉についての極意を教えてくれたのだ。


『次に相手に打つ手はないと思わせることだ。諦めさせる口実を与える』

『諦めさせる口実……?』

『人間、諦めるには理由が必要なのだ。これだけ頑張ったのだと己を納得させることで人は容易く要求を飲み込む。ま、言うなれば妥協点だな』


 そして最後に秀吉は言う。


『それとおぬししかできぬことだが、優しさと誠意を見せろ。おそらくおぬしの思いは伝わるはずだ。これらを忘れなければ、伊勢長島は必ず落とせるだろうよ』


「到着しました。今、門番に開けるように言って来ます」


 船頭――織田家の者ではなく、一向宗の者だ――はそそくさと門番の元へ向かう。


「さてと。正念場だね」

「ああ。というかなんで俺を連れてきたんだ?」

「心強いからね。それと護衛の役割もある」


 雪隆くんは納得したように頷いた。

 長島城は城と言うより砦に近い。また農民が城内に大勢居た。彼らは僕たちが織田家の者だと知って敵意を向けている。生きて帰れるか不安だ。

 しかしここには来なければならなかった。顕忍がそう要求してきたからだ。弱冠十四才だというのに交渉が上手いのか、それとも臆病なのか。それも見極めなければいけない。


 大広間に案内されてしばらくすると、二人の僧がやってきた。

 一人は子どもと青年の間の男。聡明そうな顔つき。少し痩せている。背丈は高くない。細くてこちらを値踏みするような目。

 もう一人の僧は成人していて壮健な身体つき。一廉の武将のように鍛えられている。真ん丸な目をしていて、背は大きい。

 子どもの僧が上座、壮健そうな僧はその近くに座った。


「ようこそいらっしゃいました。寺主の顕忍です」


 子どもの僧――顕忍は高い声で言う。まだ声変わりしてないようだ。


「拙僧は下間頼旦という。あなた方は織田家の者だな」


 壮健そうな僧、頼旦は僕に話を振ってきた。


「お初にお目にかかる。僕は織田家直臣、羽柴秀吉が家臣、雨竜雲之介秀昭と申す」

「俺は雨竜さまの家臣、真柄雪之丞雪隆だ」


 少しだけ頭を下げて自己紹介すると「確か雨竜殿はこう呼ばれていたな」と頼旦は言う。


「猿の内政官と。しかし内政官がどうして交渉を?」

「上様からこの城を降伏させろと命じられてね。さっそくだが降伏しないか?」


 何の躊躇もなく用件を伝える。そんな僕を顕忍も頼旦も呆然と見つめていたが――頼旦は笑みを見せる。


「何を馬鹿なことを。二度も退けられているのに、どこにそんな自信があるのだ?」

「自信ではなく確信があるよ。あなた方が降伏する確信がね」


 僕は懐から地図を取り出した。伊勢長島の地図だ。


「篠橋城、大鳥居城、中江城、屋長島城。これらの支城は長島城よりも脆く容易く落ちる。そうなれば一向宗はこちらの城に逃げ込む。受け入れるんだろう、その門徒たちを」

「当然だ。我らは門徒を拒みはしない」

「総勢三万ほどの一向宗がこの城に逃げ込む計算になる。しかし、その門徒たちの兵糧はどう賄うつもりだ?」


 その言葉に頼旦は口を噤んだ。顕忍はハッとした顔になる。


「今まで織田家は力攻めしようとした。一度目は地形を詳しく知らなかったから、できなかった。二度目は船の接収が上手くいかなかったから。しかし門徒たちをこの城に追い込んで、出入りを防いでしまえば?」

「兵糧攻めだと? そんなこと――」

「できないと言えるのか? だができる。できてしまうさ」


 僕はなつめが十日前に調べてくれた情報を言う。


「ここの兵糧、あと一ヶ月持てば十分だろう? それに門徒たちの間で揉め事が起こっているそうじゃないか」

「――っ!?」

「まずは門徒たちについて話そう。門徒は二種類に分かれる。元々長島に定住していた者。もう一つは外から流れてきた者。この後者の外から流れてきた者の生業は運送業や廻船業だ」


 頼旦は動揺を隠しているが顕忍はまだ子ども。冷や汗をかいている。


「織田家は津島の運上金を元に強くなったと言っても過言ではない。そして外から流れ出た者の大半は津島と対立していた者だ。だから彼らは好戦的と言えよう。しかし元々長島に定住していた者は信仰できれば織田家と戦わなくて良いと思っている。現に一向宗の中でも織田家の領内で布教している者がいる。高田派や三門徒派だ」


 何も答えない二人。僕は話し続ける。


「今、二つの派閥が争っているのだろう? 戦うか否かで。一枚岩で無い状態で兵糧攻めされたら、どうなるか分かるだろう。身内で殺し合いだ」

「……どうして、こちらの兵糧が少ないことが分かったのだ?」


 頼旦は自らの不利を認めるようなことを言う。

 僕はそれに敢えて乗らず、真実を打ち明けた。


「簡単だ。長島周辺の兵糧を僕が買い占めたからだ」


 上様からもらった三千貫を元手に増やして、周辺の米を買い占めて別の地方で高く売った。それを繰り返して、長島城やその支城の米が行き渡らないようにしたんだ。


「流石に時間はかかったけどね」

「そんなこと……いや、あなたは、猿の内政官……」

「そうだ。兵糧や物資の流通にかけて僕の右に出る者はいない。だから、もう終わったんだよ。この戦は」


 すると顕忍が「まだです!」と叫んだ。


「わ、私は、武田勝頼の妹、菊姫と婚姻を結ぶ予定です! 兵糧攻めでも、武田の援軍さえくれば――」

「――武田家は来ない!」


 顕忍の声に負けないように、部屋中に響くような大声で言う。


「な、何故――」

「今は、農繁期だ。今年出兵をしていた武田家は兵を休ませなければいけない。農閑期までだいぶある。兵糧が尽きるのが先だ」


 顕忍は最後の切り札が何の役に立たないことに気づき何も言えなくなる。


「だからもう、終わったんだ。この戦はもう、終わりなんだ」


 しばらく静寂が訪れて、それから頼旦が口を開いた。


「どうして……拙僧たちに手の内を明かした? そのまま兵糧攻めすれば良いではないか」


 僕は「あなたのご先祖が助かったときと一緒だ」と短く言う。


「私のご先祖さま……? まさか、知っているのか?」

「ああ。全部知っている。僕は幼馴染の影響で史書が好きでね」


 下間頼旦の一族、下間は元々東国の下妻に住んでいた一族だ。

 浄土真宗の開祖、親鸞が東国に布教しに言った際、刑場で子どもが処刑されそうになった。理由は親である源頼茂が反乱したからだという。親鸞は出家を条件にその子を助けた。

 その子どもこそ、下妻宗重――下間一族の始まりである。


「いくら謀反人の子どもとはいえ、何も死ぬことはない。そう親鸞は考えたはずだ」

「あ、あなたは、まさか――」


 僕はその場に平伏した。


「三万人の門徒――いや人を殺したくない! しかし上様の命令を果たしたい! だからこそ頼む! 降伏してくれ!」


 それから早口で二人に言う。


「門徒たちの世話は僕が責任持つ。北近江の長浜で暮らしてもらう。琵琶湖の運送業は人手不足だ。仕事もたくさんある。信仰も認める。だから――降伏してほしい」


 これが僕の持てる最大限のことだった。

 これしか、できなかった――


「……降伏の条件は?」

「この長島城の退去。それだけだ」


 頼旦はふうっと溜息を吐いた。

 そして顕忍に言う。


「拙僧は――良き条件だと思います」

「頼旦……本当に良いのか?」


 顕忍は慮る様子で頼旦に言う。


「私は父が死んで、後を継いだだけの、弱い人間だ。あなたに頼ってばかりの……」

「いいえ。あなたは十分強いお人だ」


 頼旦は僕に向かって言う。


「降伏するが、条件がもう一つある」

「……なんだ?」


 頼旦は深く呼吸をして、それから言った。


「下間頼旦の命をやる。そうでなければ門徒たちは納得しないだろう」


 思いもかけない言葉に僕は息を飲んだ。


「何を言っているんだ?」

「もしも抵抗せずに拙僧が降伏したら、一族に申し訳が立たん。しかし雨竜殿の想いにも応えたい」


 頼旦は晴れやかな表情で僕に言う。


「だから、拙僧の命をやるというのだ」


 僕は俯いてしまった。そしてそのまま「できればあなたの命も助けたかったのだが」と呟く。


「決心は変わらないのか?」

「ああ。僧は嘘をつかん」

「……上様に許可をもらわないと駄目だ。とりあえず岐阜に来てくれ」


 頼旦は「ご厚意感謝いたす」と笑った。

 そして立ち上がった。


「それでは、今まで戦ってくれた者たちに、伝えてくるか」




 長島城から門徒が次々と出ていく。それらをまとめつつ僕は捕縛した頼旦に話しかける。


「なあ。信仰のために玉砕って考えはないのか?」


 頼旦は「拙僧はそこまで悟っておらん」と答えた。


「人は何かを信じなければ生きてはいけん。しかし、何かを信じるために死んではいかんのだ」


 その後、頼旦は岐阜城で上様と対面し、切腹した。

 最後まで意思は変わらなかったらしい。

 武士のように潔い僧侶だった。


 顕忍は尾張の領内で願証寺を再建した。門徒の何百人かはそこの土地で暮らすらしい。

 残った者は長浜に向かって仕事に就いたりしている。

 しかし、半数は石山本願寺に向かったらしい。

 これからも一向宗との戦いは続く。

 一層、身を引き締めなければ。

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